2019年は「5G元年」。5Gスマートフォンなどを通じて、これまでにないサービスを体験できる機会が提供される。通信事業者が5G環境を提供することで、電力会社が検針を自動化したり、メーカーが工場の産業ロボットを自律協調させたり、警備会社が不審者の識別をAIで高度化したり、自動車会社がMaaS事業を実現したりというような革新が図られる。通信事業者は「B2B2X」というビジネスモデルを掲げ、5Gに付加価値をつけて、他産業の「センターB事業者」に提供する。そこで5Gの主役となる「センターB事業者」がエンドユーザーに新たなサービスを提供する。5Gを能動的に活用しようとする「センターB事業者」が、新たな時代の勝者となる。
5Gは「高速大容量通信」「超信頼・低遅延通信」「多数同時接続」という3つの進化だ。4Gとはケタ違いの高速化、双方向でも特に上り(端末から基地局方向の通信)が強化される。先頭を走るのは、米国と韓国だが、5Gは活用可能性の追求が最も重要であり、日本は使い方の開発で先行し、世界を大きくリードしているという。
「5Gの高速大容量のメリットを実感できるのは動画であり、折りたたみ式スマホとなる」「エンターティメントにマルチアングルなど新たな体験をもたらす」「5Gの活用用途の本命中の本命は自動運転、モビリティ」「遠隔医療など医療・介護現場は大変化する」「認証とパーソナライズの革新が決済の変化をもたらす」「超スマート社会が進む」などが示される。また5Gは消費者というよりも「業界、産業に与えるインパクトが大きい」「製造業の現場、活用現場が変わる」「警備も変わる。空から陸からAIも導入して監視する」「注目を集めるMaaS」・・・・・・。令和の時代とともに始まる5G。この数年、私も「自動運転」「ドローン」「民泊」「シェアリングエコノミー」などと、問題意識をもって格闘してきたが、5Gがいよいよ始動する。
ラグビー精神を象徴する言葉の「ノーサイド」「ワンフォーオール、オールフォーワン」――。試合が終了(ノーサイド)すると敵・味方の側(サイド)がなくなり互いに健闘をたたえ合う。この小説のラストシーンは、試合の現場にあたかも自分がいるような緊張と熱狂の感覚となる。
トキワ自動車のエリート社員・君嶋隼人は上司とぶつかり、横浜工場の総務部長に左遷される。そこはラグビーチーム「アストロズ」のGMを兼務することになっていた。かつての強豪「アストロズ」も今は低迷、しかも同社内には、毎年16億円もの赤字予算をかかえる「アストロズ」の廃部論が渦巻いていた。ズブの素人である君嶋だったが、しだいにラグビーにのめり込んでいく。監督に城南大学の監督を退任させられた名将・柴門琢磨を獲得。その柴門は岸和田徹、浜畑譲らベテランを生かす一方、新戦力として七尾圭太、佐々一ら若手を抜擢する。「2年で優勝争いができるチームにする」との背水の陣の闘いが、爆走するがごとく始まる。あわせて君嶋には、「社内の主導権争い」「日本蹴球協会の大改革」という旧弊を打破する闘いが加わった。「現状を打破する」「道理を外れれば、いつかしっぺ返しを食らう。自浄作用がなくなったとき、そのシステムは終わる」――。池井戸潤の世界が横溢し、展開する。
第2トレセン完成へ――。26日、東京北区西が丘にあるナショナルトレーニングセンター(NTC)を訪問。完成間近のいわゆる第2トレセン(トレーニングセンター・イースト[東館])とNTCを視察しました。これには、高木美智代、岡本三成両衆院議員、大松あきら都議、地元の大島、近藤、青木、海部の各区議が参加。公益財団法人日本レスリング協会の福田富昭会長(初代NTCセンター長)らから説明を受けました。
私は、2001年完成の国立スポーツ科学センター、2007年完成のNTCに続き、日本で初めてとなるパラリンピック選手も本格使用ができる第2トレセンの拡充も支援してきました。いよいよ9月開所の予定。この第2トレセンは、木材がふんだんに使用されており優しい感じとの事。もちろん世界最先端の設備と装備がなされています。また、一般見学者用の通路を整備し、選手に負担がかからないよう工夫がされているようです。
2020年東京オリパラに向け、最重要の施設となります。選手の活躍が期待されます。
父を失い母は認知症で施設へ。会社に出入りしていた男の間にできた子ども(羽流)も手放した派遣社員の大倉玉青(たまお)30歳。ところがある日、玉青は一人っ子ではなく、姉妹がいることを知る。その洋海(ひろみ)は体が弱く、ずっと病院のベッドで死の影を感じつつ横たわる日々を送り続けていた。「一度だけでいい。ちゃんとした体で、好きなところへ行ってみたい。自由になりたい」「だから玉青の体を・・・・・・玉青の時間を少しだけ分けて」「いいよ、この体でよければ」・・・・・・。二人の身に「入れ替わり」の現象が起きる。「元に戻りたい」「もう少しこのままで」――。「走れメロス」のメロスとセリヌンティウスの関係がこの「トランスファー」の底流に基調音として流れる。
「生きることは居場所の奪い合いなのかもしれない」――。この社会には用意された居場所はなく、それゆえに人は不安定さにおののき、絶望と希望が交錯し、あわいを生きる。人は一人で生きるが、その根源をたどれば母と子の絆、兄妹(むしろ姉妹か)に導かれるようだ。故郷はそれに隣接する。
人間のレーゾンデートル、身体と心、変身願望、信頼等を考えさせつつ、「生きているというのは凄いことだ」と思わせる。柔らかな着地がいい。