見えない「いじめ」を解決するために、という副題がある。
「いじめは我々の子供の時代もあった。いつでもあるもの」は誤りだ。昔は一部の暴れ者、グレた者がいた。他は仲良しだ。今は一握りのいじめ加害者に他が同調して、無視から「バーカ」「死ね」に至る。被害者は一人。
「いじめられる方にも原因がある」――それも誤りだ。あることをキッカケに、ターゲットが次々と変わる。
「わからない親や教師が悪い」――それも誤りだ。ケータイや戦略を使って、巧妙に追い込む病理があり、親にもいえない、教師にもいわない、わからないよう手口はしたたかだ。
「いじめられたら戦わなければダメだ。頑張れ」――それも誤りだ。戦いがいのあるものではないし、耐える意味もない。逃げることだ。
子どもを取りまく環境はもう昔と違う。そんななかに子供がおかれている。胸がしめつけられる。今こそ、その現実を親が直視し、賢明に、懸命に、対処するスベを学び格闘しないといけない。
私の読書録: 2007年1月アーカイブ
民主主義と自由主義はいっしょと思うかもしれないがそうではない。もう一つ民主主義のなかには平等主義の概念がある。この本には「不平等か、不自由か」という副題がついているが、リベラル(自由主義)こそが民主主義だと日本は思いがちだが、アメリカ型の自由主義とフランス型の平等主義がある。
日本は憲法をみても自由ばかりが謳われる日本型「自由」偏重民主主義だが、フランス憲法は自由より平等を謳っている。社会民主主義だ。
イギリスの保守党は自由と小さな政府を、労働党は平等と福祉国家を謳う。とくに公共あるいは公的な領域、医療も教育も大学のあり方も、公権力の介入によって自由を制限して一部の独占を排し、格差を許容範囲に収めるのが平等化政策だ。高福祉、高負担をめざした右派政党が賃金労働者を代弁すべきなのに、所得税、住民税の引き上げや付加価値税反対をいい、官から民を、そして税制緩和をいうのは、原理的におかしい。対立軸になってないという。官から民への安易さも指摘する。またフランスの不安定雇用に対する猛烈な抵抗や、高福祉・高負担は高福祉の受益者は国民一般であり、「福祉を単なる弱者救済に還元するな」と指摘する。日本の未来の礎を考えるということは、今一度、そうした次元からこの国の形を考える時だ。
漫才では「やすきよ」「B&B」が好きだ。エンタの神様も見て、面白いものもあるが、漫才という芸に至っていないものも多い。
この「佐賀のばあちゃん」そして「炭坑美人」「東京タワー」など、これらはいずれも九州の母親だが、健康的で底抜けに明るくて、たくましいし、情がある。貧乏生活だが、知恵があってケチでない。島田洋七は私と同じ昭広という名前だった。
「子どもたちの戦友」を映画化のために「早咲きの花――子どもたちの戦友」に改題。私の出身校、愛知県豊橋市の時習館高校の校庭の碑「早咲きの花が散った 美しく」を題名としている。
昭和18年、東京から豊橋の国民学校への転校した真次たちの兄弟。貧しい。戦争。けんかは日常。友情。子どもたちの目は輝いていた。なぜ輝いていたのか。それは「少年たちの友情は彼らが戦友であったからだ。友のために何かしなければ生きていけなかったである」――。
映画とともに、その原作を読んだ。
東京は、極秘情報が集結するインテリジェンス都市である。武器なき戦争が、昔も今もあり、「日本版NSC」というが、「人材を育てるのが先で、組織をつくるのは最終段階」という。
(1)諜報――ポジティブ・インテリジェンス(2)防諜――カウンター・インテリジェンス(3)宣伝(4)謀略――こうしたインテリジェンス。
アンドロポフ死去を世界に先駆けて発信した東郷和彦電。第1次湾岸戦争勃発の時のテヘラン発・斉藤邦彦電などが紹介されている。ますます重要な時を迎えている。















