今の社会の心象風景を見事に浮き彫りにする。SNSが席巻する情報社会の中での孤独。他者との穏やかなつながりを欲しつつもできない渇き。砂粒化する大衆。攻撃的な荒れた言論空間。溢れる陰謀論。広がる推し活。そこに築かれる「ファンダム経済」。一体今、何が起きているのか。どうなっているのか。小説という形でそれを言語化する意欲的な著作。若くしなやかな感性が迸っている。面白いし、刺激的だ。
3人の主役それぞれが語る。久保田慶彦47歳――。離婚して一人暮らし。レコード会社勤務。「物語」を語る能力を買われ、アイドルグループのデビュー・運営に参画することになる。「最も共感力が高く、物語と自分との境界線が曖昧で、自ら視野を狭めやすい気質のファン層を炙り出し、より拡散や布教に励むよう先鋭化させる」「神がいないこの国で人を操るには、"物語"を使うのが一番いいんですよ」「熱量の低い百万人より、熱量の高い一万人。このチームで、視野狭窄を極めた最強のファンダムを築きあげましょう」・・・・・・。選挙の事まで言う。昔ながらの選挙は、熱量の低い百万人、今は熱量も高い一万人を獲りにいく。「この党いいよ、私たちを救ってくれるかもしれないよ、みんなで応援しようよ」「結局みんな、信じるものが欲しいんだと思います。特に、この社会は生きづらい、自分はこの世界に不当に扱われていると感じている人ほど。そういう状況で信じられそうなものに出会った時、人はその対象に強い共感や感情移入を試みます」・・・・・・。
武藤澄香――。久保田の娘で、離婚した母と大分で暮らす留学を志す大学生、19歳。内向的な気質に悩む。「もう、自分に疲れてしまった」「この気質の自分が、社会に出て、働いたり、上司や後輩とうまく関係を築いたりしていけるのか」・・・・・・。そんな時、一人のアイドルに出会う。「道哉推し増やします。みなで幸せになろうね」「道哉という一点に。快感だった。久しく出会えていなかった幸福感だった」・・・・・・。
そして隅川絢子35歳――。契約社員。舞台俳優の藤見倫太郎を熱烈推し活。恋人も貯金もナシ、故郷を離れての一人暮らし、結婚願望なし。だが突然、その倫太郎が死亡する。そして、「推し活は素晴らしいと儲けを吸い取る奴がいる。----だが、あの社長もプロデューサーも、結局は利用されてるんだよ。この国を乗っ取ろうとしている黒幕に。黒幕側が進めている日本弱体化計画」と陰謀論にはまってしまう。
三者三様。それぞれの葛藤とのめり込みと暴走。やがて物語は渋谷駅前で絡み合って破滅的な終末ヘ・・・・・・。
「女同士って、お茶とか電話とか、そういう男の世界にはないコミュニケーションがいっぱいある気がするんですよね。男同士ってやっぱり、ちょっとでも弱い感じに見られるのを避けたがる。会話をする明確な目的や確固たる理由がなくなると、途端に何を話せばいいかわからなくなる」「ここ最近、アメリカで宗教右派勢力がぐいぐい来てるっていうのはみんな知ってるでしょ?その原因の一つが、メガチャーチっていう巨大教会。これまでの伝統的な教会と教義の面はあまり変わらないが、支持者たちの士気がめちゃくちゃ高い。礼拝がライブみたいな感じなんだって」「仲間たちと手を取り合い、同じ目標に向かって団結することの充実感。すべてがありがたく、とても尊い。そして集金」「無宗教の人が増えたアメリカでは、神の力が弱まってて、その代わりになるストーリーが必要で、そのストーリーをコミュニティーと一緒に提供できるのがメガチャーチなの」・・・・・・。
「皆、自分を余らせたくないんです」「自分が余ってしまっていると、余白がある分、視野は広がり、迷いも膨らみます。その余白を使って自分を客観視できてしまうから、我に返ることができてしまうんです」「だからこそ、自分がこれを"幸せ"として生きるって決めたら、そこで自分を過剰に消費し尽くそうとする人が多いんだと思います。何かに対して自分を余すところなく使い切っているという本人以外が崩しようのない幸福感を得られるわけですから」・・・・・・。
「自分を余すことなく、使い切る幸福感」――そんな虚無が現代の幸福感とは、いかにも寂しい。「哲学とは辺境の防守である。辺境とは、虚無と人間の境である」という40年前ほどに出会った言葉を思い起こす。砂粒化と哲学不在は深刻なほど進んでいる。
