komonogu.jpg「共益、公共善、良識」「暴走する資本主義社会で倫理を語る」が副題。「暴走する資本主義」(2008)、「余震(アフターショック)――そして中間層がいなくなる」(2011)のロバート・ライシュの新作。ハーバード大教授やクリントン政権の労働長官をはじめ3つの政権に仕えたほか、オバマ大統領のアドバイザーも務めたロバート・ライシュ。

資本主義は富が集中する仕組まれたゲームであり、その暴走を止めなければならない。「富めるものをますます富ませる」ルールの下で格差は拡大し、恐ろしいほど社会を分断させている。それが「勝つためなら何でもあり」「大儲けするためなら何でもあり」の風潮がはびこり、強欲な人々のタガを外してしまった。「トランプが『原因』なのではない。彼は『結果』である。この国で何年もかけて進行してきたことの論理的帰結なのだ。彼が大統領選に出馬できたのも、社会に不安が蔓延し、政治経済への不信が高まったからだ」と言う。「1970年代以降、アメリカ人はコモングッドについてあまり語らなくなり、自分の権利を拡大することにこだわるようになった」。そして「資本主義の暴走を止め、より平等で公平な資本主義のルールを取り戻す。真実を尊重し、相違を認め、等しい権利と機会が保障される民主主義の仕組みを守り抜こう」「そのためには、あらゆる手段を使って『コモングッド』を取り戻さなければならない」と言う。

コモングッドとは「共益、公共善、良識」だ。本書は「コモングッドとは何か」「コモングッドに何が起こったか」「コモングッドは取り戻せるか」の3部からなる。内容は極めて具体的、現実の事例を一つ一つ示す。

「コモングッドとは何か」――。アメリカの建国以来、アメリカには、ジェファーソンもトクヴィルもバークもマーティン・ルーサー・ キングもコモングッドが息づいていた。恵まれない人々が最大限に自らの人生を謳歌できるよう手助けしようとする社会を形成した。「コモングッドはアメリカ人が懸命に実現を目指し続けている理想である。人々に善悪の判断を示し、他者に影響を及ぼすような決断を導き、市民的義務に対する理解を高める。広範で高貴な義務なのである」と言う。

「コモングッドに何が起こったか」――。1960年代以降に見られる暗黙のルールの崩壊。トンキン湾事件、ウォーターゲート事件、S&L危機、イラン・コントラ事件、クリントン大統領の弾劾、グラススティーガル法の廃止、大量破壊兵器というイラク侵攻、マーティン・シュクレリ・・・・・・。「手段を選ばず勝つ政治」「ステークホルダー資本主義より株主資本主義へ」「大儲けするためなら何でもあり」――コモングッドの崩壊だ。

「コモングッドは取り戻せるか」――。そのなかで真のリーダーとしてジョン・マケイン上院議員が紹介される。良識に目覚めよというわけだ。「アメリカの大統領になるということは、その人の見識に国民が正当性を与えることに他ならない」「リーダーシップの目的は、単に勝つことだけではない。奉仕することなのだ」。そして「報道機関の劣化は、ときに暴力を導く」「個人情報を集約しうる組織が、そうした情報を活用することを禁ずる法律が必要だ」と言う。教育は重要で、「公的な倫理に目指すものにしなくてはいけない。単に実入りのよい仕事に就くための『私的な投資』とみなすのをやめ、教育とは若者を『責任ある市民』となるよう促す『公益』なのだ」と指摘する。そして、「利己的な名声や富や権力を求める姿勢」から「みなでより良い社会を創ろうとする姿勢」を訴えている。

本書は、結果として、トランプ的なものを生み出した社会をどう変えるか。問題はコモングッドの崩落にある。前著で言う「炭素税」「富裕層の最高税率の引き上げ」などの政策ではなく、本書では、その制度自体をつくる根源に、共益、公共善、良識のコモングッドを再生しなければならないと強く迫っている。凛とした主張は、ポピュリズムに流れる日本の今に、160キロの直球を投げ込んでいる。 


henaie.jpg話題を呼んだ間取りミステリー「変な家」の第二弾。フリーライターの「筆者」と、その知人である設計士の栗原のコンビが謎に挑む。

間取りが変な家の話が11続く。「行先のない廊下(事故があって玄関を変えた)」「闇をはぐくむ家(津原少年と母親、祖母、弟の刺殺)」「林の中の水車小屋(古い書物からの抜粋)」「ネズミ捕りの家(お祖母さんを事故に遭わせるために造られた家なのか)」「そこにあった事故物件(長野県下條村)」「再生の館(長野県西部に施設を所有しているカルト教団、聖母は片腕片脚)」「おじさんの家(愛知県一宮市のアパートで、虐待を受け栄養失調などで死んだ少年の日記)」「部屋をつなぐ糸電話(父娘の糸電話、直後に隣の家で火災が起き両親死亡)」「殺人現場へ向かう足音(火災で両親をなくした松江弘樹さんの話)」「逃げられないアパート(山梨県の山間部に建つ『置棟』という売春施設)」「一度だけ現れた部屋(扉を引っ張ると小さな部屋があったのだが・・・・・・)・・・・・・

