落陽 朝井まかて.jpg明治天皇は明治元年(1868)10月、東京に入り江戸城は皇城と改称された。その時17歳。そして明治45年(1912)7月、崩御される。渋沢栄一、阪谷芳郎市長ら東京の政財界の人々は「神宮を帝都に創建すべし」と動き始め、またたく間に巨大なうねりとなった。しかし、東京には針葉樹は育たない。

林学者として反対していた本郷高徳らは、造営が決まるや胆を決める。「かくなる上は、己が為すべきことを全うするだけだ。明治を生きた人間として」「天皇の徳を懐ひ 天皇の恩を憶ひ(漱石の奉悼の言葉)」・・・・・・。全国からの献木10万本、勤労奉仕のべ11万人、完成は150年後。大事業が始まった。

"明治を生きた人間"は何を考えたか。人々は何ゆえに天皇を尊崇し、神宮を造営しようとしたのか。東京の落胆、焦慮、そして万謝の念。武士の城と日本の求心力。絶対的支配とは異なる万民への「まなざし」と人々の受容と安堵。

「明治という時代は大正になって、ようやく完成したのかもしれない」とのつぶやきが、心奥に伝わる。自らを厳然と律しながら、常に心は民衆に開かれていた天皇――主人公の東都タイムスの瀬尾亮一の思いと行動が描かれる。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

月別アーカイブ

上へ