「増え続ける外国人とどう向き合うか」が副題。訪日外国人旅行客が今年、ついに4000万人の超え、在留外国人数も昨年末376万人、昨年1年で35.8 万人増加している。これに対し、治安や社会保障に関する不安の声も多く、「排外主義」まで台頭している。実際はどうなのか。本書は、これらの風聞の誤りを、エビデンスを基に指摘、移民政策の歴史と未来について考察する。現代日本の移民をめぐる最重要課題を明確に捉え、これからの日本の外国人問題のあり方を指し示す極めて重要な著作だ。
言われている風説は誤解だらけ。「地域の治安を悪化させるクルド人など。『経営・管理』の在留資格で滞在し、日本の義務教育や国民健康保険、高額療養費制度を濫用するリッチな中国人。出稼ぎのために来日する留学生。ゴミ出しや騒音問題を起こす外国人」などは、およそ荒唐無稽だと指摘する。
「今3%の日本だが、やがて10%になったら大変なことになる」と言うのも誤りで、先進国の外国人の割合は平均14.7% (フランス13.8%、米国14.5%、英国15.4%、ドイツ18.2%、カナダ22.0%)。「少子高齢化に直面する先進国の中で、日本だけは『隠された人口ボーナス』がある国」と指摘する。
「日本は『移民政策が不在』でなし崩しの受け入れがされている」ーー実際は「機能的・制度的に、日本は移民政策を有している。日本は『労働移民』を中心に永住型・ 一時滞在型双方で国際的に見ても相当規模の移民を受け入れている。他国と比較して、労働中心の永住型移民の占める割合が大きく、むしろ日本はリベラルな『労働移民国家』と評価される」「一時滞在型移民についても、技能実習など研修生、企業内転勤、留学生の受け入れが大きく、世界第6位の規模となっている」「日本は永住型、一時滞在型を合わせて年間約36万人の移民を受けており、先進国中第7位の規模となる」と言う。日本は移民政策を取らない特殊な国ではなく、国連の基準に基づけば移民政策の整備状況は進んでいる。労働移民を中心に据え、永住への道を特定技能制度等で開いている評価されるべき国だと言うのだ。
日本の歴史を見ると、「ハイスキル人材の受け入れ拡大(技術・人文知識・国際業務として1989年改正)(2023年から特別高度人材制度に拡大)」「技能実習制度の創設(1993年)」「特定技能制度(2019年)」などで拡大。特定技能制度は特定技能2号への移行によって在留期間の更新に上限がなくなり、戦後、「管理と排除」から始まった入管行政が「人手不足への対応と経済成長重視」に大きく変化したと言う。「技能実習制度から特定技能制度を通じて『技能形成を通じた永住』という国際的に見ても珍しいスキームを生んだ」「人口減少が本格化する2000年代以降に、本格的な労働移民政策を日本は欧米と違い、職の奪い合い、失業による貧困、社会保障への圧迫といった問題は、構造的に起こりにくい」と指摘する。
「日本は成長しない『選ばれない国』になる」と言うのも誤り。国際移住は「意欲ー潜在能力モデル」が最も包括的理論で、「貧しいから先進国に行く」ではなく、堅調な経済成長を遂げるなかで、個人の意欲や能力が高まっている故に、先進国を目指す。「日本の人気はアジア諸国で高く、特に経済発展が進む国や高学歴層からの支持が高い」と分析している。「アジアから産油国と日本に向かう」現実があるが、「産油国へは出身国の経済水準が高くなるほど急速に低下する」と言う。アジア諸国からは米国に次いで日本に移住する人気が高いと言うのだ。「選ばれない国どころか、人気を高めている日本」「アジアから来る留学生や技能実習生は、学歴の低い貧しい人たちではなく、人生のチャンスを掴もうとする勢いのある新中間層出身」「中国人の『日本侵略』も間違いで、国境を越えてチャンスをつかもうとする起業家精神の表れ」だと言う。
空前のペースで増加する国際移住。ハイスキル人材だけでなく、あらゆるスキルレベルでの人材不足が深刻化する現在の世界ーー。「排外主義が民主主義を破壊する」と言い、エビデンスを蓄積・整備し、効果的な政策の立案の必要性が心に迫る。「増え続ける外国人にどう向き合うか」ーー圧倒的説得力を持つ最重要の著作。
「世界のオザワ」の生涯。あのカラヤン、バーンスタインなどに愛され、認められ、ウイーン国立歌劇場音楽監督にまで上り詰めた小澤征爾。「セイジ、きみはいったいどこの惑星から来たんだい?」とバーンスタインは言ったという。まさに異次元。舞台も友人・知人も世界。指揮と同じように汗だくの全力疾走。「ダメでもともと。失敗を失敗としない」と描かれるが、目指す世界の次元自体が違っていたと思われる。
