「リチャード・ローティの哲学」が副題。「分断」の線が100年前のように国と国の間に明確に引かれているだけでなく、同じ国の中で生きる市民たちの間にもはっきりと引かれてるような今の状況。相容れない集団同士の対立、互いに「われら」「やつら」と対立し、さらに昨今、「正しさ」がSNSで攻撃し合う社会となっている。この「『正しさ』で殴り合う世の中で他者とどう語り合えるか」「わかりあえない他者を敵にしないためにどうするか」――。リチャード・ローティの哲学から、「それでも人が共に生きる可能性」を問いかけ、"正しい"結論を求める「議論」「対話」ではなく「会話」の重要性とその可能性を指し示す。
ローティは、リベラルを自認していたが、「『正しさ』を武器のようにふるう攻撃的な立場ではなく、『正しさ』に伴う攻撃性に向き合い、抑制的であるように努め、それを自らに課す態度」「ことばづかいこそが決定的に大切なのだ」と言う。そして「『絶対的な正しさ』や『客観的な根拠』は有害でさえあって、きっぱり手を切るべきだ」「客観性(絶対的・必然的な正しさ)ではなく連帯を」と言う。「否応なくバラバラな世界で、バラバラなまま、しかし共に生きるために、どんなことばを使うべきなのか。事実に向かい合い、お互いに降りかかる苦しみや痛みが取り除かれるよう願うこと、手を携えること、ことばを交わすこと。それが連帯だ」と言う。ネガティブ・ケイパビリティが必要だと思う。
伝統的な哲学はプラトン以来、「真理を探求するもの」「普遍を求めるもの」とされてきた。デカルトも「普遍的なものを客観的にどう認識するか」、西洋分析哲学(言語哲学)である。その意味で、ローティは「アンチ哲学」となる。「哲学の役割は、正解を出して会話を終わらせることではなく(黙らせることを目指さない)、人々が会話を続けられるようにすることだ」「真理ではなく言語実践。哲学は、永久に答えが出ないような話をするのではなく具体的なことばづかいの問題にこそ固執すべきなのだ。ことばを使って自由に自己創造ができる」と言うのだ。
ローティは、「哲学と自然の鏡」「偶然性・アイロニー・連帯」を主著とするが、「アイロニーの対極にあるのは常識である」「自分の終極の語彙が、絶対のものだとは思わず『さらに良い』方向へ向かっていこうとするのがアイロニスト」と言う。常識は「自分が正しい」を招いてしまう。そして「公と私が合致する『共通の本性』などはない」」「『公私の一致』という理想が人を黙らせる」と言う。そして「リベラル・アイロニストであるからこそ、それぞれバラバラなままで、それでも共に生きるという『連帯』の希望を抱くことができるのです」と著者は導き出している。
「ことばによる『非-人間化』に抗う(われわれとやつら、やつらは人間ではなくゴキブリ)」――。「連帯」は、真理の探求や知識の基礎づけによって発見されるのではなく、個別の人間に対して、同情やシンパシーといったものを手がかりに創っていかざるを得ないものだと言う。そして「残酷さ」に対する感性を磨き、天から降ってくるような「正義」ではなく、会話によって「われわれ」を拡張することだと言う。それは「小さな手がかりから連帯せよ」「われわれという範疇を少しでも広げることだ」と示唆する。
「分極化した時代をどう生きるか――ローティの『予言』から考える」――。トランプ現象の予言と「文化左翼」批判、攻撃的な自国第一主義と専制政治批判を通じ、「現状を嘆き、根本的な価値転換を謳い、本質的な解決といった空手形を切って、大衆に『改心』を迫るような『知識人』たちの身ぶりを、老いたローティは肩をすくめながら、しかし真剣に戒めている」と言う。
