百歳を迎えての日常と今の思い――。黙々と原稿用紙に向き合う書斎の写真が印象的。
「私は売れるために小説を書くということを考えたこともありません。表現したいことを小説やエッセイに書きたい、ただそれだけなのです。・・・・・・本が売れて、何がめでたい」「こうすれば、読者が泣く、こうすれば笑う、というテクニックを私はやりたくない。でも父の小説に感動し、勇気づけられた読者がいました。国のために、と勇気づけられて戦争に行ったのは、父の愛読者だった少年たちです」「これで戦争に勝てるとは誰も思っていませんよ。でも国を守るためにやれといわれるからやるんです。当時の日本人はみなそうでしたね。素直というか主体性がないというか純情というかアホというか」・・・・・・。
1965年、「戦いすんで日が暮れて」で直木賞。夫の借金を肩代わりした経験をユーモアたっぷりに描いた小説。「私の人生は行き当たりばったりですが、借金を背負ったときの私も無謀でした。・・・・・・逃げるくらいだったら戦って死んだほうがいいですよ。そのほうが楽だから。・・・・・・無理なスケジュールでも断らず、全部引き受けたのは、それで借金を返せるからでした」・・・・・・。苦しい経験も糧になると言う。
「家に強盗 庭に飛び出し、塀のぼり」――美人作家を狙う強盗が話題の頃、北杜夫から「おめでとう」の電話。
「この国が最も変化したのは、かつては精神性に重きを置いていた日本人が、こぞって物質的価値観になったことですね。・・・・・・今は美徳を教えないで、損得を教えるようになっている」・・・・・・。
「長生き時代の不安に答えます」――「われわれ凡俗は、自然の流れに従って、生きていくしかありません」「『老後はのんびり暮らしたい』なんてよく言いますけど、のんびりっていうのはそんなに幸せなもんじゃない。健康な人間だったらやっぱり、働くことで幸福感が湧いてくるものです」「大変なことにぶつかって乗り越えていく。マイナスを糧にできる人こそが本当に幸せな人だと私は思います」「(11月のお誕生日で百歳に)誕生日もヘチマもありませんよ。まだ死んでいない、それだけのこと」「『飛脚の佐藤』も、今はヨロヨロ」・・・・・・。
「少女時代のあの家が人生で一番幸福だった」「兄・サトウハチローは奇抜で繊細な詩人だった。・・・・・・才智を駆使して人を笑わせる」・・・・・・。
90歳ってどうなんだろうと思うが、100歳など思いもつかない。
