危険なビーナス.jpg病院や介護老健施設など手広く事業を行っていた矢神康之助、その莫大な資産を受け継いでいたその長男・康治。それを受け継ぐことになっている直系の孫の明人。康治が病で亡くなろうとしており、矢神一族が集まるが、明人は米国で仕事に忙殺されているという。代わりに現われたのが、明人の妻を名乗る楓という女性だった。ところが彼女は「明人君、行方不明なんです」と父親が異なる義兄の伯朗(旧姓の手嶋に戻った)に助けを求めてくる。伯朗は積極的な楓にぐいぐい引っ張られ、矢神家の遺産と謎、急死した母親・禎子の真実に迫っていくことになる。

よくある名門一族の遺産をめぐるゴタゴタ劇かと思いきや、全く違った展開を見せる。売れない画家であった伯朗の父・一清が最後に描いた不思議な絵。伯朗の母が言った「貴重なものを康治さんから貰っている。貴重すぎて手に余るほどだ」という宝物の正体。サヴァン症候群、フラクタル図形をめぐる康治の研究。一族に秘められた謎の真実とは・・・・・・。

この10月から始まったテレビドラマ「危険なビーナス」。妻夫木聡(伯朗)と吉高由里子(楓)がこの「三十億の遺産をめぐる"危険な"ラブサスペンス」を演ずるが、心理戦が多いので、映像にするのには相当苦労したのではないかと思う。


19日、千代田区の国立千鳥ケ淵戦没者墓苑で開かれた終戦75年の節目の年の「秋季慰霊祭」(同墓苑奉仕会主催・津島雄二会長)に公明党を代表して出席。戦没者のご冥福をお祈りし、献花しました。

式典には、秋篠宮皇嗣同妃両殿下、内閣・国会議員、遺族の代表らが参列しました。


孔子とその学問.jpg「林大幹先生(国務大臣、環境庁長官)は、このたび――永遠の心を求めて――『孔子とその学問』と題する著作をものにされました。安岡正篤先生の高弟として、お若い時からその薫陶を受けられて、孔子の思想、儒学の大系、東洋的な物の見方、考え方に精通した泰斗であられます」と、平岩外四氏が序文を寄せている。

「人間の本性とは人間に備わっている『徳』を指す。人間はこの『徳』を抱いているがゆえに他の万物との『別』を保てる」「『人間はつねに孤(一人)に非ずして、群(集団)である(荀子)』との認識に立って個人が自分及び社会に対して果たすべき責務と個人と社会との在るべき姿を示した教えが儒教」との骨格をまず明らかにする。そこから他を思いやる心情の「仁」の徳(仁は人プラス二から成る)、正しい秩序を立てる基準が「礼」の徳(調和の徳)、集団生活には変わることのない不変の原則を確立することが不可欠であることから「信」の徳、行動規範としての「義」の徳、温故知新の未来への創造である「智」の徳。――この「五つの徳」を根本として生きていく。そこから「永遠の心を求めて」「永遠の生命・道と徳」と本書の骨格が語られる。

「吾が道、一以て之を貫く。夫子の道は忠恕のみ」「君子は和して同せず。小人は同じて和せず」「為政者の五つの徳――威・愛・清・簡・教」「東洋政治では道徳と政治は不即不離のものとし、一体観で貫かれており、すべての人が所有している徳性を、最も善く鍛錬した人物(道徳的・精神的に人格を陶冶した賢者)が政治の衝に当たるべきとした」「政治も経済も文化・芸術も、その根底にある人間の心・精神によって支えられておることを知らねばならない」「道徳を基本としない政治は王道を捨てた覇道であり、権力政治である」「才能よりも有徳の政治」「君子は言・訥(ひかえ目)にして、行敏ならんことを欲す」「巧言令色・鮮い(すくない)(鮮度の保たれている期間は短い)かな仁」「文・質・彬々(ひんぴん)――外形と内容は一体。質とは人間の内容である徳」「之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずとなす。是れ知るなり」「徳は孤ならず、必ず鄰(となり)あり」・・・・・・。平成5年に出版された著作。