そして「『正しさ』を乗りこなす――『リベラル』を描き直すために」――。「共生の作法としての『リベラル』」「他者と共にいることに耐え、ことほぐ作法としての『会話』」「バラバラな世界で、共に生きる」。たくさんの「正しさ」に取り囲まれている私たちだが、それぞれに異なる「正しさ」を踏まえてどう一緒にやっていくか、終わることのない営為だ。最も普通のようだが、最も難しい営為。現実を直視した臨機応変の自在の知恵のダイナミズムだと思いを深くした。
「免疫とは」「免疫の成り立ち」「免疫と病気の関係」「免疫とワクチン」「がんとの戦いと免疫療法」「アレルギー」「免疫と体、睡眠、ストレス、生活」「合成生物学と免疫学」など、免疫学のエッセンスを73項目にわたって豊富な図解も交えて解説する。人体の不思議と凄さ、病原体と格闘した人類の英知の歴史、免疫学の現在地について思い考えさせられた。
「感染防御は3層構造」――。①皮膚や粘膜(物理的、科学的、生物学的防御) ②古い白血球(自然免疫系) ③新しい白血球(獲得免疫系)――。白血球と総称される細胞集団が免疫系で約40兆個の細胞のうち2兆個位(約5%)の細胞で構成される(諸説あり)と言う。
第一の防御ラインは自然免疫。マクロファージがパターン認識受容体を介して病原体を認識して貪食。サイトカインという免疫制御物質を分泌して、血液中にいる好中球などの免疫細胞に応援を頼み戦う。サイトカインは細胞同士の情報伝達を担うタンパク質分子の総称で100種類以上あると言う。「敵が来たぞ」と緊急を伝えるわけだ。マクロファージは貪食の他にも炎症の始動、抗原提示など役割を持つが、痛みを誘発したりするサイトカインなどの分子を放出するため、赤く腫れて痛む(壊れた組織の修復も)。ステロイドは炎症を抑制する薬なので感染症が長引いたり、手術の傷口の治りが遅くなることにもなる。敵が強大だとサイトカインの暴走(サイトカインストーム)を起こすこともある。
第二の防御ラインが獲得免疫だ。これはリンパ球。脊椎動物はこの進化的な新しい白血球を持つことで、自然免疫に加えて獲得免疫という緻密で強力な感染防御機構を手に入れた。リンパ球は、T細胞とB細胞の2つに大別され、T細胞はヘルパーT細胞とキラーT細胞に大別される。リンパ球は抗体という高精度のミサイルを作ったり(B細胞)、細胞内に隠れた病原体を見つけて殺傷するキラーT細胞で病原体を攻撃する。自然免疫と獲得免疫の最も大きな違いは病原体を感知する識別能力と言う。リンパ球は戦って死ぬが、一部が体内に記憶リンパ球として生き残り、同じ抗原(病原体)の次回の侵入に備える。これがワクチンにつながる。すべての抗体はB細胞により作られる。またリンパ球が自分の臓器を攻撃することを防ぐ仕組みが胸腺という臓器。自己反応性T細胞を体内からせっせと常に消去していると言う。リンパ管系は免疫細胞の移動経路であり、この組織中で産生された老廃物を含む排水がリンパ液。リンパ管の流れは遅く、リンパ液はうっ滞しやすいので、顔や足のむくみが生ずる(マッサージが有効)・・・・・・。
「マスト細胞の活性化でアレルギー反応が起きる」「アレルギー発症のカギIgE」「花粉症」「喘息」「アトピー性皮膚炎」「自己免疫疾患」「関節リウマチ」などの仕組みが解説される。
「免疫とクスリ」「ワクチン」「新しい原理のワクチン・ メッセンジャーRNA」「免疫でがん細胞を叩く治療法」」・・・・・・。
「免疫とからだの新しい関係」――。「環境と生活習慣は免疫に影響する」「腸内細菌は免疫を形づくる」「適度な運動は免疫を高める」「ストレスは免疫を低下させる」「規則正しい生活により免疫力が保持される」・・・・・・。そしてこれからの「新しい技術開発と免疫学 シングルセル(1細胞)解析」「合成生物学と免疫学」を紹介している。
