父を失い母は認知症で施設へ。会社に出入りしていた男の間にできた子ども(羽流)も手放した派遣社員の大倉玉青(たまお)30歳。ところがある日、玉青は一人っ子ではなく、姉妹がいることを知る。その洋海(ひろみ)は体が弱く、ずっと病院のベッドで死の影を感じつつ横たわる日々を送り続けていた。「一度だけでいい。ちゃんとした体で、好きなところへ行ってみたい。自由になりたい」「だから玉青の体を・・・・・・玉青の時間を少しだけ分けて」「いいよ、この体でよければ」・・・・・・。二人の身に「入れ替わり」の現象が起きる。「元に戻りたい」「もう少しこのままで」――。「走れメロス」のメロスとセリヌンティウスの関係がこの「トランスファー」の底流に基調音として流れる。
「生きることは居場所の奪い合いなのかもしれない」――。この社会には用意された居場所はなく、それゆえに人は不安定さにおののき、絶望と希望が交錯し、あわいを生きる。人は一人で生きるが、その根源をたどれば母と子の絆、兄妹(むしろ姉妹か)に導かれるようだ。故郷はそれに隣接する。
人間のレーゾンデートル、身体と心、変身願望、信頼等を考えさせつつ、「生きているというのは凄いことだ」と思わせる。柔らかな着地がいい。