1935年満州生まれ。成城学園高校1年を中退、桐朋女子高校音楽科第1期生として入学、斎藤秀雄に師事。桐朋学園短期大学に入学。1959年2月、貨物船に乗り込み、マルセイユからパリまでスクーターで走る。まさに型破りだ。直ちに、数々の若手指揮者コンクールで受賞する。わずか20代半ばだ。
1962年の「N響事件」――。遅刻、振り間違い、若くて生意気もあったが、「NHKのやり方」との対立で、「小澤征爾ボイコット」「小澤はNHKを提訴」――。「征爾、燕尾服に着替えろ。文化会館に行くんだ」(浅利慶太)。一人で指揮台に立つ。N響を指揮したのは32年後の1995年だった。
本書は、「ニつの恋」「日本フィル分裂事件」「新日本フィルとボストン響」「サイトウ・キネン・ フェスティバル」「世界の頂点へ」「初心に戻る」の各章を立てて小澤征爾の疾風怒涛の人生を語る。
スピルバーグは「シューベルトやプロコフィエフや、ましてマーラーでもなく――もちろんそれはそれで素晴らしいのだけれどもーー指揮台の上にいる、まるでバレエでも踊っているようなスポーツ選手、驚くほど黒くてふさふさの髪をして、白いタートルネックのシャツにビーズのネックレスをしたすごい人物、のせいだった。これがセイジ・オザワその人だった。彼の溢れるエネルギーと優雅さとダイナミズムに、打ちのめされてしまった」と一文章を寄せる。「ヨーロッパへの客演指揮も増え続けた。小澤には20世紀の最も影響力のあるニ人の指揮者が後ろ盾となっていた。カラヤンとバーンスタイン。全く肌合いの違うこの両巨匠から弟子とされて可愛がられた指揮者は、小澤征爾だけだった」「しなやかな動物のような小澤の指揮はいつ見ても楽しい。だから、いつも聴衆は熱狂的な反応を返すのである。小澤が自信に満ち溢れる時、時に周囲を混乱に巻き込む。それは、小澤が主張をあくまでも完結しようとするからだった」と描く。それにしても小澤を助ける世界の音楽・政財界など各界の人々の多さは驚異的だ。凄い。
それは、小澤征爾の人間的魅力、挫折を乗り越え、世界の頂点を目指し続けた強烈なエネルギーの魅力であることを感じさせる圧倒的な著作。
「アンネ・フランクの連行された日」が副題。「アンネの日記」は、1942年6月12日から1944年8月1日まで、ドイツ占領下のオランダの首都アムステルダムの隠れ家時代の記録が綴られている。その3日後の1944年8月4日、隠れ家に潜伏していた15歳の少女アンネ・フランクたち8名のユダヤ人が、ナチ親衛隊率いるドイツ当局に連行された。1930年代初め、ユダヤ人たちが相次いで目指した「自由の国」オランダに、まさに「自由」を求めて、ドイツから移り住んでいたのだったが・・・・・・。
「アンネ・フランク一家は、なぜオランダで捕まったのか(事件の全容)」――。「広場の青春(アンネは一人じゃなかった) (広場の3人娘、アンネ、ハンネ、サンネ)」・・・・・・。オランダでは歴史的にユダヤ人が住民として受け入れられ、自主的に難民支援を開始していたが、1940年5月、ドイツ軍がオランダに侵攻、ユダヤ人の生活は一気に暗転した。
「ドイツ占領下のオランダで、ユダヤ人はいかに追い詰められたのか (事件の背景と結末)」――。華やかなオランダ劇場は接収され、収容所への移送拠点になってしまった。その向かい側に保育園があった。これがレジスタンスの有数の拠点となり、「闘う保育園」として子供たちを脱出(滞在した子供の1割の600人)させた。アンネは、ベルゲン・ベルゼン強制収容所の劣悪な待遇に苦しめられ弱っていったが、親友ハンネとのうれしい再会もあった。
「アンネつながった"ほんとうの"友だち(同時代へのインパクト)」――。オランダにアンネと同年の少女オードリー・ヘプバーンがおり、「魂の姉妹としての交歓」は衝撃的だ。1945年5月、父親のオットーが帰還、「アンネの日記」が刊行される。著者はここで「隠れ家での日記」を深掘りする。小川洋子とアンネの「閉じられた空間」「静かな孤独な空間のように見えて、この閉鎖空間の中にある人々は実に自由に、自分独自の方法で、語り、文章を綴り、他者と関わり、痕跡を残す。不自由に見える閉鎖空間が自由で創造的な空間に転化する」ことを語っている。「小川洋子さんの中に、どこかの時点で閉鎖空間を出て外の世界に出ること、そこで本当の自由に出会うことへの憧憬を感じる」と言っている。深いし納得する。
