masukareido.jpgホテル・コルテシア東京を舞台にして、捜査一課の刑事・新田浩介とフロントクラークの山岸尚美のコンビが事件を解決する「マスカレード」シリーズ第5作。新田は刑事を退職し、ホテルの保安課長として勤務している。

今回、ホテル・コルテシア東京で急遽、日本推理小説新人賞の選考会が行われることになる。最終候補者のなかに、殺人事件の容疑者・青木晴真がおり、選ばれれば記者会見をすることになるいう。

発端は2か月ほど前、奥多摩の山中で遺体が発見され、看護師の宮原亜子と判明。交際相手であり、同じ総合病院に勤務していた青木が容疑者と見られ行方がわからなくなっていた。その青木が、なんと日本推理小説新人賞に応募、最終候補作品に残ったというのだ。警視庁捜査一課の女性警部・梓真尋らが潜入、新田と尚美が全面協力することになる。選考委員、青木と思われる男、宮原の妹等関係者がホテルに集結するが・・・・・・

一方、約30年前、新田の父・克久が弁護人となった大泉学園家族殺傷事件(母親と孫を殺害、娘に重症を負わせた会社員梶谷徳雄による殺人事件)の関係者もこのホテルに集まることになっていた。その結末は・・・・・・

この全く違う2つの殺人事件の真相と解決に向けての知恵の攻防戦は、さすが東野圭吾の世界。「姉が苦しんだ分、青木さんにも苦しんでもらわなきゃ、と思いました。制裁を加えたい、とも」「殺したいほど憎むのも、殺されて当然と思われるほど憎まれるのも、悲しい運命ですものね」「死ぬより辛い道を選ぶこと。生き続けて、償うこと。それが自分の宿命だと気づいたんでしょう」「心に仮面を持っていない人なんていません。時に被り、時には外す。そうして生きているんです。だからこそ、人生が豊かで楽しいものになる。私はそう信じています」・・・・・・。人の宿命、人の出会い。ホテルはその衝突する交差点。


toubou.jpg東日本大震災の混乱のなか、2つの殺人を犯し、逃亡しようとする青年・真柴亮。それを追う刑事・陣内康介たち。

生まれてすぐに、家族を捨てた父から突然届いた1通の手紙。それを手に、父のいる北へ向かう途中、津波の中で家族とはぐれた子供・直人と出会い、2人しての奇妙な逃亡となる。一方、陣内は事件に忙殺され、娘を必死に探す妻と決定的な辛い亀裂を生んでしまう。事件は、福島から岩手へ。避難所となっている体育館へ立てこもる真柴亮は・・・・・・

「この世には、どこまでもついていない奴がいる」「父親が(ひき逃げ)事故を起こしていなかったら――母親と別れてなかったら、亮がニ人の人間を殺してしまうことはなかったはずだ。いま、自分が警察に追われて、体育館に追い詰められているのは、すべて父親のせいなのだ」「どうしてこんなことになってしまったのか、考えた。いったい誰を恨めばいい。娘を失った悲しみのあまり、自分に間違った父親像を植え付けた祖父か。車にひかれた高齢者か。酒を飲んでいながら、車を運転した父親か。甲野が店で半グレと揉めなければ、眉なしに恨まれることはなかった。眉なしが死ななければ、警察官を殺さずに済んだ。そして、震災が起きなければ、自分は殺人犯にならなかった」・・・・・・。凶悪犯とは程遠い若者が、次から次と転落の罠にはまっていくのだが・・・・・・

あの東日本大震災の津波・・・・・・。必死に家族を探し、そして家族を失う。「命」「家族愛」のギリギリを追い求める、しかし「救いがある」「勇気づける」柚月裕子の力作。


baburu.jpg「"五輪を喰った兄"高橋治之と"長銀を潰した男"高橋治則」が副題。

あのバブルのなかホテル・リゾート開発事業などで、資産1兆円を築いた「イ、アイ、イ」の高橋治則。バブル崩壊とともに、長銀による支援が打ち切られ、彼の影響下にある東京協和信組なども破綻、956月、背任容疑で逮捕される。20057月、最高裁の判決を待っている最中に亡くなる。私と同じ1945年生まれ。その兄が、電通時代からスポーツマーケティングで敏腕を振るい、東京五輪組織委員会の理事となり、現在汚職で裁判中の高橋治之。

「バブルの申し子と呼ばれながら志半ばで逝った弟と、スポーツビジネスの"フィクサー"として、電通で出世の階段を駆け上った兄。二人にとって『イ、アイ、イ』グループが作り上げてきた帝国は、誰にも侵されたくない聖域だった」「『俺たち兄弟は二人で一大コンツェルンを確立しようと話し合っているんだ』 治則は事業を始めた早創期に、こんな言葉を口にしていたことがあるという。----そして兄自身は飽くなき上昇志向で、次々と成功を手にしながら、自らが作り出した強烈な磁場に翻弄されていった。もう二度と日本にこんな兄弟が現れることはないだろう」と描いている。

何もかも失った戦後、必死の復興、高度成長からバブル、そしてバブル崩壊、90年代後半の銀行・証券等の破綻、さらに長期にわたるデフレ・・・・・・。戦後80年の今、私たちも80歳になる。人の人生は、時代とともにあり、時代の空気を吸いながら生きてきた。右肩上がりと言うよりも、チャレンジ精神は時代の空気を身にまとったものだろう。失敗も多くなる。ケータイもネットもない。熱量が大きかった時代なのだ。

