明治天皇は明治元年(1868)10月、東京に入り江戸城は皇城と改称された。その時17歳。そして明治45年(1912)7月、崩御される。渋沢栄一、阪谷芳郎市長ら東京の政財界の人々は「神宮を帝都に創建すべし」と動き始め、またたく間に巨大なうねりとなった。しかし、東京には針葉樹は育たない。
林学者として反対していた本郷高徳らは、造営が決まるや胆を決める。「かくなる上は、己が為すべきことを全うするだけだ。明治を生きた人間として」「天皇の徳を懐ひ 天皇の恩を憶ひ(漱石の奉悼の言葉)」・・・・・・。全国からの献木10万本、勤労奉仕のべ11万人、完成は150年後。大事業が始まった。
"明治を生きた人間"は何を考えたか。人々は何ゆえに天皇を尊崇し、神宮を造営しようとしたのか。東京の落胆、焦慮、そして万謝の念。武士の城と日本の求心力。絶対的支配とは異なる万民への「まなざし」と人々の受容と安堵。
「明治という時代は大正になって、ようやく完成したのかもしれない」とのつぶやきが、心奥に伝わる。自らを厳然と律しながら、常に心は民衆に開かれていた天皇――主人公の東都タイムスの瀬尾亮一の思いと行動が描かれる。
「子どもの貧困を放置してしまうと、社会の支え手が減ると同時に支えられる人が増える。そのコストは社会全体で負担しなければならない」「家庭の経済格差が子どもの教育格差を生み、将来の所得格差につながる貧困の連鎖が問題となっている。その貧困の連鎖が及ぼす経済的・社会的影響を具体的な金額として示す。子どもの貧困の社会的損失推計を示す」――。「子供の貧困」は他人事ではない。ジブンゴトとしてできることをやろうと、日本財団 子どもの貧困対策チームがやっていることを紹介しつつ訴える。
OECD諸国における日本の子どもの貧困率(相対的貧困)は、34か国のうち上から10番目と高く、ひとり親家庭の貧困率はワースト一位だ。ひとり親、とくに母子世帯の収入は低く、子どもとの接触も少ない。放置すると「大卒は半減し、中卒は4倍増」「非正規社員や無業者が一割増加」「1人当たりの生涯所得が1600万円減少」「1人当たりの財政収入が600万円減少」「全体で所得が40兆円超、財政収入が16兆円失われる」という社会的損失をもたらすと推計する。1年当たりで換算すると「所得の減少数は約1兆円、財政収入の減少数は約3500億円」という。
「進学率や中退率を改善することで所得が向上する」ということだが、より本質的な子どもの貧困問題は「社会的相続(自立する力の伝達行為)」が歪められることだ。その内容を「金」「学力」「非認知能力(学力等以外の自制心、やり抜く力など)」等を分析し、エリクソンの発達段階的なライフサイクル論を示す。とくに非認知能力の重視、重要性だ。
国の取り組み、足立区など各自治体の取り組みとともに、NPO等の取り組みを紹介している。待ったなし、今やるべき重大問題だ。