アグネス・チャン、沢田研二、山下久美子からBUMP OF CHICKENまで手がけた名音楽プロデューサーが、プロデュースの基本、経験から編み出した「法則」を惜しみなく語る。音楽の世界だけでなく、あらゆる世界でためになる素晴らしい著作。面白さと深さと一体感を創造的に作り上げる急所が心に響いてくる。
「いいなと感じて、つくりたいと思ったら、分析して、答えを見つける」――。「なぜ面白いのか、理由を分析する。自分の『好き』を分析する」「自分が好きと思っても伝える上での理屈がないと、より多くの人には理解してもらえない」と言う。そして「天才的な人は、意識しなくても、物事を逆から見ることができる」「もっと良いものを作りたいという視点を常に持つ」・・・・・・。
「『新しいもの』とは、新しい組み合わせのこと」――。「意外な組み合わせが面白さを生む」と言い、例えばアーティスト、歌詞、曲で三角形を作り、距離が離れているほど大きな三角形ができ、そこにたくさんの人=リスナーが入ることができる。セクシーなアーティストには、例えばワイルドで男っぽい詩を作る。ビートルズは存在がハイブリッド、ラーメンに味噌を入れ味噌ラーメンを作り上げる。そして「ストーリーがあると新しい価値が生まれる。ライブにも、ディズニーランドのジェットコースターにもストーリーがあり、コンセプトがしっかりあるから楽しい」と言う。その新しい組み合わせも「切羽詰まっているときに結びつくことが多い気がする」と言う。
「人と仕事するということ」――。「アーティストをまず肯定してあげる。良いところにスポットライトを当てる」と言うが、組織も同じだ。そして、面白い歌詞を書くには、「ものを見る視点を育てるのは、その人自身の積み重ね。言葉の感覚は急に身に付くものではない」と努力と貪欲な吸収力、そして「伝えたい気持ちの強さが大事」だと言う。「クリエイティブな人は、どんな相手も平等に扱う」「正論で人は動かない」とも。
「ヒットをつくるために僕がしていること」――。「そのアーティストの特徴を明確に把握する」「違うと思ったら、逆方向に行ってみる(山下久美子さんは、ブルースを歌っていたがポップスへ)」「アーティストと作品は寄り添わないことが大事(謹慎翌年の沢田研二の『勝手にしやがれ』。阿久悠三さんは僕らが思うのと逆のものを沢田研二にぶつけてきた)」「歌詞と楽曲も合わない方がよい(ギャップが惹きつける)」「基本を共有したら、後は自由に」「歌詞とは、心という見えないものも可視化したもの(ひとつの絵が見えたらそれが歌になる)」・・・・・・。なるほどと思うことばかりだ。「まずはタイトルを」「伝えたい相手を決める」「理知的な部分が先行すると、理路整然となってしまうことがあるが、歌詞は文章でなくていい。メロディーが感情を担う」と言っているが、話でも、演説でも全くその通りだと思う。
「クリエイティブなライフスタイル」――。「アルファ波、すなわちリラックスしている脳波が優位になっている状態の時に、宇宙とつながる感じがある。ゾーンに入ると他のことが無になる。宇宙のリズムとシンクロできる。邪念を振り払って集中していると無になってアルファ波が出てくる。曲が降りてくる」「うまくいっている時ほど何も考えない。リラックスするとアイディアが出る」「目標があればイヤなことも辛くはない」「自分が納得できた仕事だけが糧となる」「渡辺晋という指針」・・・・・・。
木崎さんは、「経験を通じて感じたり、考えたりして出してきた答えたちを整理整頓できて、何かスッキリした」と遠慮がちに言うが、読んだこちらの方がスッキリした。
親がいない、虐待を受けている子どもはどう生きる――。蛍が舞う祭りの夜ーー山間の小さな町に暮らす中学生のクラスメイト坂邑幸恵と桐生隆之は、生きるために、互いの重大な秘密を守り合うことを決める。幸恵の両親が火災で焼死、隆之の親父(内縁)の死にそれぞれが関わっていたのだ。共にひどい親だった。・・・・・・それから15年後、同じ蛍が舞う場所で、ニ人は偶然、嘘のような再会をする。「どうしてここに、またこの男がいるの」・・・・・・。
幸恵は涙をこぼす。「お腹の子の父親が・・・・・・いなくなったの。貯金も、金目のものも全部持っていかれた。しかもわたし名義の借金もある」「ここで死のうと思ったんだよ。わたしが知っている中で、一番綺麗な場所でさ」――。励まされて幸恵は子ども(正道)を産むが、自分は出血性ショックで亡くなる。しかも幸恵は去って行こうとする相方を殺害してしまう。
