
この本には、生命科学と生命哲学が立体的に詰まっている。そのミクロコスモスが社会そのものであることから、「鹿の王」を人生哲学として語っている。冒険小説、アニメ、ファンタジーの要素があってこそ、この広大・深淵なる生命空間を縦横に描き切ることができるのだろう。
「我が身を賭して、群れを守る鹿」たる鹿の王。凄い。しかし、ヴァンの父は「思い違いも甚だしい」という。「おまえらみたいな、ひよっこはな、生き延びるために全力を尽くせ。己の命を守れたら重畳・・・・・・」「才というのは残酷なものだ。ときに死地にその者を押し出す。そんな才を持って生まれなければ、己の命を全うできただろうに、なんと、哀しい奴じゃないか」――。そして「生きることには、多分、意味なんぞないんだろうに。在るように在り、消えるように消えるだけなのだろう」「その中で、もがくことこそが、多分、生きる、ということだ」「生き物はすべて、一回かぎりの命を生きて、死んでいく」と語る。
巨大帝国下での征服された民族の生き抜く知恵と消えない怨念。子孫を残すという人体と同様の、国を守ろうとする民族の意志。その民族・国境を越えた人間と人間の間に生ずる愛と信頼。そして人間、動植物、自然の生命連鎖。医学と生命。上橋さんはそんな広大な世界と人間、生命を見事に描いている。素晴らしい。