その気でやる男 太田あきひろ

太田のぶちかまし!

太田のぶちかましの最近のブログ記事

今こそイノベーション日本

 

  トヨタ自動車のリコール問題は、さまざまな問題を投げかけている。フロアマットが当初は焦点になり、次にアクセルペダルが戻りにくいということがいわれ、プリウスのブレーキが利かないように感ずるという点に発展した訳だが、そこには世界的な激しき競争にさらされている先端技術の高度化・複雑化の問題、そして情報社会のなかでの説明責任や危機管理の問題が鋭く問われている。ことは自動車に限らない。競争激化のなかで品質が問われる大変な時代に遭遇しており、それに挑むには相当な覚悟が必要だ。
  まず、対応が遅れたということが指摘されている。不具合があったらただちに直す。謝罪・説明を素早くしないと不信と風評を増幅させる。危機管理がますます重要になっている。
  もう1つ。それは先端技術の高度化・複雑化という宿命的課題だ。スピードと快適さ、安全性、石油の枯渇、環境への対応、燃費、そして価格も含む国際競争の激化など、全てに勝ち抜くための技術開発は極限化を余儀なくされている。自動車の場合、部品は3万点を超えるというが、複雑系のなかで品質を確保することは大変だし、先行しなければ勝ち抜けない。

  こうしたことは実は自動車に止まるものではない。電機においても、ICT(情報通信技術)においても、医療においても、高度な先端技術が要求される難しい時代だ。

地震対策の更なる強化を

 

  ハイチで大地震があり、世界をあげての救命・救援活動が続いている。公明党もいち早く募金運動等を展開、私自身も駅頭で訴えた。また阪神・淡路大地震から15年、式典のみならず、さまざまな角度から分析が行われている。

私は学生時代、耐震工学を専攻した。京大大学院修士論文は、「土木構造物の非線型振動論」で、F=kxのフックのバネ乗数kが、粘土や砂地盤でループ状を描くことを実験を通じて明らかにするという研究だった。政治活動に入ってこの20年、私の仕事の柱の1つは、「耐震」「都市・街づくり」「国土のグランド・デザイン」「安全で経済発展の礎となる社会資本整備」であった。

  阪神・淡路大震災(H7.1.17)以来、その後も新潟県中越地震(H16.10.23)、福岡県西方沖の地震(H17.3.20)、能登半島地震(H19.3.25)、新潟中越沖地震(H19.7.16)、岩手・宮城内陸地震(H20.6.14)などの大地震が続発。私はその日か、翌日には現地に真っ先に飛んだ。救命・救援を現場から政府に求めた。

水ぶくれ、借金頼みのギブアップ予算

 

  来年度予算案が25日、ようやく決まった。過去最大の一般会計92.3兆円、新規国債発行額は過去最悪の44.3兆円(09年度の当初予算では33兆円)、当初予算段階では戦後初めて国債発行額が税収(37.4兆円)を上回る異常な予算となった。

  各新聞では「借金頼み 歳出膨張」「国債最悪44兆円 公約優先 借金頼み」「マニフェスト失速」「公約に財源の壁」「公約優先では財政がもたない」「甘すぎた見直しムダ減らし限界」「虚飾に満ちた"政治主導"」「財政規律 危険水域に」などの見出しが踊った。当然のことである。

  私はバラまきの公約をし、ムダ減らしのパフォーマンスをしたが結局財源を見出し得ず、挙句の果てに過去最悪の国債発行をしてしまったお手上げの「ギブアップ予算」になったと思う。

  しかも公約違反が目立つ予算だ。

若者支援、女性の一生サポートの緊急性

 

 小泉総理の時代、私はよくこう言った。「構造改革、構造改革というが、政治が構造改革をするという前に世の中が構造変化をしている。その構造変化にどう対応するか。それが政治の役割だ」――。
  今、日本は、「グローバリゼーション」「少子高齢社会」「環境制約」という3つの構造変化にさらされている。しかも劇的かつ急激だ。

  社会保障制度を考える場合、少子高齢社会という急激な構造変化をまず見なくてはならない。「そんなことはわかっていたことではないか」という人もいるが、従来予想を超える中身となっている。
  日本は2004年、人口1億2779万人をピークに、人口減少社会に入った。そして2055年には約9000万人、しかも40%が65歳以上、さらに75歳以上がとくに増えるという予想だ。社会保障を若者が担うことを考えると「かつてはお御輿、今は3人で1人をかつぐ騎馬戦、それがこれから"かごや"になり、2055年には肩車になる」といった人がいるが、その覚悟が必要になる。

家康が挑んだ利根川との戦い

 

  文化・芸術の秋、スポーツの秋――。地域行事が活発に行なわれ、参加の途中、北区にある荒川資料館に立ち寄った。赤羽駅からも近いこの水辺空間こそ、荒川をコントロールする大工事、荒川放水路、岩渕水門の位置する歴史的な地だ。
  現在の荒川は元々あったものではなく、じつは人がつくり上げた放水路だ。この荒川放水路開削事業は、明治40年、43年の大洪水(下町はほとんど水につかった)を契機として、44年に着手、昭和5年に完成となる。すさまじい大事業だ。そして従来の荒川は隅田川として、放水路は荒川として今日に至ることになる。