どぎつい、町田そのこの作品と思えないようなサスペンスまがいの導入で引き込まれるが、殺人を犯した親を持つ正道がどう生きたか、その周囲で展開される親子の愛憎が描かれる。息苦しさの中で、ごくありふれた家族の日常の「ありがたさ」「温かさ」そして「居場所の大切さ」が心に染みいる。蛍のような優しい光が人が生きるなかでいかに貴重なものかを思い知る。
正道の養父となって距離を置きながらも育てる隆之。「親に幸せを摘み取られた子ども」「子どもの頃から奪われてしまったものを取り戻すなんて簡単ではない」・・・・・・。隆之の葬儀には本当にお世話になったという人が自然と集まった。
人を救うのは、支える人の温かさ。「ずっと夜のままかもしれない。そう思ったあの日、あなたがわたしの光になった」・・・・・・。
「トランプ2.0の世界と日本の戦い方」が副題。「世界は今後4年、トランプ氏に振り回されることになる」「トランプ氏は一種の『現象』である。現代アメリカの構造的問題と国民性の変化を象徴する存在である」「貿易赤字=悪、関税=自国産業の保護というのは全くの誤り」「アメリカ経済の本質的な強さ、とりわけテクノロジー分野での『マグニフィセント・セブン』の圧倒的な力を理解すべき」「これはアメリカの時代の終焉であり、世界がいよいよ不確実な時代に突入していく幕開け」と言う。
そこで、「日本はトランプショックは静観せよ。柔軟に静かに状況を見守る戦略、『柳に風』戦略を推奨する」「今必要なのは『国のかたち』を見直す視点だ」と指摘する。
大激変する世界情勢――。「インフレ鈍化・利下げ開始により、世界経済は転換局面」「世界経済の成長鈍化の中で、基軸通貨ドルの独歩高が進行」「主要国の不動産市場が問題を抱える中、マネーが日本の不動産市場へ流入」「日本企業は非製造業が好調で製造業は減益に転じた」などを指摘し、主要各国・地域の動向を解説する。
この中で、日本の行うべきソリューションとして、「真の観光立国づくり」と「教育の抜本的改革」の2つを提案する。世界を俯瞰した具体的な迫力ある重要な提言だ。
「観光立国論――インバウンドで50兆円を目指せ」――。「2030年、訪日客6000万人、消費額15兆円というが、観光と富裕層移住で50兆円規模の潜在力があり、地方創生よりも観光立国を優先すべき」と言う。「観光は3つのタイプ『周遊型』『都市型』『滞在型』があり、それぞれブラッシュアップできる」「世界では『歩く旅』や巡礼がトレンド。中東の都市型観光が人気を集め、欧州の田舎にも注目が集まっている」「『江戸時代を歩く旅』が外国人に人気。熊野古道----」「東京の魅力は買い物、食事、治安の良さ、公共交通機関。だが観光コンテンツが乏しい、言語の壁も」「富裕層が宿泊するホテルを誘致せよ」「日本は宿泊施設が圧倒的に弱い」「世界的に富裕層の移住が活発化しており、日本は富裕層を取り込む移住を促進すべき」「観光産業は50兆円に伸ばせる」・・・・・・。世界の具体例を示し、「ここが伸びしろ」と意欲を求める。
「新・教育論――答えなき時代の教育のあり方」――。日本が停滞し続ける最大の要因は工業化時代のままの教育にある。「第4の波の時代、各国はグローバル人材の育成に注力している。活躍するのは海外ルーツを持ち、変化に適応し世界で挑戦する人物だ」「世界で活躍できる人材の教育に挑戦している。台湾やイスラエル、インド(貧困)など危機感の中で凄まじい教育熱心(国も自治体も家庭も)」「知識詰め込み、暗記メインの学習指導要領は時代遅れ」「文系・理系ではなく、世界では人材は理系科目で育て、文系科目は一般教養として学ばせる」「使えない英語を教える間違いだらけの学校教育」「大学は『稼ぐ力』を養う教育機関、無償化のポピュリズムには反対。文科省や政治家の認識はずれている」「社会人の再教育、ITやAI、デジタルスキルは、外部の専門家を講師に呼んでで行うこと」「文科省を『AI教育省』へ改組し、AI時代に対応した人材育成を推進すべき」・・・・・・。
世界が変化する時、今まで通りでなく、チャレンジする日本、日本人へと突破口を示す。
