autosaida-.jpg「ポピュリズム時代の民主主義」が副題。近年、世界各国の政治は、ポピュリズムにSNSなどが加わる「デジタル・ポピュリズム」に覆われている。日本では7月の参議院選で、「右のポピュリズム」参政党など、「左のポピュリズム」れいわ新選組などが躍進。既成政党は、いずれも苦戦を強いられて敗北、一気に多党化時代に突入した感がある。この世界を席巻するデジタル・ポピュリズムの時代――SNSなどを活用して既成政治を批判し、その周辺から攻撃的に勢いを増す各国のアウトサイダーの政治()たちの実像を、水島治郎さん、中北浩爾さん、古賀光生さんら各国政治研究の第一人者たちが分析する研究論文集。10年以上遅れて、日本にその波が押し寄せてきたことがわかる。

「ポピュリズムは、反エリート主義とともに反多元主義を特徴とし、直接民主主義的な政治手法を重視する。現在、欧米諸国では、自民族を優先する排外主義を掲げ、権威主義的な色彩の強い右派ポピュリズム新自由主義に基づく緊縮政策に反対して公正な分配を求め、平等と包摂性を重視する左派ポピュリズム、の2つが潮流となっている(中北浩爾)」。ヨーロッパの左派ポピュリズム政党は、伝来の社会主義政党が中道化して、新自由主義的な政策を採用するなか反エスタブリッシュメントとして台頭、日本のれいわ新選組は、格差是正のための反緊縮と財政出動、消費税の廃止、権力と戦う姿勢の強調など、ヨーロッパ左派ポピュリズムと同様の行動をとる。一方、欧米の右のポピュリズムは、グローバリゼーションの中における自由化・市場化による格差と敗者、加えて移民問題の脅威との相互作用によって、反移民急進右翼政党の「主流化」がもたらされているとする。

本書は「転回するヨーロッパ政治――既成政治の融解」として英国、ドイツ(ドイツのための選択肢fD)、イタリア(五つ星運動の盛衰)、フランス、ベルギー、オランダ(空き家占拠運動の60)を取り上げ、そのポピュリズムの明暗を政治学者が分析している。極めて興味深い。「グローバル化や欧州統合のもとで、各国の市場化・自由化の違いが、民衆階層における地位低下の脅威感の現れ方に重要な相違を生み出したことが明らかになっている」ことが分析される。それぞれの国のポピュリズムが、違う結果をもたらしているのだ。

「『アウトサイダー』時代のメディアと政治――脱正統化される『20世紀の主流派連合』」(水島治郎)はメディアに注目する。かつてはメディアと政治は相互協調にあったが、「新興勢力たるアウトサイダー・メディアやアウトサイダー政治家による『脱正統化』攻撃にさらされている」と言う。「ジャーナリストと政治家という職業がいずれも『半専門職(資格試験があるわけではない)』であり、アウトサイダーによる批判・参入に脆弱である」ことを指摘する。大変困難な時代になったということだ。「ネット空間を活動の場とするアウトサイダー・メディアなくして、アウトサイダー政治家(政党)なし」であり、既存メディアの正統性が揺らいでいる状況だ。「フェイクニュース現象はデジタルメディア時代の落とし子」である。それにどう対処するか、相当の模索と努力が必要となる。

さらに根源的、本質的変化がある。政治家にとって有権者にアクセスするためには「大量の印刷物や組織」は不可欠、つまりメディアや主流派政党への帰属が重要であったが、デジタルメディアの発達はその参入障壁を簡単に突破する。アウトサイダーによる批判、「脱正統化」にさらされるわけだ。アウトサイダー政治家とアウトサイダーメディアは手を携えつつ、主流派政治家・政党と主流派メディアを下から批判し崩すわけだ。しかし、欧米を見ると、アウトサイダーからインサイダーに入ったとき、「アウトサイダーのジレンマ」に遭遇する。「アウトサイダーはインサイダーの敵が必要である」わけだ(イタリアにおける五つ星運動の盛衰)。妥協困難な対立にさらされ、不安定にならざるを得ない。アウトサイダーたちが主役をはる民主主義は、いつ瓦解してもおかしくない「薄氷の上の民主主義」のようなものと水島さんは分析する。