我々の体内では広大な宇宙のような世界が広がり、激しい攻防戦が展開されている。
「祖父さまが草原をわがものにしていったように、俺は海をわがものにしたい」「俺は水軍を作るぞ、竜夏以、まず造船所をな。その方面の人間を選ぶ。時がかかるだろうが、何十艘もの船隊を、海に並べてみたい。海のむこうにあるものも、見てみたい」とクビライが語るところで、この第三巻が終わる。蒙古襲来への布陣が着々と敷かれようとしていた。一方、北条時頼は執権を辞し、最明寺入道と呼ばれる身になったが、「国を守る」意志は全く変わらない。特に次を託す時宗を厳しく訓練する。さらに大モンゴル国、高麗、南宋の動きに目を凝らしつつ、水軍を作り上げ、日本各地の水軍等と連携を取りまとめ上げようとする。
皇帝モンケが戦場で急死、クビライは帝位を主張する弟のアリクブケと争い、最初の戦いで一方的勝利を果たし帝位を決定的なものにする。アリクブケは戦いをあきらめないが、クビライは戦いのたびにこれを殲滅。中原に残る漢人の軍閥をも攻略、南宋に再び攻め入ろうとする。「南船北馬」の通り、南宋全土には、網の目のように大小の水路がある。陸の大軍とともに、クビライは水軍による海からの攻撃の準備を強力に進める。南宋は丞相・買似道、将軍・孟宣らが堅牢な布陣を敷こうとする。激突の時が近づいていく。
最明寺入道・時頼は、国を守る使命感をさらに奮い立たせる。幼い時宗を長い旅に出して、自らも様々な人間に会う。夏島では造船が進み、妻の葛西が独自に開いた交易の道も藤乃、今福船隊の働きで太くなってきている。時宗は密かに鎌倉を出て、津軽の十三湊、そしてウラジオ(速頻路)へ向かう。安達泰盛、梶原水軍の野入左近、松浦党の佐志タケル、商人として働く仙多が加わる。
高麗は大モンゴル国による熾烈な圧力にさらされていた。高麗の南岸の島々と珍島と巨済島・・・・・・。風の王・波瀬祐佳を筆頭に一族は懸命に守り抜こうと結束して戦い勝つ。
それぞれが自分の存在をかけて戦い、やがて来る決戦へ備えていくのだった。
塩田さんの初期の3つの短編と今年の小編。切れとユーモア溢れるとても良い話。
「小さい上司」――。いい加減でテキトーでケチで飲み会でも"途中ドロン"の係長・小山田義男。新入生の吉村啓太は、仕事は適当に振られるし、笑うしかない呆れることばかり。しかし啓太は小山田が両親の看病をしていたことを知る。職場の人はそれもわかっていて接していたのだ。誰とも何でも話し合えた学生時代だが、「社会人の人間関係はまるで違う。極端に言えば、互いに仮面をつけたまま、付き合いを重ねていくようなものだ。今のようにふと画面がずれたとき、見たこともない素顔を目にすることになる」「彼は愛すべき人。そう思うと腹も立たない。啓太は少し、大人になったように自覚した」・・・・・・。しかし、この上司、「小さいなぁ」・・・・・・。なんとも面白い。
「鈍い火」――。小学生が意識不明の重傷を負った交通事故裁判の担当になった新聞記者の瀬戸山育郎。執行猶予3年、加害者の態度、事故が起こるような場所じゃない一方通行の道路などに違和感を持った育郎は独自で調べ始める。驚くべき真相と結末が----。鮮やかだ。「人生の天秤は必ず未来へ傾く」・・・・・・。
「仮縫い」――。高校時代からつるんできた誠、浩一、秀樹、修、そしてリンネンこと林稔。「今年48やぞ、俺ら」・・・・・・。そして、「リンネンが結婚した」の報。なんと一番冴えなかったリンネンが5人全員の憧れの青木由美子(テーラー青木)と結婚することに・・・・・・。リンネンは定期的に仕立てを頼み、ついに10年前、仕立て屋になっていた。「想いを実らせた親友を見て、また成長できると思うと、足取りが軽かった。自分自身にももう少し誠実に向き合ってみよう。・・・・・・でも私は未だ、仮縫いの分際なのだ」・・・・・・。
