逆境は飛躍のチャンス.jpg最愛の妻を亡くして家族のために48歳で起業、活躍しているリッキービジネスソリューションの渋谷さん。

前向き、決断、人を大切に、行動力、信念、志、一人でも多くの人に喜んでもらう意欲、感謝、人脈、誠実、信用、人のご縁のありがたさ・・・・・・。とにかく素晴らしい。

アフラックの大竹最高顧問に紹介していただいた。


太田あきひろです。

「災害は忘れたころにやってくる」どころか、毎日のように猛暑、豪雨、これからは台風の季節。地震への備えも考えなければなりません。

「備えあれば憂いなし」――9月1日の防災の日を前に、今日(8/29)から各町会・自治会の防災訓練が始まりました。

暑いなか多くの方が参加。初期消火訓練やAEDの使い方、簡易トイレの設置、炊き出しなど様々な訓練が行われてました。

今の気象の変化もCO2が原因にあがっていますが、その他、都市部のヒートアイランド(冷房や車の影響も大)、エルニーニョやラニーニャ、天体の動きなど多くの要因もかかわっているようです。確たる科学的知見に基づいた"有限の地球"を守る適切な対応が急務です。

耐震工学を専攻した私としては、地球全体で活動期に入っている地震への対応に力を入れてきました。学校の耐震化、救命ライフラインの考えに基づいた整備などを急がねばなりません。頑張ります。


終わらざる夏.jpg昭和20年の夏。場所は、千島列島最北端の占守島(シュムシュ島)、そして東京、岩手、長野。

「百人の戦死者には百人の人生があり、千人の戦死者には千人の異なった勇気があった」――。

しかし、浅田さんは、戦争を軍人の側から書いていない。当然、軍人が出てくるが、それも夫婦、親子、友の心の通い合いのなかで描いている。

読めば読むほど「生きてくれ、生きてくれ、生きて家族のもとに早く帰ってくれ」と加速度がついてしまった。


DSCN0390 紀州神社1.JPG太田あきひろです。

猛暑となった21、22日の土、日。とにかく暑い日でしたが、地域では祭礼、子ども祭り、納涼祭や盆踊りが盛んでした。

地元・東京北区では紀州神社の祭りが行なわれましたが、王子や飛鳥山や音無川、当然、熊野神社等もそうですが、いずれも紀州(今の和歌山県)にある名称で、深い縁があります。

昔、この地域に根をはった豊島氏が(現在の東京では豊島氏、葛西氏が大きな勢力であった)、1100年代に紀伊国「守護人」となったこともあり、紀伊・豊島の強いつながりがひときわ強くなったようです。

北区内には熊野・紀州系の神社が多数ありますが、さらに、徳川吉宗が享保5年(1720年)、江戸城吹上から桜を飛鳥山に植樹して、さらに親しみとつながりが深まります。紀州出の吉宗自身が、王子や飛鳥山・音無川になつかしさを覚えていたようです。

王子は明治以来、渋沢栄一が活躍し、近代製紙業の拠点ともなったところでもあり、この歴史と伝統と文化はより継承、発展させるべきものだと思います。


40歳の教科書.jpg「小学校からの英語教育は本当に役立つのか」
「中高一貫校は幸せへのプラチナチケットか」
「お金と仕事をどう教えるのか」
「挫折や失敗をした子どもにどう接するか」
の4テーマについて、14人の日本のトップが語っている。主張は率直、きわめて明快だ。

「エリート大学生は挫折も失敗も知らず、正解主義の王道を歩んできたぶん、失敗に弱い」
「失敗を身体で知り、どんな場面でも柔軟に対応できる本物の力が身につく」
「うつ病には正解主義の負荷を外してやること」
「ほめるより有難う」
「正解主義の基礎学力では対応できない時代(情報処理力)。これからは情報編集力、頭の回転の速さ」
など現場から語られる言葉は重い。この本は大変面白い。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

月別アーカイブ

上へ