この本には、生命科学と生命哲学が立体的に詰まっている。そのミクロコスモスが社会そのものであることから、「鹿の王」を人生哲学として語っている。冒険小説、アニメ、ファンタジーの要素があってこそ、この広大・深淵なる生命空間を縦横に描き切ることができるのだろう。
「我が身を賭して、群れを守る鹿」たる鹿の王。凄い。しかし、ヴァンの父は「思い違いも甚だしい」という。「おまえらみたいな、ひよっこはな、生き延びるために全力を尽くせ。己の命を守れたら重畳・・・・・・」「才というのは残酷なものだ。ときに死地にその者を押し出す。そんな才を持って生まれなければ、己の命を全うできただろうに、なんと、哀しい奴じゃないか」――。そして「生きることには、多分、意味なんぞないんだろうに。在るように在り、消えるように消えるだけなのだろう」「その中で、もがくことこそが、多分、生きる、ということだ」「生き物はすべて、一回かぎりの命を生きて、死んでいく」と語る。
巨大帝国下での征服された民族の生き抜く知恵と消えない怨念。子孫を残すという人体と同様の、国を守ろうとする民族の意志。その民族・国境を越えた人間と人間の間に生ずる愛と信頼。そして人間、動植物、自然の生命連鎖。医学と生命。上橋さんはそんな広大な世界と人間、生命を見事に描いている。素晴らしい。
「介護が必要になった人が行き場を失い、さまよいたどり着く"家"がある。介護事業者が介護報酬をあてこみ、賃貸住宅に集めて囲い込んでいるのだ」――これが冒頭の一節だ。それを支えるヘルパーの過重労働。そして認知症の「駆け込み寺」となった介護老人保健施設(老健)。さらに精神科病院に入院する認知症の高齢者がふえていること。認知症行方不明問題とこの連載によって身元が判明することとなったことから見えてくる課題。大牟田市の掲げる「安心して徘徊できる町」への画期的挑戦。認知症の人が鉄道事故にあう悲劇と損害賠償。
高齢者の4人に1人が認知症とその予備軍になる日本社会。「社会全体が自らの将来として認知症とその介護を考える時期を迎えている」という。全くその通りだ。
18日、穏やかな晴天のなか、安倍晋三首相主催の「桜を見る会」が新宿御苑で行われました。
八重桜がまさに満開。各界から招待された約1万5千人の方が集まり、歓談をしました。安倍首相も「景気回復のあたたかい風を全国津々浦々に届けていくことが私たちの使命であり、地方創生を力強く進めていきたい」と決意を述べました。
参加者の明るい姿が印象的で「太田さん、頑張って下さい」「事故が続いて大変ですね」などの多くの声をいただきました。
芸能界からは8.6秒バズーカー、由紀さおりさん、爆笑問題などの方々も参加しました。
その後、POINT&K.O.全日本空手道選手権大会や足立区の社会福祉協議会60周年記念式典などにも参加しました。
「日本とは何であったか」「日本らしさとは何か」「日本とはどんな国であり、どんな国でありうるのか」「日本という国の不思議なあり方を浮彫りにする」・・・・・・。そこで天皇制というもっともユニークな日本の特色を語りながら、日本の国の形と文化を考える対談集。昭和49年の対談、しかも山崎正和さんはその時30代末。
その相手が「古代帝王 天智天皇(井上光貞)」「聖のみかど宇多天皇(竹内理三)」「猿楽を愛した後白河法皇(小西甚一)」「怨念の人 後醍醐天皇(芳賀幸四郎)」「東山文化の祖 後小松天皇(林屋辰三郎)」「乱世の調停者 正親町天皇(桑田忠親)」「学問専一 後水尾天皇(奈良本辰也)」「近代化の推進者 明治天皇(司馬遼太郎)」「激動に生きた 昭和天皇(高坂正堯)」「天皇及び天皇制の謎(小松左京)」という"目の眩む"ような10人。全て今は故人だが、対談はかみ合い、30代の山崎さんが時代の良識を結集する軸・要となっている。驚嘆する。
権力と権威との二元性。政治的権力とは別の文化的、宗教的権威としての天皇。各時代に距離の違いはあれ、その構造は貫かれ、今日に至っている。戦後70年の今、国の形と文化を考える必読の書だと思う。