
北大路魯山人は書家、陶芸家、美食家だが、この書を読んでそのすごさは次元を越えている。
「芸術は結局人である」
「人物の値打ちだけしか字は書けるものではない」
「(梅原龍三郎は)富士をにらみ倒して描く。・・・それでは、にらむたびに、それが邪魔になってますます描けなくなるだろう。・・・(大観は)人間は時々お灸を据えられることが必要だ。灸を据えられない為に、とかく人間はいい気になる。――全体を見て絵を描け、部分を集めてもそれでは絵にならぬ」
王義之、顔真卿、池大雅、そして良観に心酔していく歩みは、想像を絶する境地としかいいようがない。
格調高く、敢然として、恰幅があって、穏やかで、雄渾を秘めていて衒いがない、生命力溢れた魯山人の書の代表として山田さんは山代温泉の「白銀屋」の看板をあげる。私も一泊して魯山人の世界に触れたことが思い出される。
魯山人を語り切る山田和さんもすごい。