
カール・シュミットの「世界史とは陸と海のたたかい」。それと16世紀からのスペイン→英国→米国→先進諸国の盛衰のなかで観る。2001年9.11は「X?Y?Z」空間を低コストで安全に移動することを困難にし、9.15のリーマン・ショックは新しくつくったZ軸(電子・金融空間)を収縮させ、日本の 3.11原発事故は、X軸(交易条件)の縮小が、Y軸(市場)の膨張を打ち消して、X?Y空間を縮ませた近代に区切りをつけた事件・事故だととらえる。地理的・物的空間と電子・金融空間の膨張限界だ。
日本はその意味で世界に先行しているのであって、戻れない近代に戻ろうとして、成長をめざしても、巨視的に観て問題設定自体に間違いがある。デフレも、 GDPデフレーターが上昇しないと脱却できない。世界経済がよくならないと、GDPデフレーターは上昇しない。しかし世界がそうなると、原油価格をはじめ交易条件は悪化する。結局、成長が収縮をもたらし、「X―Y―Z」空間は崩れ、日本国内ではデフレは脱却できず、そうした交易条件悪化のなかでの人件費抑制は続き、売り上げが増加しても雇用者報酬は減り、結局、中間層は弱り、さらに消費は低迷する。
世界的にも日本においても、そうした「成長が収縮をもたらす」数々のアンビバレンツが噴き出す。成長、供給過剰、16世紀にもあった利子率革命が1974年以降の今も、資本の利潤率を再び引き上げようとする反利子率革命としてのグローバリズム――水野さんは「21世紀は脱テクノロジー、脱成長の『共存の時代』」「近代は過去の遺産を食い潰し、未来の利益を横取りした時代」と警鐘を鳴らす。経済のみならず、文明や思想を問う力が伝わってくる。