その気でやる男 太田あきひろ

太田のぶちかまし!

太田のぶちかましの最近のブログ記事

 先月末、目と耳が不自由な盲ろう者の自立を支援する拠点「東京都盲ろう者支援センター」が開設された。私もセンターを訪問し、設立に熱心に取り組んできた盲ろう者である東大教授、福島智さんらと意見交換した。福島教授についてはこのところ、「爆笑問題のニッポンの教養」(NHK)などのテレビ出演や、「ゆびさきの宇宙」などの書物が新聞各紙の書評で紹介され、センター設立に努めてきた公明党としても大変うれしく思っている。
 目が見えず耳も聞こえない。それはどんな世界であろうか―。無音漆黒の世界の中にたった一人。地球からひきはがされ、果てしなき宇宙に放り出されたような孤独と不安の中で、福島さんは生き抜いている。
 「苦悩と絶望は違う。意味を見いだせば絶望ではない」「不便なことと不幸は違う。障がいの有無と幸、不幸とは本来関係ない」「能力は本質でなく属性。否定すべきは、能力の差とその人の存在の価値を連動させることだ」。自分自身や人間の存在を問い続けてきた福島さんの思索は深く、生き抜いている人生は重い。
 その福島さんを絶望から救ったのは、支援する方々の心と、母親とともに考案した指先を点字タイプライターのキーに見立てて打つ「指点字」だ。福島さんと話をしていて、コミュニケーションを可能にした指点字の驚異的な早さと、福島さんのユーモアに富んだ発言に感動した。
 今月はじめ、米国経済を代表する自動車メーカーGMの破産・再建のニュースが駆けめぐった。 昨年秋、アメリカの住宅ローンである「サブプライムローン」問題に端を発した金融・経済危機は、世界同時不況に発展し、外需が引っぱってきた我が国の経済は、極めて深刻な打撃を受けている。現下の我が国の経済の再生には世界的な金融・財政政策の協調・推進と、内需による経済の回復が不可欠である。内需はGDPの6割を占める消費喚起への施策とともに、なかでも住宅は大きな柱だ。
 住宅は、自動車とならんで、規模が大きく裾野(関連産業)の広い産業である。私は昨年来、この住宅についてもやれることは何でもやるという姿勢で全力で取り組んできた。過去最大規模の住宅ローン減税(最大600万円)や、省エネ、耐震、バリアフリーなどのリフォームについて、ローンを借りなくても対象となる投資型の減税の創設、住宅金融支援機構(旧・住宅金融公庫)の「フラット35」による頭金ゼロでの融資など、先月末に成立した補正予算までにあらかたの制度をつくり終えた。残る住宅取得についての贈与税の特例(500万円までの非課税)の早期実現に向け全力を傾けている。
  いよいよ裁判員制度がスタートした。
  「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」が2004年5月21日、全党一致で成立し、5年の準備期間をおいての始まりだ。司法制度改革の中で実現した制度だが、国民の間では「責任は重いし、法律なんて難しいから困る」との声が聞こえてくる。
  制度は司法に国民が参加することで、司法への国民的支持、基盤の拡充が狙いだ。そして専門家である裁判官と、素人の裁判員との協働によって刑事裁判を行うのだ。これは非常に大きな意義を持つ。従来、専門家に任せてきた裁判に国民が参加するし、市民が法や正義の担い手になる。国民の責任は重すぎるとの声もあるが、私は国民の義務だけでなく、権利ととらえたらどうかと思う。つまり「裁判員にされる」のではなく「裁判員になる権利」「司法に参加する権利」を手にすることになるのだ。
  いよいよ裁判員制度がスタートした。
  「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」が2004年5月21日、全党一致で成立し、5年の準備期間をおいての始まりだ。司法制度改革の中で実現した制度だが、国民の間では「責任は重いし、法律なんて難しいから困る」との声が聞こえてくる。
  制度は司法に国民が参加することで、司法への国民的支持、基盤の拡充が狙いだ。そして専門家である裁判官と、素人の裁判員との協働によって刑事裁判を行うのだ。これは非常に大きな意義を持つ。従来、専門家に任せてきた裁判に国民が参加するし、市民が法や正義の担い手になる。国民の責任は重すぎるとの声もあるが、私は国民の義務だけでなく、権利ととらえたらどうかと思う。つまり「裁判員にされる」のではなく「裁判員になる権利」「司法に参加する権利」を手にすることになるのだ。
  同時に、日本の民主主義のうえでも「日本の民主主義の向上、成熟の試金石」という大きな意義を持つ。これまでの裁判はお白州に引きずり出され、裁かれるものというイメージだが、今度は国民が一緒になって裁判を担当することになるからだ。
 立法・行政の中に国民が参加するのが本当の民主主義だ。これが司法にも取り入れられることになるのだ。日本は官主導であったり、「公」のことはお上任せの風潮だが、これを転換することも期待される。司法の場でも「社会を担うのは自分たちである」という意識が高まれば、社会の厚みや深さ、幅を広げることにつながると思っている。
 海外の司法制度に目を移すと、国民の司法参加には、米国は陪審制、欧州は参審制など、差はあるにしても、参加は当然のように行われている。「O・J・シンプソン事件」などは誰もが知っていることだし、映画の「十二人の怒れる男」を観た人も多いと思う。
いよいよ裁判員制度が始まったが、裁判員は法律の素人だし不安もある。今後、裁判官には分かりやすく、裁判員が抱える負担や不安を軽減できるよう配慮していく努力も必要だと思う。
 ぜひ、裁判員制度を実りあるものにしたいと強く思っている。
 先日、バリアフリー映画「THE CODE/暗号」の試写会に行った。
 尾上菊之助氏が演じる主人公、暗号解読の天才「探偵507」が、危険な任務に挑むハイテンポのアクション映画だが、通常の映画と違い、少し工夫されている。視覚障がい者用の副音声や聴覚障がい者用の字幕が付いており、みんなが楽しめる「バリアフリー」の映画なのだ。試写会では副音声解説を弁士が生で見事に語っていた。
 私自身、高齢化社会に対応して街や施設のバリアフリー化を強く推進してきたし、推進のためのバリアフリー法やハートビル法なども制定した。さらに電子タグをはじめコンピューターを社会のあらゆる装置に組み込んだユビキタス・コンピューティングなど、社会インフラも重要だ。それは高齢者や障がい者にも大きな力となる。