新しい福祉を考える時、ベーシック・インカムや負の所得税、給付型税額控除などを本格的に考えないと、社会保障の制度間の矛盾などが解決しないのではないか。
本書が書かれた当時の定額給付金については、「定率減税より定額減税が低所得者にはいい」とし、給付付き税額控除の意味をもつと私は言った。
本書は、じつに200年以上も前から、著名な経済学者・哲学者がベーシック・インカムを主張し、今でもガルブレイスやフリードマンをはじめとして、常に議論されてきたことを示している。エーリッヒ・フロムもだ。
つまり、福祉国家の理念は、
(1)完全雇用
(2)社会保障
(3)公的扶助(生活保護など審査が必要)
――の3つで構成されている(保険・保護モデル)が、ベーシック・インカムはそれを越えるだけでなく、労働(働かざる者、食うべからずの思考)や、ジェンダー、グローバリゼーション、所有(何が自分の持ち分か)など、根源的問題を考えて提起されてきたものであることが分かる。
「労働価値(家事は労働か)」「市民権(生きる価値、権利、生存)」という根源的問題から提起されてきているわけだ。本書はその長い論争をたどってくれている。
材木商・伊勢杉陣庄衛門が向島の料亭から新築普請用の熊野杉千本を一万両で請け負う。窮地の伊勢杉に伊豆晋平が助け舟を出し、貸元・あやめの恒吉が動く。その杉回漕に代貸の暁朗を同船させる。
三河屋の喜作、杉の目利き・伊蔵、下田湊の貸元・保利蔵・・・。命をかけた男が命がけの暁朗を助ける。矜持と侠気。
「海の怖さを知ろうともせずただ命をかけると言っても、それは言葉だけのことだ」
「肝の据わった暁朗だが、心細さからは逃れられなかった。そんな心持ちでいただけに、ひとの親切・気配りを示されると、つい甘えた。獣のように研ぎ澄まされた渡世人の本能が鈍くなっていた」
「知らないことを正直に言えば、ひとは喜んで教えてくれる。が、一度でもわけ知り顔を見せると、見抜いた相手は二度と正味の付き合いをしなくなった」
「積荷を流したまま、知らぬ顔で生き続けるほどには、命根性はいやしくねえ」
「渡世人は生きるか死ぬかの境目と常に向き合っている」
――映画にしたらどうなるだろう。
碁打ちにして数学者、天文学者の祖・渋川春海(安井算哲)が日本独自の暦をめざす苦闘。保科正之、酒井"雅楽頭"忠清、関孝和をはじめとして、1650年以降の江戸の知性が北極星をめざすがごとく一筋の道を突き進む。
戦乱でないこんな角度の時代小説が描かれる意外性とともに、困難が降り注ぐなかでも、純粋な善い人に恵まれることがいかに幸せか、その幸せ感が伝わってくる。
命じたのは名君・保科正之。
「人が正しき術理をもって、天を知り、天意を知り、もって天下の御政道となす・・・・・・武家の手で、それが叶えられぬものか」
「どうかな算哲、そなた、その授時暦を作りし3人の才人に肩を並べ、この国に正しき天理をもたらしてはくれぬか」
「この国の老いた暦を・・・・・・斬ってくれぬか」
ちょうど本書にある会津に3日間いた時に読んだことや、明暦の大火や玉川用水、利根川の東遷などを調べていたこともあり、面白かった。2010年の本屋大賞受賞作。
宇宙に字を書け、砂上に字を習え――と副題にある。
北大路魯山人は書家、陶芸家、美食家だが、この書を読んでそのすごさは次元を越えている。
「芸術は結局人である」
「人物の値打ちだけしか字は書けるものではない」
「(梅原龍三郎は)富士をにらみ倒して描く。・・・それでは、にらむたびに、それが邪魔になってますます描けなくなるだろう。・・・(大観は)人間は時々お灸を据えられることが必要だ。灸を据えられない為に、とかく人間はいい気になる。――全体を見て絵を描け、部分を集めてもそれでは絵にならぬ」
王義之、顔真卿、池大雅、そして良観に心酔していく歩みは、想像を絶する境地としかいいようがない。
格調高く、敢然として、恰幅があって、穏やかで、雄渾を秘めていて衒いがない、生命力溢れた魯山人の書の代表として山田さんは山代温泉の「白銀屋」の看板をあげる。私も一泊して魯山人の世界に触れたことが思い出される。
魯山人を語り切る山田和さんもすごい。
- 1