「シェールガス革命は、エネルギーだけでなく、世界の農業、安全保障など多くの分野を一変させる」
「中国は混乱状況に入る。人民解放軍は、機が熟するのを待てばいいと、柔軟路線に転換している」
「経済が失速しているBRICs、なかでもロシア経済は悪化する」
「ユーロは10年混乱するが、危機は続いても崩壊しない」
「"自由"のロムニーが、"公平"のオバマに勝つ」
「シェール革命はデフレに拍車をかけ、世界的に物価や労働賃金を引き下げる」
「日本のデフレは深化し、賃下げ時代、牛丼100円時代に向かい、トヨタも落日のパナソニック、ソニーの後を追う」
「日本でもメタンハイドレードがエネルギー革命を起こす」・・・・・・。
CDでは「オスプレイー配備の意味」などを語っている。まさに大局を大胆に語っている。
こうすればいじめを解決できる――"夜回り先生"水谷さんは、明確に示す。
今の子どもたちがいかに追い詰められているか。大人と違ってストレス発散ができない。子どもたちには閉鎖された学校と家庭しかないうえに、その二つが追い詰められる場所となった時に、もう逃げ場はない。
"いじめ"の原因は家庭や学校、地域などの社会にある。だから閉鎖された学校空間の中の問題ではない。いじめる子もいじめられる子も交替もするし、生涯の傷を負う。水谷さんは、今の子どもに暴れ回るエネルギーや気力がなくなり、「目力」がなく、自己肯定感の希薄さ、自分への自信のないことを心配している。認められたり、ほめられたりすることなく、否定、否定で育てられればたしかにそうなる。
"夜回り先生"水谷さんはずっと、「死にたい、助けて」という子どもに体当たりで相談し続けてきた。本書にもその一端、実例が紹介されている。愛情のない、実情に迫らない、本質を探ろうとしない全てに対して憤りがあふれている。
いじめ現象は「不健全な人間関係(無視や悪口)」「人権侵害(死ね、学校へ来るな)」「犯罪」の三つに分かれるのに、文科省は曖昧な定義で、学校の内に抱え込ませている。人権侵害には人権擁護局などを、犯罪には警察との連携を、学校と教員は「不健全な人間関係」を直し、できなければ"いじめ"の責任を取ること――水谷さんの主張は明確だ。
いじめにどう対処するか――。「今いじめられている君へ」「いじめに気づいている君へ」「今だれかをいじめている君へ」「すべての親へ」「学校関係者へ」「関係機関の人たちへ」「すべての人たちへ」。皆、逃げているではないか。いじめ対策は、総がかりで、踏み込んでこそできるものだ。戦ってこそ解決の道がある――そうした叫びが伝わってくる。必読の本だ。
内田樹さんの「街場シリーズ」だが、本書は神戸女学院大学での最終講義「クリエイティブ・ライティング」で文学と言語について語ったことを基にしたもの。
「生成的な言葉とは何か?」というテーマが、あたかも宇宙のかなたに一気に行ったかと思うと、緻小の素粒子の世界に入り込むかのように自由自在。「僕らの身体の中心にあって、言葉や思想を紡いでいく基本にあるものは、かたちあるものではない。それは言葉にならない響きや波動や震えとか、そういうような非言語的な形態で、死者たちから生者へと手渡される。言葉というのは、『言葉にならないもの』をいわば母胎として、そこから生成してくる。それを『ソウル』と言ってもいいし、『生身』と言ってもいいと僕は思います。そこから発してくる言葉だけがほんとうに深いところで人を揺さぶる」といい、「響く言葉」「届く言葉」「身体に触れる言葉」とはどういうものか、を語ってくれる。とくに「届く言葉」だ。
それにしても、「人間の言語能力は、われわれが想像しているよりはるかに深く、複雑な仕事を信じられないほどの高速度でこなしている」し、人間の底知れなさは、言語と世界の底知れなさに行き着く。ソシュールのアナグラム研究、ロラン・バルトの「エクリチュール」理論、村上春樹の世界性と司馬遼太郎の日本人のための美学、「大日本帝国の瓦解を怜悧に切り捌く丸山眞男」と「トラウマを抱えた人、大日本帝国に半身を残した少年、吉本隆明や江藤淳」、階層と言語、階層再生産に強い力を発揮する教養・文化資本、階層がない日本と言語、PISAと「広めの射程で自分をとらえる」能力......。
言語、人間、世界、宗教、宇宙、日本、世間、地域、階層、演説、そしてiPS細胞と生命など、さまざま考えさせてくれた。
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