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現場の声を大事にし、「ジャーナリズムは権力を批判するのが仕事だ」という鈴木さんが、安倍政権と政党に歯に衣着せぬ批評を展開する。フランスの哲学者ベルクソンは「問題は正しく提起されたときにそれ自体が解決である」といったが、何事も論議がまともに行われて熟度のある問題提起がされることが大切だ。そのためには視野は360度にわたることともに、三次元、四次元の論議ということだろう。


本書は「安倍政権の5大問題」「世界から見た安倍外交」「安倍政権の未来」の三章からなるが、あえて問題をぶつけようと、インコースへシュート、アウトコースへスライダーと多彩な球を投げているように思う。その厳しい攻めを受けてキチッと打つのが政権というものだろう。


「安倍総理はリアリスト」などの人物評も随所に出てくるが、鈴木さんの人間への温かさを私は感ずる。


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6本のスポーツ短編集。「連投(高校野球の神奈川予選)」「インターセプト(アメリカンフットボール)」「失投(やり投の第一人者と若きライバル)」「ペースダウン(箱根駅伝の快走後の初マラソン)」「クラッシャー(怪我に悩まされ続けたラグビーの4年生フォワード)」「右と左(もつれにもつれたプロ野球のシーズン最終戦のマウンドを誰に託するか)」――。


スポーツ選手は勝負に生きているだけに、ある部分においてきわめて神経質だ。しかも、怪我に悩まされ続ける。練習しなければ強くなれないが、怪我はより悪化するのではないかと逡巡する。過度の作られてしまった期待もある。ここで退けば1人取り残されるのではないか。さまざまな恐怖も同居する。そんななかでの攻守が入れ替わるターンオーバーの瞬間が必ず訪れる。


いずれも、あまりにも納得できる短編だが、「自分の力を誇示することしか考えていなかった。そうじゃない。ラグビーは、誰か――チームメートのためにやるものだ。味方を信じて命を預け、たった一つの目的のために心を一つにする。・・・・・・」――ラグビーをやっていた堂場さんの愛着がにじみ出ている。


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「私の理想は、無名のうちに慎ましく生きて、何も声を上げずに死んでしまうことです。ただ、文章を書きたいという欲求はある」「人間というのは、生きていると社会的地位や肩書がくっついたり、係累がまとわりついたりします。そういうもの一切を払い捨ててゆきたい、脱ぎ捨ててゆきたい、何にも持たない生まれてきたときの自分にもどり、大地に還っていきたい」「現代人は自己顕示に汲々とし、自己愛に苦しんでいる。虚しい自己顕示競争に駆り立てられるのではなく、"自分の人生の主人になる"ことだ」「自分を匿さない。のた打ってでも生きることだ」「ナショナリズムとは、近代国民国家が生み出した病弊でしかありません・・・・・・膨大な人命を犠牲にして負けたあの戦争から学ぶことはいくつもあるけれど、イデオロギーとしてのナショナリズムは卒業したというのが、戦後最大の成果だと私は思っている」「パトリオティズムともいうべき愛国主義的な感情は個々の国民も持ったでしょうけど、自分たちの国を守らなくては、という意識はありませんでした。これが近代国民国家になると、国民一人ひとりが国を守るために命を捨てねばならないことになる」・・・・・・。


「逝きし世の面影」についてもふれている。従来の江戸時代のイメージとは相当違っている。前近代の社会は近代の社会とは大いに違うこと、そして優劣ではなく、不連続であること、「それはそれなりにいい文明なんだ」と、現代文明を相対化する鏡として示したことを、淡々と語る。江戸の人びとは、貧しくとも幸せであり、幸せに暮らす術を知っていたのだともいう。


「生きる」「無名」「幸福」を、渡辺京二さんの境地から語ってくれている。人生論は生命論。仏法の「煩悩即菩提」「桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり」を思いつつ考えた。


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「気品」――。この気品を備えることが、いかに素晴らしいか。美しい心が、姿・形に現われ、その美しい所作が美しい心を生み出し、気品となる。「形から入って心に至る」という武士道の精神を体現し、一期一会の人生に「一度のお辞儀で、人の心を捉える」ことが、いかに重きをなすか。


「姿勢を正せば心が変わる」「嫌なことは"丹田"に納めよ」「"残心(ざんしん)"で思いやりの気持ちを残す」「型を身につけ壊す(守破離)」「人生とは上手に感情を自制する技」「表向きの顔をつくりなさい」「質素倹約は本質を見極める」「忙しいときこそ贅沢な時間をつくる」「美しい挨拶――言葉と動作を一緒にしない、胸元に"懐"をつくる、静と動の動きにメリハリをつける」「気品とは、人さまに心を配ること」「何ごとにも、入口があれば、出口があるのですよ(最終的な仕上がりをイメージすること)」・・・・・・。


水戸徳川家の流れを汲む讃岐国高松藩松平家の末裔の松平洋史子さんが、祖母・松平俊子が昭和女子大の校長時代にまとめた松平家に代々伝わる生き方教本「松平法式」を、現代に生きいきと語る。


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有田の薪炭屋大店・山城屋の健太郎は、公儀隠密から伊万里で塩硝(爆薬)が密造され、江戸に運ばれようとしていることを聞く。江戸や伊万里、五箇山などを舞台として、伊万里屋、山城屋、野沢屋などの商人や隠密、渡世人などが入り乱れての戦いあり、拷問ありと、めまぐるしい展開となる。


帯に「極限を乗り越えた男の真の強さ」とある。山城屋健太郎もあるが、野沢屋松右衛門や杢兵衛、隠密頭吉岡勘兵衛などが印象に残る。死を覚悟した男の腹の決め方だ。


時は寛政八年(1796年)の1月、2月。何よりも江戸日本橋を中心とした街の風情、生活の様子が生きいきと描かれていることに惹かれた。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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