「アウトサイダー・ポリティクス」「ポピュリズム時代の民主主義」「デジタル・ポピュリズムと政治」という現在、最も重要なテーマに挑んでいる素晴らしい学術研究の書。


natumikanto.jpg数学者・新井紀子さんのはじめてのエッセイ集。いやあの名著「AI vs.教科書が読めない子供たち」で「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞したというから2冊目ということになるのだろうか。数学者のエッセイと聞いただけで、硬い論文のように思うが全く反対。面白すぎる。深いしとても刺激的。

ごく日常を率直に語っている。数学嫌いだった新井さんが今、AIデジタル社会の希望と危険性の最前線を牽引している。その波瀾万丈の人生折々のドラマにも驚くが、それを生み出し捉える生命力と感性に感心した。「面白い」とは「面の前がパッと開ける」、問題解決のあの瞬間を言うようだが、一つ一つ率直に語るエッセイはまさにその面白さの連続。ベルクソンは「問題は正しく提起されたときそれ自体が解決である」と言う。本書で「宇宙は数学の言葉で書かれている(ガリレイ)」「定義は何もないところから言葉、そして概念を生み出す行為」と数学を語っているように、常に本質に迫ろうとする姿勢が、日常を語る各エッセイにも奔り出て楽しくなる。文章はうまい。リズムがある。しかし文章がうまいとか、話が上手などと人はよく言うが、中身があるからこそ面白いのだ。とにかく数学だけでなく、料理といい、犬や猫といい、ボウリング、編み物、そして人との出会い・・・・・・。驚くことばかり。とても良いエッセイ集。

「話芸が好きだ(猫と金魚と喫茶店)」「そんなに楽をすると大切な何かを失うに違いない。学生の知性が低下したのは、生協にコピー機が導入された年からだ。・・・・・・『文字で残す』ことの利便性に興奮するプラトンをソクラテスは戒めた。得たなら必ず何かを失う(夏蜜柑とソクラテス)」「我が家の年末も忙しい。お節料理の準備を始める(昆布を炊く)」「物心ついたときには、私はすでに倹約家だった。・・・・・・私は編み物をよくする(筋金入り)」「1984年。22歳の冬休みを私はイリノイ州のシカゴで過ごした(マンザナールの子供たち)」「(イリノイ大学に留学して3)落ち込んだときほど、生きている人間の音楽を聴く。今は前が見えなくても(赤い雨)」「手作りの縫いぐるみの人形を娘に(うちのリカちゃん)・・・・・・

「書かれた通りにやってみれば、必ずや確かな数学とおいしい料理をテーブルに並べられること請け合い(これさえあれば、生きていける)」「私は定理を理解するより、定義が示す世界観を感じることに強く惹かれるようになった。・・・・・・わかったときにこそ、見える景色は広くなる(「解ける」より「わかる」が尊い)」「このような経験の蓄積による因果関係の把握のほかに、人類は未来予測のための別の手段を手に入れた。それが数学という言葉である(数学の言葉が果たす役割)」「もしAIが、eとπ以外の『本質的な超越数』を発見したなら、人間だけでは見られなかった光景だな、と思うかもしれません(博士に愛されない数)」「ホワイトカラーの仕事の5割をA Iが奪っても、介護や屋根の雪下ろし、公衆トイレの掃除などをAIやロボットが担える日が来る見通しは全く立たない(ロボットは東大に入れるか)」「GDPは富の指標にはなりますが、幸せを保証しない。過去に受賞された女性の書き手と同じように、私にとっても最大の関心事は身の回りの具体的な小さな幸せです(卵を料る:日本エッセイスト・クラブ賞受賞の言葉)・・・・・・

「結婚した相手が無類の蕎麦好き。・・・・・・政策決定を、AIという名の統計に任せてはだめ(雪降る里の蕎麦)」「あるお茶会の話」「怪しいメール(メインステージからの風景)」「フィールズ賞が3人も(ハーバードのお誕生日会)」「定理を釣る」「人間キャンセル界隈」「AI技術は『正しさとは何か』という哲学的な問いを捨て去ることによって発展した。ChatGPTという『パンドラの箱』を開けてしまった(哲学を捨てる)・・・・・・

