令和の「論語と算盤」.jpg渋沢栄一の「論語と算盤」は、講演記録を整理して原稿化したものだが、「論語」を踏みながら経済(算盤)等について論じている本ではない。「論語」以外の中国文献を多く引用しており、「中国古典と算盤」が実態に近い、という。本書は、中国哲学史・中国古典学の権威・加地伸行氏による「古典と現代社会」だ。「コロナ禍に」「日本文化の深層」「国民国家とは」「<不平不満老人>社会」「権威とは」「建前の浅はかさ」「まっすぐに見よ」「日本人が語り継ぐもの」「日本の教育は」「日本人の死生観」――。これらについて、本質的な軸をもって現代社会の浅薄さ半可通を剔抉し一刀両断する。いかに現代社会が浅薄で浮遊しているか。いかに思考の粘着力と軸を失っているか。有識者、コメンテーター等がいかに無知でふわふわしているか。批判は痛烈だ。

「日本国憲法は個人主義一色であり、法律や制度から家族主義を叩き出した。個人主義を唱える欧米人も自律的な個人主義を身につけるのは困難で、勝手な利己主義になりやすいが、キリスト教における唯一最高絶対神の存在が抑止力となった。信仰なき者には抑止力がなく、利己主義者になる。日本には絶対神の存在はなく、信仰も抑止力もなく、勝手な利己主義者となってしまうだけだった」「家族をつなぐ絆とは血である。血でつながり、家族共同体にこそ日本人の生きる基盤がある。個人が基盤といっても、自律し自立できる個人主義者なら可能だが、利己主義者の大群では、老後は貧しい孤独な死となる。家族主義は、家制度を超えて、日本人の死生感(祖先から子孫・一族へという生命の連続と子孫の慰霊により人々の記憶に残る)に基づいている」「民主主義は自立した個人を前提にした『民が主』ということだ。しかし、東北アジアでは、自立した個人という思想・実践はなかなか根付かない。だから選挙では投票数の多さを競うだけとなり、選挙が終われば民はお払い箱になり、単なる愚昧な存在としか見なされない。東北アジアの民主とは『民の主』すなわち君主のことである」「公務員の汚職発生が中国では多く日本で少ないのには、律令制の実質化(中国=科挙官僚は皇帝に忠誠心があったが、圧倒的な一般官僚にはそれがない)と形式化(日本=藩主は将軍家から実の土地を受け、朝廷から名の位階を受けた)との差が背景にある。日本では藩主に対する忠誠心があり、この忠誠心が明治となって元武士官僚が天皇へのそれに平行移動した(日本は権力が替わっても天皇の権威は奪われなかった)」「皇室無謬派も皇室マイホーム派も誤りである。皇室は無謬ではなく諫言を受容してこそ安泰である(孝経の諫諍章=天子に争臣(諫言者)七人有れば・・・・・・天下を失わず)」・・・・・・。「儒教とは何か」「沈黙の宗教――儒教」「家族の思想」などを読んできたが、「社会と宗教」「政治と宗教」「国家と宗教」等を考えた。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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