筆者と栗原は、11の話に奇妙な「つながり」のあることに気づいていく。「これらの出来事は、かつて長野県西部に存在した宗教施設「再生の館」を中心として起きている。この施設が、すべての根源・・・・・・『核』と考えるべきでしょう」と栗原は言う。片腕片脚の聖母、それを形取った建物を造る建築会社「ヒクラハウス」の社長(会長)・・・・・・。ドロドロした愛憎、不倫、憎しみ、復讐など、業火に焼かれる人間の行き着く先に「変な家」がある。謎の解明に引き込まれる。 


iamjinari.jpg「認知科学で読み解く『こころ』の闇」が副題。認知科学の「プロジェクション」の概念。「いま、そこにない」ことを想像して、「いま、ここにある」現実へ投射する。自分の内的世界を外部の事物に重ね合わせるこころの働きである。著者の前著「『推し』の科学  プロジェクション・サイエンスとは何か」では、ファン活動、科学研究、宗教、芸術、文化など、モノを介して私たちの人生や生活をより豊かに潤し、生きる意味を見出すような、ポジティブな面を示したが、本書はネガティブな問題を生じさせる面を解析する。霊感商法、オレオレ詐欺、陰謀論、事故物件、風評被害、ジェンダー規範など、他者によってこころを操られたり、また「女性とは、こうあるべき」など、自分自身を無意識のうちに縛ったりするネガティブな問題を生じさせる「闇」を示している。実際には起きていないことや、存在しないものを想像して、現実に投射できるが故に生まれる「イマジナリー・ネガティブ」を認知科学の視点で考察する。

「プロジェクションとは、作り出した意味、表象を世界に投射し、物理世界と心理世界を重ね合わせる心の働きを指している」(2015年、認知科学の鈴木宏昭教授によって提唱された概念)だが、プロジェクションのタイプは、通常の投射(世界を見たままに捉える) ②異投射(「いま、そこにない」ことを「いま、ここにある」ものに映し出す) ③虚投射(見えないけれど、確かにそこにある)――3つある。現実生活と非日常を自分なりの良いバランスで楽しんでいるか。「推し疲れ」や「ギャンブル依存症」などバランスが取れなくなったプロジェクションで、主体のコントロール不能で暴走するプロジェクションとなるか。炎上商法でも成功と失敗がある(失敗が多いが)。面白いのは「好きになることの逆は、嫌いになることではなく、無関心である」で、炎上商法は最近だが、政治の世界では昔から「悪名は無名に勝る」と言われている。

本書は、プロジェクションが、「他者から操作されている」ことと、自分自身を無意識のうちに縛っている「無意識のプロジェクションがあなたを悩ませる」の2つの面から詳述する。霊感商法でも、「宗教のような装い」であることを示し、「健全な宗教は安心感を提供するのに対し、破壊的カルトは、個人の自由を奪い、個人を縛る」(マインド・コントロール研究の社会心理学者・西田公昭)を紹介している。宗教は、「信」の強弱の世界であり、プロジェクションの異投射や虚投射と深く関わる。

また、「1969年のアポロ月面着陸は捏造である。真空の宇宙空間では、風は吹かないはずなのに、月面上でアメリカ国旗が揺れているのはおかしい」についても、「旗は風で揺れる」と思い込み、「手で揺れる、ものが当たって揺れる」ことを見ない。人間の対称性推論による因果の誤りから陰謀論にはまることを指摘する。大事なことは「熟慮性を高める」ことだと言う。SNS時代では特に大事なことだろう。他者にプロジェクションを操作されることで奪われてしまった本来の個人の世界、その「世界を取り戻すための『デ・プロジェクション」が大事で、当事者自身では無理としたら、周囲の人や家族の支援はとても重要だと言う。

「自分自身を縛る無意識のプロジェクション」は、「ジェンダーにまつわる『思いこみ』」「事故物件への忌避感」「風評被害と『思いこみ』」「気にしすぎ人見知り」など身近に多い。多いところか、これが日常で、幸不幸のかなり部分を占める。これを脱するには「思いこみ」を脱し自分を解放する「メタ・プロジェクション」、自分がしているプロジェクションを俯瞰して、どのような表象が何に投射されているかを知る。「着ぐるみの自分を鏡に映してみること」と言う。