「私は根っからの運動音痴だ。なのに、水泳とスキーとボウリングはそこそこできる。学校ではできなかった。プロのレッスンはボールの選び方のような基本中の基本から始まる。スキーも教える『型』がある(運動音痴と読解力)」――これがまさに「リーディングスキルテスト」「シン読解力」だ。最後の「魔法を学ぶ(令和5年度一橋大学入学式に寄せて)」は素晴らしい。師弟の重要さでもある。人生は、師弟の出会いで決まる。


kyuusuitou.jpg外国人観光客が年間4000万人になろうとしている。外国人労働者は今や日本に欠かせない。外国人と共生する社会――変化する現在の日本で極めて重要な課題だ。それは「国も文化も違う人々とわかり合って生きていけるか」というシンプルな問題だが、「相手の身になって考える」ことが意外に無頓着と傲慢で放置されてきているのではないか。現代日本が直面するこのテーマに、誠実に自分のこととして迫っている秀逸な作品。

中学2年生の桐乃は、神奈川の端、東京寄りの古い巨大な団地に住んでいる。その中の家賃の安い低層団地には日本人だけでなく、ベトナム・中国・カンボジア・フィリピン・ブラジルなど多くの外国人が暮らしていた。学校でも、様々な国籍の生徒がいて、日本語の習得も充分でなく貧富の差も激しく、いじめも横行していた。その苦しんでいる一人が、ベトナム人少年・ヒュウ。一方、桐乃は両親と3人暮らしだが、母親の里穂は外国人へのサポート活動に熱心。桐乃は振り向いてくれない母に苛立ちと疎ましさ、孤独を感じる。学校でも鬱屈を抱えていた桐乃とヒュウは次第に心を通わせる。

一学期が終わって夏休み。ヒュウは自分の母を捨てた父親を捜すために団地を抜け出す。「自分の居場所がない。この国にも、学校にも、家にも」と感じるヒュウ。「娘の私より、他人を優先するんだ」「この団地からとにかく脱出して遠くへ行きたい」と思う桐乃。団地を出たヒュウを追う桐乃。娘の家出に激しく後悔する母・里穂。

「父さんに会いに行く。あの高い煙突のある街に行く」――。そこで職場を逃げて助け合っているベトナム人技能実習生たち、ボートで命からがら沖縄にたどり着いた難民のヒュウの祖父・・・・・・。二人は初めての生々しい話を聞くのだった。

「馬鹿みたいなこと言われて、それにいちいち私が怒って・・・・・・。私が変わって欲しいと思っても、まわりは変わらないと思う。前と同じような毎日が続くんだろうけど・・・・・・だけどね。あんな学校だけどね、私、やっぱり学校に行きたい。勉強を思い切りしたい。知らないことをもっと勉強したい」「ヒュウ・・・・・・、おじいさんの家に連れてきてくれてありがとう。こんな海を見せてくれてありがとう。私、今年の夏休みのことは、一生忘れないような気がする」「フラフラと遊んでいないで勉強するんだ、ヒュウ。ぼやぼやしていると、人生なんてあっという間に終わってしまう。自分の人生を少しでも良くするために、何が必要なのか、必死に考えろ」「生きようと、お前の人生はお前のものだ。誰のものでもない。それがどんな人生でも、自分の人生を愛し、生きるんだ」「おまえにできないことなんて何にもないんだよ。つらいことがあるのなら闘え。それができないのなら耐えろ。終わりのない嵐なんてないんだ。いつか必ず去る。いつか必ず晴れる」「(インドシナ難民の同じクラスの)タオが言ったの。『私は日本が、日本人が怖い』って。・・・・・・でも、私は言ってしまったんだよね。『日本も日本人もそれほど悪くないと思うよ。タオがもっと日本に慣れたらさ』って。・・・・・・いちばん言われたくない言葉だよね。それを私はいちばん大事な友達だと思っていたタオぶつけてしまったの」「(ヒュウの体が震えた)私なら、許すと思ったのか? 私たちが日本の社会に受け入れてもらうために、どんな苦労を乗り越えてきたか、おまえにわかるか? 少しずつ積み上げてきたものを同じ国の仲間が蹴り崩していく、その悔しさがわかるか?」・・・・・・