「自由な国オランダはなぜ、ホロコーストの犠牲者がユダヤ人住民の73%に達したのだろうか。他の国より格段に高い比率だ」――。それはオランダの行政機構や公営企業、民間団体が、占領当局の指示に忠実にし従い、「従順」に実行してしまった。そしてその背景には、オランダがユダヤ人を受け入れ、市民として平穏に暮らすことができる自由で寛容な国であったからでもある。
2020年1月、アウシュヴィッツ解放75周年でルッテ首相は謝罪演説。2023年7月オランダ国王は「奴隷制・奴隷貿易に対する国王の謝罪」が行われている。「アムステルダムの自由と寛容の背後には、大勢の他者の『不自由』があったのだ」と水島さんは言い、「この『他者の不自由の上に成り立つ自由』という問題は、難民が世界的に増加する現代の各国が向き合うべき重要な課題であり、日本も無縁ではない」と問題を提起している。
かなり人間の本質に関わる問題の根の深さを考える重い著作だ。
人生をたっぷり経験した熟年男女が織りなす6短編集。分別もあり、互いに相手を尊重、恋もあるが抑制的、プライドもチラッと覗かせつつ、これまでたどった人生の節を心に思い出しつつ、今を生きる。「情熱と分別のあわいに揺れるあなたへ」「あなたはもう、大人ですか」と帯にある。老けゆく男の心情が、実に穏やかな筆致で描かれる味わい深い大人の短編集。
「兎に角」――。同級生だったカメラマンとスタイリスト。40年ぶりに片思いだった女性に会う。早期退職と離婚を同時期に体験した後、北海道に戻ってきた男。人生も円熟期だが、ふと蘇る40年前の記憶。半月に一度の撮影ペースで一緒に仕事をする。同性カップルの記念撮影、遺体を囲んでの家族写真・・・・・・。「淡々と降り注ぐ雪のように、人の幸福をひとつずつ心に溜めてゆく。兎に角----とにかく今日は、壁のジャッカロープが牧村を見て、微笑んだのを見逃さなかった」・・・・・・。
「スターダスト」――。とうを過ぎたサックス奏者と作曲家。若いディレクターに曲の作り直しをさせられる。「お互い時代を捉える瞬発力が落ちているのは明らかなのだ。『得意なところ抑えてほしい』などと若造に指摘されては、わかっているぶん憤慨もする」・・・・・・。「追い詰められた作曲家が、噛み付くように出してきた曲は、糸井を狂気させた」。老いの哀しみと意地が滲み出る。
「ひも」――。「ボケたら関係解消」が条件の70代ホストと美容室店長の中年女性。「体でお返しできないヒモ、江里子が言うところの『得がたい知恵袋』は、今日も女のために時間を使う」・・・・・・。ヒモという弱い立場の老人の気の使いようは尋常ではないが、哀れではなく人生が上品に見える。この2人、すっかり「寸借詐欺」に会うのはコメディー。
「グレーでいいじゃない」――。ジャズピアニストのトニー漆原が死んだ。ピアニストの母は、息子を本格的なピアニストにしたかった。「グレーでいいじゃない、突き詰めんなよ。どこからか、トニーの声が聞こえてくる」・・・・・・。
「らっきょうとクロッカス」――。順調に出世街道を歩いていたはずの札幌の裁判所職員の女性。突然、釧路に転勤させられる。小説家の妻を亡くした60歳を過ぎた弁護士と交流するうちに、次第に心が惹かれてメールのやりとりをする。「わたしずっと、百点を取り続けてきたんです。今までずっと、百点を取っていないと安心できなかったんです」「百点を手放した日々には、悔しさもなかった----この気楽さはなんだろうか。釧路に来てから、ほとんど、損得の計算をしなくなった」・・・・・・。
「情熱」――。60になる遅咲きの小説家が、同年代の女性大学教授と出会い、彼女のふるさと下関を案内してもらう。過去を明かさぬ彼女だったが、昔の恋人の話を聞く。「14で出会い、15のときには約束した場所で、5時間待つほど焦がれ、20歳を過ぎてから再び学ぶことを勧めた男は、彼女を置いて死んだ」「女の生きてきた60年を思うと、これ以上立ち入ってはいけない気がした」・・・・・・。
「なにが足りなかったのか。あのときどうかすれば、人生の潮目は変わったのか」――。人生の夕暮れの男には、それぞれの円熟と諦念があるものだ。
