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被災者を癒やすため 石巻港に短期滞在用の大型客船を!

 東日本大震災の発生から、ほどなく始まった、避難所での慣れない集団生活。
 プライバシーもない。満足な食事もない。居住スペースもない。風呂もない。
 そして、すべてを奪い去った津波への、やり場のない怒りと悲しみ、のしかかる虚無感、忍び寄る脱力感......。
 被災者は当時を振り返る。「悲惨な生活でした」と。

 宮城県石巻市、太田あきひろが現地入りしたのは4月13日。大被害に遭った石巻市では当時、7600人余りが避難生活を余儀なくされていた。
 その日、意見交換の場で公明党の渡辺拓朗市議は、亀山紘市長に提案した。

 「被災者の皆さんは、避難所生活のストレスが大変です。せめてもの癒やしの時間のために、シャワーやベッド、食事も揃う客船を、短期滞在用に誘致できないでしょうか」

 以前からの市議の訴えに、周囲は「津波の恐怖を味わった直後に船なんて......」と首をかしげていたという。
 市議もまた、まず受け入れ側の同意が得られないことにはと、誘致の動きを始めることに躊躇があった。
 しかし、その日は違った。そこに、太田あきひろがいた。

 "やってみよう"──そう直感した太田は、翌日、すぐさま帰京し、国交省に直談判した。
 一時は、ただちに実現する運びとなりかけたが、船の都合で中断。しかし太田は、あきらめずに働きかけを続けた。そして4月末、国交省からの「何とかできそうです」との報告に太田は安堵した。

 5月、渡辺市議から太田に、興奮冷めやらぬ勢いの電話が入った。
 「大型客船を使ってのショートステイが始まりました! 皆、大変喜んでいます!」

 ついに、石巻港に大型客船が入港したのだ。テレビ報道からも喜びの様子は全国に伝わった。
 船は岡山県の玉野から航行されてきたテクノスーパーライナー。一人につき1泊2日の短期滞在。5月17日から2週間、食事、入浴、休憩などのサービスが無料提供された。

 「お見舞の一環です」──。

 運用にかかる人件費、食料、船内サービスといった関係費用は、この船を所有する三井造船が、すべて負担した。

 船上で一夜を伸び伸びと過ごし、極度の緊張から解放された被災者の涙と笑顔。
 現場市議の確信は正しかった。その確信と太田の現場第一主義、そして関係者の善意が、見事に融合し、結実した。
 ネットワーク政党・公明党。その無限の可能性を遺憾なく発揮させるカギこそ、太田あきひろの信条──「現場第一」であるといえよう。

 聞けば、亀山市長も渡辺市議も当初、まさか太田が東京で、客船を誘致しようと動いているとは、思ってもみなかったようだ。
 無理もない。会議の場で、渡辺市議が誘致を提案したのは市長に対してだった。その時に太田が、何か誘致について言葉を発したわけでもなかった。ただ太田は、誰知らずとも一人、市議の熱意に感じ、それに成り代わって、行動を起こしていただけなのだから──。

 とはいえ、この短期滞在も、利用人数には、どうしても限りがあった。
 太田は、さらに石巻のためにと、がれき処理の体制構築などに今も全力を挙げている。そこに苦しむ人がいる限り、太田は足を運び続ける。
 「食事も、シャワーもうれしかったけれど、なんといっても、震災後に初めて大の字になって寝られたのがうれしかった」──短期滞在を利用した被災者が涙ながらに語った、その一言が、太田の耳には今も残っている。

(2012年3月30日)

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