「起点」――。孫が大学の課題のために訪ねてきて、「おじいちゃんがちょうど50年前に出版した『罪の声』って作品について聞かせて」と言う。つまり2065年頃の話だ。人間が"機械仕掛け"になり、義務教育修了後に脳内チップを装着することが基本となっているという時代だ。祖父は時代に取り残され、なんと紙の本を読んでおり、「もの書きを目指すんやったら、常に人の胸の内に答えを求めろ」「取材対象が秘めてること、悔やんでること、信じてること――そういった奥深い領域に触れられるか否かが勝負や」と言うのだった。
速斗と一樹はサッカーのコーチ・巽に追われ、廃校となった小学校に逃げ込む。そこで光汰朗を発見、駆けつけた透真らとともに怪我をしている光汰朗を救出する。巽は児童虐待で逮捕される。安堵と喜びに包まれるが、その後光汰朗は、「オレをつれていったの、逮捕された、あの人じゃない」「本間先生」「本間先生から、あの日、お前の家は人殺しだって、言われた」と言う。光汰朗の通う小学校で定年後に図工の専任講師を務めていた本間尊が監禁したという驚くべき発言だ。本間は逮捕される。本間は轢き逃げされた田村真也くんの担任で、「25年前、誘拐事件の直前に、新沼家の紗英さんか父親の忠治さん、どちらかが小学生の田村晋也くんを轢き逃げした」との噂を信じて新沼家を恨み、孫を攫ったという。
透真はL新聞に、「忘れざる夏」(噂はなぜ広がり、止められなかったのか)のコラムを書き反響を得る。「心配し、気遣う気持ちとともに、噂が広がる一因となるのはまぎれもなく私たちの興味と好奇心だ。悪意だという感覚すらなく、わかりやすい真実を求めて、地元だからと事件に前のめりになる」・・・・・・。
その後、事件は驚くべき展開を見せる。服役中の久我受刑者が長男、次男等に手紙を送り、自分が田村真也くんを車ではね、死亡後に遺体を遺棄したというのだ。これをどう受け取ったらいいのか。時効となり、関係者は静かに生きようとしてる者もあり・・・・・・。その重い結末は・・・・・・。
本書の圧巻はミステリのどんでん返しなどの展開ではない。被害者家族、加害者の長男・次男、行方不明となる子供の担任・学校関係者、報道する側の倫理、そして小学生自身の純粋な心の優しさ美しさ----。その葛藤、苦悩、愛憎のアンビバレンツが実に深く抉り出される。愛娘を失った新沼忠治の抑制された丈夫の心、親をこれほどまでにと思うほど気遣う小学生の光汰朗たち、逮捕された教師・ 本間の真也への思い・・・・・・。ミステリの筋立てとは別次元の辻村深月の世界が押し寄せ、人間の思いやりの深さと素晴らしさを感動のなか噛みしめる。「失ったものと、得たもの。覚悟して行動した先に、傷ついても、それでも得られた絆がある。言葉がある」――。それが最後の一行、「小蒔山を秋の太陽が照らしている。眩い光がプリズムを作り、光の粒が雪のように自分たちに降り注ぐのを――その時、透真は確かに見た」とある。噂の「ファイア・ドーム」が、光の粒の「スノー・ドーム」と転化する。
勿論、本書のテーマが、噂の「ファイア・ドーム」の恐ろしさにあることは間違いない。「負の言葉一つの破壊力に、どれだけ人の心が傷つけられるか」「噂は軽薄な娯楽だ。一時、興じて、あとは忘れる。消費して捨てる。その時にどれだけ熱くなったとしても、意図的に責任から逃れるよりも、ある意味では罪深く、だからこそ、恐ろしい」「狭い地域の中で、噂になったら生きていけないから」・・・・・・。
「ファイア・ドーム」の辛酸を舐め続けた忠治は久我の息子たちに言う。「私たちみんなで、一緒に背負おう」・・・・・・。胸に迫り、涙腺を揺さぶる小説だ。噂の刃を乗り越えるのは、苦難を共有する人間の心の深いつながりにある。
