私の読書録

桔梗の旗  谷津矢車著  潮出版社
2020/10/14
     

桔梗の旗.jpg天正八年から天正十年(本能寺の変)、明智光秀は何を考えていたのか。それを光秀の息子・十五郎(光慶)と、はからずも女婿となった明智佐馬助(秀満)がその思いを語る。

光秀には、頼るべき股肱の臣が少なかった。浪人の身が長く、信長に抱えられたのも他の家臣よりはるかに遅く、短期間のうちに信長に引き上げられたからだ。筆頭家老の斎藤利三、家老・溝尾茂朝、長き陣借りの日々の果て光秀に会った明智佐馬助。また信長の側室となった妻木殿(光秀の妻の妹)。十五郎の師匠となる茶人の津田宗及、連歌師の里村紹巴。

十五郎が信長にどうしても認められない。光秀も十五郎自身も悩む。信長に取りなしてくれた妻木殿の死が明智一族に衝撃のボディーブローとなる。信長の長曽我部叩きが、仲介役の斎藤利三を追い込む。さらに信長はいう。「貴様の倅は孵(かえ)らぬ卵である」「わしは、力なき者を家臣に置くつもりはない。貴様を傍に置いたのは、忠勤ぶりを買ってのことではない。毎回、わしが望む以上の成果を挙げてきたからぞ。わしの役に立ちさえすれば、泥棒であろうが不忠者であろうが構わぬ。だが、力なき者だけはいかぬ」と。「信長は才能、才覚を愛している。ただ己の覇道の役に立つ者たちを欲しただけだ」・・・・・・。そして信長は光秀に「明智への家督は明智佐馬助に継がせる」とまで断じたのだ。その背景には「戦乱は少なくなる」と見た光秀、「天下から明まで」を視野に入れる信長。それが十五郎の育て方、人物への見方が根本的に食い違ったのだ。明智光秀は追い込まれ、「明智家をめぐる状況は風前の灯」となる。

「時は今 雨が下しる 五月かな」――。本能寺の変。光秀の死。そして坂本城の十五郎の下に集った明智衆は、最後にどう決断したか。


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