私たちの悩み――「いま、そこにない」ことを想像できるがゆえ生み出されるプロジェクションというこころの働きが、人間を深く悩ませている。だから「プロジェクションに取り込まれない」が重要となる。箒木蓬生の「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」、居心地が悪くても解決できない宙ぶらりんの状態に耐え、現実について考える苦しさを回避しないことが大切になる。世界に意味を与えるプロジェクションというこころの働きを、価値創造に向け得るかどうか。重要な分析が提起されている。 


wotokogawa.jpg昭和初期の金沢。花街に暮らし、生き抜く芸妓たちの物語。「梅ふく」の女将・時江。物語の中心となるのは、朱鷺とトンボの仲の良い2人。共に年齢は20歳ほど。古株は君香32歳で、26歳の桃丸がいて、芸妓4人。振袖さんの琴菊、見習いの「たあぼ」2人、置屋の運営・管理をする稲、そして通い女中のフミの総勢10人の所帯。朱鷺は7歳の頃に売られてきたし、トンボはロシアの血が混じり橋の下に捨てられていたのを、女将の時江が拾い上げ育ててきた。花街の女は皆、辛い過去を心に秘めて生きてきた。日常のふとしたことから噴き上げる出来事、事件を、きっちり7話連続仕立てで、見事に描き切っている。

男女の交わり、悲恋、嫉妬、愛憎、騙しと騙され、意地・・・・・・。社交の中心であった花街の風情が穏やかに、そして鮮やかに、きっぱりと表現され、引き込まれた。

「金沢には、金沢城を真ん中に、南に犀川、北に浅野川が流れ、犀川はおとこ川、浅野川はをんな川と呼ばれとるんや」「ふたつの川は一度も相容れぬまま海に流れつくが。無常というかせんないというか、まさに男と女そのものややろ----」「ただ、何をするにしても、その時は覚悟を決めんとな。覚悟がないと、道に迷ってしまうさけ」「あたし、覚悟って考えて考えた末に決まるもんやって思っとったけど、意外とあっさりしとるんやな。自分でもびっくりやった」「巻き込まれたんやない。トンボが覚悟を決めた時、あたしも決まったが。言っておくけど、それはトンボのためやない、あたしが決めたあたしの覚悟やさけ」・・・・・・

思うに任せぬ境遇のなかで、必死に、精一杯生きる女たちの姿、涙を隠し、きっぱりと肚を決める女たちのしなやかで潔い姿、互いを思いやる姿が心に迫る。


igakumon.jpg「西洋と東洋から考える からだと病気と健康のこと」が副題。西洋医学の専門家として生命科学者で元・大阪大学大学院教授の仲野徹先生と、東洋医学の専門家として臨床家・鍼灸師の若林理砂先生のニ人が、「不調と病気との付き合い方」について徹底問答。西洋医学と東洋医学は何が違うのか、共通項はあるのか、病気とは何か、治るとは何かについて忌憚なく話している珍しい本。

病気になると通常、私たちは病院に行き、西洋医学のお世話になる。私は若い頃から鍼灸、指圧に接し、漢方薬も常用している。しかし正面から「西洋と東洋」を専門家が率直に語ることは、大変面白く有益であった。

「科学としての西洋医学、哲学としての東洋医学」をまず語る。「東洋医学が生き残っている理由」「西洋医学もはじめは怪しかった」「漢方薬は発明者不明」――。「反ワクチン」や「プラセボ効果」もあるが、「一般の人にもある程度の医学リテラシーは絶対に必要」と言う。

東洋医学は、「人間の生命活動は気・血・津液(しんえき、水=すい)3つの要素から成り立っている」「からだの捉え方の基本となっているのが陰陽五行論」と言う。そして経穴(けいしつ、ツボ)と経絡(気が通るルート)。「ツボの位置は人によって違う(若林)」「東洋医学と対照的に、西洋医学は細部へと向かっていたが、最近は『多臓器連関』がトレンドになっている(仲野)」と言う。

「風邪はウィルスに感染することによって起こされる上気道の炎症。南極には風邪のウィルスがいないので風邪はひかない」「風寒邪の場合はからだを温める薬を使うのが基本。葛根湯や麻黄湯」「風邪に効く薬もワクチンもない」「健康神話はけっこう危ない(全くどこも痛くなくて、毎日快活に過ごせることが完璧な健康みたいな神話)・・・・・・

「治療篇――効きゃあいい、治りゃあいい」――。「科学で解明できていない鍼の効果」。

「摩訶不思議な漢方薬の世界」――「麻黄湯はインフルエンザの初期にてきめんに効く」「即効性のある葛根湯や鼻水が止まる小青龍湯」。西洋の薬についても、「西洋でも薬は効きゃあよかった」「薬理学の知識爆発」等が述べられる。そして最後に、「未来篇――医学のこれからどうなる?」についてがん免疫療法やAI診断など広範に語られる。

「わからんな!」など連発の対談で、不思議にも気が楽になった。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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