ちよぼ.jpg加賀百万石の前田利家の正室まつ。千代保は織田軍に攻め滅ぼされた朝倉家の家臣・上木新兵衛の娘で、まつの侍女となり、後に利家の側室となる。秀吉が明国へ触手を伸ばそうと肥前・名護屋城に向かう時、利家は糟糠の妻・まつではなく、若い側室の存(あり)を同行させるつもりだったが、存は体調をこわしており、思いがけず千代保が同道する。それが側室となる機縁となった。千代保の人生は波乱に満つものとなったが、次々に降りかかる荒波を乗り越えて、三代・前田利常、四代・光高ら子孫たちを育て上げた。一族を守り、前田家を守るために一身を擲って闘い続け、頼られ慕われた女性であった。機転がきき、決して悪口や愚痴はいわず、笑みを絶やさない女性だったという。

朝倉家滅亡、本能寺の変、柴田勝家・秀吉の賤ヶ岳の戦い、秀吉の朝鮮出兵、関ケ原の戦い、大坂冬の陣・夏の陣・・・・・・。歴史の大波を浴びながら千代保はしっかりと周りを守った。心配りもして励ました。正妻・まつと若い側室・千代保との激しい意地の張り合い・確執もあったが、「老いたりといえども凛として、一度として下手に出ることのなかったまつを『あっぱれ』と胸の内で称賛し、まつが加賀前田家の太陽なら自分は月、好敵手に恵まれた半生をこの上なく幸せだと思った」と「加賀百万石を照らす月・ちよぼ」を描く。近辺に及ぶキリシタン弾圧や、前田家を守るために長年にわたる"江戸での人質"をも安詳として受ける。能登に日蓮宗の五重塔を建立する。寿福院「ちよぼ」の波乱の生涯を描く。


桔梗の旗.jpg天正八年から天正十年(本能寺の変)、明智光秀は何を考えていたのか。それを光秀の息子・十五郎(光慶)と、はからずも女婿となった明智佐馬助(秀満)がその思いを語る。

光秀には、頼るべき股肱の臣が少なかった。浪人の身が長く、信長に抱えられたのも他の家臣よりはるかに遅く、短期間のうちに信長に引き上げられたからだ。筆頭家老の斎藤利三、家老・溝尾茂朝、長き陣借りの日々の果て光秀に会った明智佐馬助。また信長の側室となった妻木殿(光秀の妻の妹)。十五郎の師匠となる茶人の津田宗及、連歌師の里村紹巴。

十五郎が信長にどうしても認められない。光秀も十五郎自身も悩む。信長に取りなしてくれた妻木殿の死が明智一族に衝撃のボディーブローとなる。信長の長曽我部叩きが、仲介役の斎藤利三を追い込む。さらに信長はいう。「貴様の倅は孵(かえ)らぬ卵である」「わしは、力なき者を家臣に置くつもりはない。貴様を傍に置いたのは、忠勤ぶりを買ってのことではない。毎回、わしが望む以上の成果を挙げてきたからぞ。わしの役に立ちさえすれば、泥棒であろうが不忠者であろうが構わぬ。だが、力なき者だけはいかぬ」と。「信長は才能、才覚を愛している。ただ己の覇道の役に立つ者たちを欲しただけだ」・・・・・・。そして信長は光秀に「明智への家督は明智佐馬助に継がせる」とまで断じたのだ。その背景には「戦乱は少なくなる」と見た光秀、「天下から明まで」を視野に入れる信長。それが十五郎の育て方、人物への見方が根本的に食い違ったのだ。明智光秀は追い込まれ、「明智家をめぐる状況は風前の灯」となる。

「時は今 雨が下しる 五月かな」――。本能寺の変。光秀の死。そして坂本城の十五郎の下に集った明智衆は、最後にどう決断したか。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任、公明党前代表。元国土交通大臣、元水循環担当大臣。

現在、衆議院議員、党全国議員団会議議長、東京第12総支部長、首都直下地震対策本部総合本部長、現代中国研究会顧問など。

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