本物のおとな論.jpg「いつまでも一人前の人間にならない大きなこどもがふえた」「それは当り前である。学校は生活を停止して知識を教え」「家庭は豊かになり、ひとりっ子がふえ"ハコ入りこども"として大事に育てられ、生活がない」という。

「大人といわれる人はそれぞれのスタイルをもっている。スタイルのない生き方をしているのは大人ではない」「落ち着いた声で話すのが大人である」「ハダカのことば、むき出しのことばは・・・・・・よくないことばである。ことばを慎む――それが大人である」「大人にはたしなみが必要。敬語はことばのたしなみである」「ハコ入りはハコから出さなくてはいけないというのが大人の知恵である」「学校出は多く、苦労が足りない・・・・・・人間がわからない。心が冷たい。自己中心的で幼稚である。知識と智恵を混同している・・・・・・あわれな知性の貧困である」「エスカレーターでなく、階段が大人をつくる。いまの教育はエスカレーターのようなものである。知識(教育)だけでは人は育たない。苦労という月謝が人を育てる」「文化はウソ半分、である。ウソのうまくないのは、幼い文化、幼い人間である」「相手を大切にするのが大人である」「A級人間は試行錯誤する。模倣は易く、失敗は難し。知識は安く、生活は貴重。B級の優等生よりA級の劣等生の方がすぐれているのである」・・・・・・。

中年になっても大人になれない人が少なくないことが問題だと、静かに説く。


日本語の作法.jpg「いくら乱暴な人でも上司に会うのに腕まくりをするようなことはすまいが、ことばに関しては腕まくりのようなことばを使って平気である。ことばの文化は服装ほどには進化していないのかもしれない。ことば遣いは相手を考え、遠慮会釈のあるのが一人前である」

人にやさしいことば、また刺すことばがあるが、「人を傷つけない、人にやさしいことばは、美しいことば以上に大切である」

「・・・・・・たいへん役不足でありますが・・・・・・」は力不足の誤り、ことばの過ちだ。

「あいさつ、人のためならず」

「ナシのつぶて(投げた小石が返ってこないことに梨とナシをかけた)は礼を失する」

文化の成熟した社会では、ことばが大切にされる。ことばは教養の目じるしだ。戦後、ことばが乱れ、人の心もすさび、人間関係がざらざら、ぎすぎすしている。乱雑な世の中。敬語をきちんと使える人になることが成熟さの度合だ。

「長上に対してなれなれしい口をきいて平気だというのは未熟である」

淡々と書かれているが、内容は重い。


魂の沃野上.jpg魂の沃野下.jpg応仁の乱(1467~1477)の頃の加賀。加賀西部の地侍・風谷小十郎忠高と一族、固い結束の風谷党。本願寺宗主の蓮如と息子たち。そして加賀の守護大名・富樫政親――。三者の攻防、戦場を覆い尽くす念仏と生死。願わざる戦いに追い込まれていく業ともいえる。人々の魂のうねりが描かれる。

形而上と形而下。政治と宗教・宗派。幕府と守護大名と地侍の魂の所住の異相。民の幸せと宗教・政治。戦国の乱世に突入する前夜の加賀に、一向一揆とその時代がまさに活写される。


孤篷のひと.jpg激動の世を生きた大名・茶人・建築作庭家の小堀遠州が到達した境地と世界が描かれている。「茶とは何か」「人が生きる道とは」という根源的命題に貫かれた生涯が淡々と語られる。

小堀遠州(1579~1647)の生きた天正、文禄、慶長(1596~1615)、元和(1615~1624)、寛永(1624~1644)、そして正保の時代は激烈・苛烈な時代。

千利休――古田織部――小堀遠州と連なる大茶人の道。しかし、それぞれの生きる環境は激流であるがゆえにかなり異なる。遠州を取り巻く人間群はすさまじい。千利休、古田織部は勿論、豊臣秀吉、秀長、石田三成、徳川家康、秀忠、家光、後水尾天皇、藤堂高虎、伊達政宗等・・・・・・。それぞれとの出会いを振り返り、「茶とは」「人が生きるとは」を語っている。

「かつて利休が好んだ黒楽茶碗の傲然とした様が脳裏に浮かんできた。織部もまた、茶人としてのおのれを貫くために、天下人に抗おうとしているのではないだろうか」「天下太平の茶を点てたい」「天下ではなく、おのれの安寧のために天下人に媚びる茶を点てようというのか」「ひとは生きていく限り、この世の悲しみを負わねばならぬようです。わたしたちにできるのは、悲しみのあまりにこぼれた涙の一滴を、飲み干すことだけではないでしょうか」「この世の見栄や体裁、利欲の念を離れて、生きていることをただありがたしと思うのが茶だ(伊達政宗との対話)」「利休殿が言った、泰平の世の茶人とはそなたのことらしいな」「母に疎まれ、弟を殺した者はわし(政宗)や上様(家光)のみではない。・・・・・・そこがお主の茶が退屈なところよ」「利休殿は、罪業を背負った者が点てるのが茶なのだと思われていたのではないか」「利休殿と織部の茶にあって、お主に無いのは、罪業の深さだ」「平心はわたしが目指した茶の心でもある(遠州)」・・・・・・。

柱離宮、大徳寺に移設した孤篷庵の<忘筌>。庭にも茶にも遠州の境地が現れている。「怨みに報いるに思いを以てするのが茶の心だ」「わたしは、川を進む一艘の篷舟(とまぶね)であったと思う。・・・・・・されど、孤船ではなかった」・・・・・・。正保4年2月6日、遠州は逝去、大徳寺の孤篷庵に葬られた。


世界経済まさかの時代.jpg「まさか」が、常に起きる時代だ。気象も政治も経済も社会もだ。変化激しき時代、スピードの時代をどう乗り越えるか。未来を志向するには、そこで起きている変化を的確に分析、判断することだ。

5章から成る。「『Brexit』から始まるまさか」は、英のEU離脱の衝撃と明年のヨーロッパ主要国の選挙などの底流を分析する。「『ヘリマネ狂騒国』のまさか」は、バーナンキによるヘリコプターマネー政策と日本の金融政策。「『中国の脅威』のまさか」では、今年度の中国公船の尖閣諸島周辺への侵入にはじまり、中国と米、日、韓等の戦略。「『脱グローバル化』のまさか」ではトランプ、クリントン、アベノミクス。分析はトランプ大統領誕生となった今でも適格だ。「『課題先進国・日本』のまさか」で日本経済の国民意識、労働生産性の低下、第4次産業革命、働き方改革の意味等が語られる。

いずれも「まさかの時代」の今、世界で何が起きているかを生々しく分析している。

  • 1  2  3

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

月別アーカイブ

上へ