本書には、多くの政治家や官僚が登場する。皆、知っている人ばかりで、亡くなった方もいる。なぜか笑顔のとても良い人が多いような気がした。


nisso.jpg「帝国日本最後の戦い」が副題。玉音放送後も続けられた帝国日本の最後の全面戦争。日本とソ連との間で194588日から9月上旬まで満洲・朝鮮半島・南樺太・千島列島で行われた第二次世界大戦最後の全面戦争。玉音放送後に戦闘が始まる地域もあり、「ロシアはこの戦争で領土を得たが、対して日本では、ロシアは条約を平然と破って領土を奪取したという不信感が根強く残る。日ソ戦争は、このような不信感を基調とする現代の日露関係の起点である」「スターリンが奪取させた南樺太と千島列島の帰属と北方領土問題は、日露関係の最大の懸案のままだ。いまだに日露両国は『スターリンの呪縛』に苦しんでいるともいえる」「日ソ戦争の敗因は軍事と政治を束ねる政戦略家や組織が不在だったとはかねてから指摘されているが、最大の敗因は、政戦略家の不在ではない。既に対米戦で、日本の軍事力と経済は破綻しており、加えて、対ソ戦では勝機はなかった。国家戦略の失敗を作戦や戦闘のレベルで逆転するのは、いかなる軍隊であれ困難である」・・・・・・。 

これまで、ソ連の中立条約破棄、非人道的な戦闘の実態、さらにシベリア抑留や南樺太・千島列島の玉音放送後の真相を描く小説などをずいぶん見てきたが、本書は新資料を駆使し、米国のソ連への参戦要請から、各地での戦闘の実態、終戦までの全貌を描いている。読売・吉野作造賞、司馬遼太郎賞受賞など、評価の高さは納得するものがある。

「米国は対日戦で『原爆』とともに、ソ連の参戦を必要とした。194524日からの米英ソ首脳によるヤルタ秘密協定でドイツ降伏後23ヶ月以内の参戦を求めた(ドイツの降伏は59)」「ソ連は対独戦でニ正面作戦を避ける戦略」「726日のポツダム宣言はソ連抜きの『米・ 英・中・三国宣言』」「日本は最後まで戦争終結の仲介をソ連に頼んでいた」「スターリンは、核攻撃で日本の内閣が交代し、降伏が早まると予想、開戦を早めた」「日本は『一撃講和論』戦略に立ち、『国体』の変更を恐れ無条件降伏を拒絶した」・・・・・・。そして88日、ソ連の宣戦布告。2度の「聖断」、そして815日。米英との戦闘は終わった。しかし、「なぜ日ソ戦争は815日に終結しなかったのか」・・・・・・

「満洲の蹂躙、関東軍の壊滅(開戦までの道程、ソ連軍の侵攻、在満日本人の苦難、北緯38度線までの占領へ)」「南樺太と千島列島への侵攻(国内最後の地上戦・南樺太、日本の最北端での激戦・占守島、岐路にあった北海道と北方領土、日ソ戦争の犠牲者たち)」「日本の復讐を恐れたスターリン(対日包囲網の形成、シベリア抑留と物資搬出)・・・・・・。掘り出した新たな史料も含めて精緻に分析する。

トルーマン、スターリンを始めとする各国の思惑、「『日本軍の本質』を描く決定版(加藤陽子)」――大変よくわかる。「沖縄・広島・長崎と違って、日ソ戦争には公的な個別の慰霊行事もない。今は夢物語だが、すべての参戦国が参加して、犠牲者を追悼する場が設けられ、古戦場で日本政府や天皇・皇族による慰霊が実現する日が来ることを願いたい」と結んでいる。 


ryuukyuu.jpg「『沖縄問題』の原点」が副題。沖縄と言えば、昭和の戦争と沖縄返還、米軍基地等がすぐ浮かぶが、「琉球処分は『沖縄問題』の原点なのである」と、「尚家文書」など、新たな貴重な琉球資料を駆使して、琉球処分の歴史的位置づけを精緻に示す。今日まで続く沖縄の苦悩が胸に迫ってくる。

琉球はもともと琉球王国として日中の両属国家であった。明治政府は1872年、琉球藩を設置、「処分官」を派遣、1879年には、警察・軍隊を動員して沖縄県として強制的に併合、1880年の強く抗議する清国との八重山分島交渉までを「琉球処分」とする。

なぜ、日本は琉球の抵抗や清の抗議を押し切って琉球を併合しようとしたのか。日本政府は西洋近代の主権国家原則に基づき廃藩置県を断行、琉球の両属を否定して「琉球藩処分」とした大久保利通らは、西洋の主権国家原則を受け入れることを文明への道とし、台湾出兵と北京での日清談判を経て、逆らう琉球は守旧として処分した日本政府には、琉球を自国の領土として確保するという確固たる意志があった――などを指摘する。琉球王府は激しく抵抗する。自国を日本と異なる国家であり、日清両属の国家として維持しようとしたのだ。

1875年は、琉球処分の過程で最も決定的な転換点だった。この年、日本政府は琉球を日本の一部とするため、一連の命令を発した。特に琉球王府が強く抵抗したのは、清への朝貢を断絶する命令と、琉球藩の藩制を改革する命令だった。2つの命令(琉球併合命令)は、琉球から国家としての地位を奪うことに直結したからだ」と言い、「琉球王府対松田道之の日琉交渉」「妥協か、抵抗か――琉球王府と亀川党」「琉球救国運動へ――清・西洋諸国への働きかけ」などを丁寧にたどる。

琉球が沖縄県として日本に組み込まれた後も、清に助けを求めるなどの救国運動が展開され、グラント米大統領の仲介、琉球分島案が登場。日本は統治のために旧官吏・士族を懐柔するため、旧慣温存政策を取ることになる。また当時の列強による清や日本へのアジア政策が複雑に絡み合っており、島内での組織的抵抗は日清戦争まで続いていく。

著者が「沖縄問題の原点」と言う意味は重いものだ。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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