それをずっと見つめてきた団地の給水塔。虹がかかるが、また消える。だが、苦しいものの見た虹は心に残る。違うからこそ、共に生きるからこそ世界は広がり面白い。


daitaisia.jpg地方紙に連載されたエッセイ56 話。「効果抜群! 痛いところに貼ってください アガワ流 心の湿布薬」と帯にあるが、本当にその通り。日常のふとしたことを実に柔らかく、温かく、ユーモラスに描いている。各話ごとにイラストがあるが、阿川さん自身の絵。これが何とも言えなくいい。

「そこで私は決めた。『今日はまあ、だいたいこんなもんかな』----もはや、このモットーにも年季が入ってきた。考えてみれば、私の人生は『だいたいしあわせ』だったと、ありがたく思うのである」「誰もが多面的な性格を、出したり引っ込めたりして歳を重ねていく。だからおもしろい。自分の見知ったほんの一部だけで『こういう人だ』と思い込むと、あるいは『自分はこういう性格なんです』と決めつけると、人生はつまらなくなる。だから私も『だいたい』と『きちんと』を行ったり来たりしている」・・・・・・

猫の話、犬の話、メダカを飼った話・・・・・・。動物は、本当に家族だ。能登半島地震で避難所の方々と餃子を作ったり、金沢で自らのトーク&ライヴ----。力まずできるところが素晴らしい。

「毎夏どんどん暑くなっていく」――確かに昔学校にはエアコンなどなかったし、「数年前まで、もっぱら節電を呼びかけていた」「近ごろは、夜中はずっとエアコンをつけっぱなしで寝てください」とテレビでも言ってる。「電子化不安」――レストランでも、タブレットの画面を出されるし、便利だが、「難儀な場面が増えていくことに恐怖を覚える」と言う。阿川さんまでそう言うんだと、何故かちょっと安心したりする。

「父と耳かき」――。高校時代から耳かきが欠かせず、大学受験の時も試験場に耳かきを持って行った私としては、してやったりと思ったほどの話だった。耳かき話なら、山ほどある。「しゃっくりのいろは」――。「『いろはにほへと』をゆっくり唱えてごらんなさい。まず大きく息を吸って『いーーーーーー』」。初めて聞いた。

あのインテリの阿川さんが、ぶつかったり、転んだり、慌てたり、不安になったり・・・・・・。面白い。人間って誰でもそういうものかも。


masukareido.jpgホテル・コルテシア東京を舞台にして、捜査一課の刑事・新田浩介とフロントクラークの山岸尚美のコンビが事件を解決する「マスカレード」シリーズ第5作。新田は刑事を退職し、ホテルの保安課長として勤務している。

今回、ホテル・コルテシア東京で急遽、日本推理小説新人賞の選考会が行われることになる。最終候補者のなかに、殺人事件の容疑者・青木晴真がおり、選ばれれば記者会見をすることになるいう。

発端は2か月ほど前、奥多摩の山中で遺体が発見され、看護師の宮原亜子と判明。交際相手であり、同じ総合病院に勤務していた青木が容疑者と見られ行方がわからなくなっていた。その青木が、なんと日本推理小説新人賞に応募、最終候補作品に残ったというのだ。警視庁捜査一課の女性警部・梓真尋らが潜入、新田と尚美が全面協力することになる。選考委員、青木と思われる男、宮原の妹等関係者がホテルに集結するが・・・・・・

一方、約30年前、新田の父・克久が弁護人となった大泉学園家族殺傷事件(母親と孫を殺害、娘に重症を負わせた会社員梶谷徳雄による殺人事件)の関係者もこのホテルに集まることになっていた。その結末は・・・・・・

この全く違う2つの殺人事件の真相と解決に向けての知恵の攻防戦は、さすが東野圭吾の世界。「姉が苦しんだ分、青木さんにも苦しんでもらわなきゃ、と思いました。制裁を加えたい、とも」「殺したいほど憎むのも、殺されて当然と思われるほど憎まれるのも、悲しい運命ですものね」「死ぬより辛い道を選ぶこと。生き続けて、償うこと。それが自分の宿命だと気づいたんでしょう」「心に仮面を持っていない人なんていません。時に被り、時には外す。そうして生きているんです。だからこそ、人生が豊かで楽しいものになる。私はそう信じています」・・・・・・。人の宿命、人の出会い。ホテルはその衝突する交差点。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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