峠うどん下.jpg 峠うどん上.jpg温かい、熱々の、口の中で跳ねるうどん。そして峠のうどん屋の前に建つ市営斎場。立ち寄る人々。厨房で1人黙って仕込みをするおじいちゃん。賢いおばあちゃん。それを手伝う孫の女子中学生の感受性。

死に直面して寡黙になる人々。
「悲しまなきゃいけない人に場所を譲ってあげよ」
「関係ないヤツにかぎってよくしゃべる」
「ひとが死ぬということに痛みを感じないおとなになってしまう」
「答えがすぐ見つかるものなんて、人生にそんなにたくさんないよ」
「自分の居場所がある人、居場所がわからない人」
「人生は出会いと別れの繰り返し」
「泣くことができない自分とは何か」
「わからないことはたくさんあるの、あっていいの、いまは」・・・・・・。

「霊柩車の運転手」「シェーのおじさん」「おくる言葉」「町医者」「ボーズ」「ヤクザのわびすけ」「柿の葉うどん」など、重松さんが日常と非日常の往復のなかに、一生懸命に生きる人たちを描く。死を前にして人は人に戻る。


これから中国とどう付き合うか.jpg1972年の日中国交正常化、78年の平和友好条約、89年の天安門事件、95年の村山談話、98年の日中共同宣言(江沢民訪日)、そして2008年5月の日中共同声明(胡錦濤訪日)――。

私と同世代を生きて、その日中の歴史のど真ん中で苦闘してきた前中国大使・宮本さんが、じつに精緻に日中の政治・社会や人心の動きの変化を描いている。貴重だ。その場面、場面にいた私としても、その場がいかに重要であったかを改めて感じ入った。

2008年の第二次共同声明で、日本と中国は「戦略的互恵関係」の時代に入り、世界の中の日中関係となった。当然、歴史問題は消え去ることのないテーマだが、新たな段階に入った。中国の経済発展は、心の余裕をもたらしたが、世界の中での役割りという新たな課題や国内格差の問題が生じ、日本では社会の沈滞感が中国に対する厳しい目を生み出している。新たな未来志向の協力関係が築かれるには、たゆまぬ努力が必要とされる。

宮本さんは、中国の課題とともに、日本の再生、日本が世界から尊敬される大国であり続けることが「鍵」だという。軍事、安全保障面もだ。主権の護持という大義名分のもとで、最後は海上自衛隊と中国海軍が出て来ざるを得ないとしたら、衝突回避のためのメカニズムがない現状では、対立自体を避けるしかない。外交の知恵だが、それは人間の知恵と双方の深い理解あってのことだ。重層的な対話が不可欠だ。

それは経済も同じ。ソフトパワーを磨け。日本は過小評価されている。等身大の日本への深い議論をと言う。宮本さんならではの著書。


わたしが芸術について語るなら.jpg「未来のおとなに語る」とあるように、子どもたち、若者に千住博さんが、芸術・文化・楽しい人生について語ってくれている。若者だけでなく、私にとっても素晴らしい本。つい先日も、またこれまでも千住さんの作品を観てきたが、澄み切った心と奥行きや柔軟性を感じさせてくれた。

「美しいときれいとは違う」
「"美"とは五感すべてから吸収されて、体中に"元気"のエネルギーを流していくようなもの。生きてよかったという感性」
「五感を総動員して、動く、感ずる、感動する、泣ける」
「人生、世界も混とんたるもの」
「ラーメン情報とラーメンを食べることとは違う。匂いも、熱さも、歯ごたえも、ツルツル感、ザラザラ感・・・・・・。リアリティ。パソコンではない」
「油絵でも画集と本物を見ることとは違う」
「芸術、その共通項は何か。自分の気持ちをなんとか伝えたいと思う心が生む行為。――そして仲良くしよう。仲良くやる知恵のこと。文学も料理人も画家も音楽家も・・・・・・」
「美しいハーモニー、ピアノとバイオリン、白と黒の絵の具も、オーケストラも」
「芸術の感動は伝えたい心意気に対する感動」
「イマジネーションをコミュニケーションする」――。

本当に良い本。


震災後.jpgあの「亡国のイージス」や「終戦のローレライ」をぐいぐい描いた福井晴敏さんが、3・11東日本大震災と原発事故をどう描くか。注目の作品。

私は5月1日に気仙沼に入ったが、なんと本書の親子もその5月1日に気仙沼に入る。そこで中学2年の息子はボランティア・シンドロームともいうべき衝撃を受け、「未来を返せ!」と絶叫するに至る。本書は現在の"闇"と未来の書。

主人公は44歳の野田圭介、その息子、そして野田の親の3世代の心の中に潜むそれぞれの"闇"――。各世代の"闇"でもある。

文明の進歩と当然の失速・限界・失敗――。世界は完全だったためしは一度もなかった。そのなかで自然と文明の折り合いをどうつけ、経済と安全をどう両立させるか――。人は"闇"に囚われるかもしれないし、自らを壊そうとしてしまいそうにもなる。

しかし、人間には過ちを正す力がある。解決の力がある。「哀しみを遠ざけよ」と与えられた時空・社会の限定性のなかで、それぞれの世代が前へ進む意志のバトンを渡してきた。そこに人間の意志のつくり出す未来がある。" 闇"に苦しみながらも人はまた歩みだす。それゆえに、「未来は常に青年の胸中にあり」との自覚を社会全体でもつことが大切となる。

今回の文明史における大地震と大原発事故を、どうとらえ、どう語るか。祖父、父、息子の3世代が「文明と未来」について語り、現在を歴史の上に静かに置く。


終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか.jpg巨視的に、16世紀から今日までを経済の視点から観ている。テーマは膨張、そして近代の自己敗北だと思われる。歴史における危機について本当の危機はグローバル資本主義の膨張が止まった時だ。「近代」の膨張に代わる新しい理念を用意しようという。

カール・シュミットの「世界史とは陸と海のたたかい」。それと16世紀からのスペイン→英国→米国→先進諸国の盛衰のなかで観る。2001年9.11は「X?Y?Z」空間を低コストで安全に移動することを困難にし、9.15のリーマン・ショックは新しくつくったZ軸(電子・金融空間)を収縮させ、日本の 3.11原発事故は、X軸(交易条件)の縮小が、Y軸(市場)の膨張を打ち消して、X?Y空間を縮ませた近代に区切りをつけた事件・事故だととらえる。地理的・物的空間と電子・金融空間の膨張限界だ。

日本はその意味で世界に先行しているのであって、戻れない近代に戻ろうとして、成長をめざしても、巨視的に観て問題設定自体に間違いがある。デフレも、 GDPデフレーターが上昇しないと脱却できない。世界経済がよくならないと、GDPデフレーターは上昇しない。しかし世界がそうなると、原油価格をはじめ交易条件は悪化する。結局、成長が収縮をもたらし、「X―Y―Z」空間は崩れ、日本国内ではデフレは脱却できず、そうした交易条件悪化のなかでの人件費抑制は続き、売り上げが増加しても雇用者報酬は減り、結局、中間層は弱り、さらに消費は低迷する。

世界的にも日本においても、そうした「成長が収縮をもたらす」数々のアンビバレンツが噴き出す。成長、供給過剰、16世紀にもあった利子率革命が1974年以降の今も、資本の利潤率を再び引き上げようとする反利子率革命としてのグローバリズム――水野さんは「21世紀は脱テクノロジー、脱成長の『共存の時代』」「近代は過去の遺産を食い潰し、未来の利益を横取りした時代」と警鐘を鳴らす。経済のみならず、文明や思想を問う力が伝わってくる。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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