「武田勝頼の設楽原」が副題。信長が新式の鉄砲を使い、武田勝頼の騎馬隊を打ち破った、歴史を変えた長篠・設楽原の戦い。長篠城は、私の生まれた愛知県新城市にあり、小学校の遠足でも行き、鳥居強右衛門の活躍、狼煙を上げた鴈峯山も田代もまさに故郷だ。武田軍勢約一万ニ千、織田・徳川勢約三万八千、武田の騎馬軍団を食い止める馬防柵、そこでの「三段撃ち」、勝頼は鉄砲の有用性に気づいていなかったのか、織田・徳川勢を侮っていたのか、そして武田勝頼は愚将であったのか、長篠城から少し距離がある設楽原が戦場となったのは何故か――。まさに合戦のリアルと、暗愚と嗤われた勝頼の真の姿とその苦悩を描き出した素晴らしい力作。「大我と小我」「木霊(こだま)の声」は、「無常と常住」の哲学性に踏み込み、深さに誘う。
偉大な巨魁・武田信玄を父に持つ勝頼。四男、しかも傍流。家臣の中心は信玄時代の老将たち。保守と保身、「3年喪に伏せ」との遺言を死守するばかりで、勝頼は焦る。決して愚かではない。分別もある。時代を見る目もある。ますます強大になること必至の織田信長、それつく家康。北と西に難敵を抱え気を取られる信長、三河も盤石でない家康、そのある意味での乾坤一擲のワンチャンスが、長篠城の奪取だった。その構造と緊迫感が、本書から溢れ出てくる。実にクリア。
長篠城を奪取寸前まで追い込み、設楽原に出陣する勝頼、止めようとする老将たち、大軍を隠す信長、酒井忠次の南側の山地から長篠城を監視する鳶ヶ巣山の付城奇襲作戦、それを採用する信長のアクロバティックな芝居・・・・・・。
そして天正3年(1575)5月20日、凄まじい設楽原の馬防柵での激突となる。はやる勝頼を止めていた武将も腹が決まったらさすが武田の武将、死を覚悟した壮絶な突撃を展開する。家康が震え上がる事態も。「御屋方様、早くお退きください」「ここにて死ぬ」――なかでも勝頼を退かそうとする馬場美濃守信春の姿は、神々しい。
しかし、武田は終わったわけではなかった。設楽原敗北から7年ほどの天正10年3月、天目山に追い詰められ自害したが、「武田家が、越後の一部、信濃全域、西上野、武蔵北部を含めた最大領土を実現したのは滅亡直前の天正9年のことであった」――。しかし、信長も勝頼が死んでわずか3ヶ月後、本能寺で死ぬ。人の運命はわからない。
「大我と小我」――その「木霊(こだま)の声」を反芻しつつ人生を歩むものだ。勝頼は愚将であったか、なかなかの人物であったか、ではない。信長にあっても家康にあってもそうだ。それを超えて、それぞれの運命の中で「どう生きたか」をリアルに迫る傑作。
「ポピュリズムとSNS 民意にどう向き合うか」が副題。昨年の東京都知事選挙から選挙が変わり、衆議院選挙、兵庫知事選を経て、2025年参院選で完全に選挙が変わった。「砂になった民意」「中間団体の衰退でバラバラになった社会、そうした流れを加速させるSNS」――。まさに「ポピュリズムとSNS」が席巻する参議院選となった。
「居住地域とのつながりが薄れ、中間団体が廃れ、派閥も消滅し、バラバラとなった国民政党」――。中間団体が廃れ、民意が砂と化す以上、選挙で勝ち抜かねばならない議員は、ポピュリズムの誘惑にさらされる。「ポピュリズムは、デモクラシーの後を影のようについてくる」(英国の政治学者マーガレット・カノヴァン)わけだ。新聞、テレビから次第に離れ、ネット、SNS時代、しかもダイパ・コスパ時代となれば、短い、刺激的な言葉・動画が好まれる。いつの間にか多くの個人情報が集積され、「世論操作」され、「フェイクに誘導」される危ういデジタル・ポピュリズムの選挙があらわになっている。その実態に迫ろうと取材したのが本書。6月30日発行なので、東京都議選、参議院選挙の結果は入っていないが、構造分析はその通り。
「民意とは何か」「民意をどうつかむか」「SNSと動画サイト(2024年の選挙を振り返る)」――。陰謀論的議論を信じた斉藤氏の支持者。ネットを通じた地上戦(自民党牧島かれん)、駅頭を舞台として「駅頭に民意あり」(維新の金村龍那)・・・・・・。現場の戦いが紹介される。
知恵と執念が「ほとばしる」ことなくして勝利はない。そして知恵は現場にある。問題は現場に現れる。「問題は正しく提起された時、それ自体が解決である(アンリ・ベルクソン)」と言うが、フェイクに誘導されないためには、「徹して一次情報に触れること」「伝達され数値化された情報に惑わされるな」「勉強を怠るな」「木を見て森を見ないという言葉があるが(その逆も)、森に入り木を見ることだ」と思う。西部邁氏は「ポピュリズム(人民主義)とポピュラリズム(大衆迎合人気主義)を分けよ」と言ったが、現場主義こそポピュリズムへの誘惑に抗する力だと感じてきた。
デジタル・ポピュリズムが席巻する今、そのポピュリズムに抗する政治家が求められる。大変な時代を迎えている。