プライドが高くて.jpg

「他人を攻撃せずにはいられない人」に続いての著作。誰でも「プライドが高くて迷惑な人」になりうる。「かつては、家庭、学校、社会の中で、自己愛的イメージを徐々に断念させて、現実の自分を受け入れさせる、つまり"身の程を知る"ようにさせるシステムが働いていた。・・・・・・ところが、いまやそれが機能しなくなりつつある」「結局のところ、"経験によって強化された全能感"もしくは"対象リビドーの満足"を大人になってから持てるように、経験を積み重ねたり、良好な人間関係を築いたりすることができるかどうかにつきる。・・・・・・今いる場所で、地道な努力を続けて自然に認められるようになるのが、"プライドが高くて迷惑な人"にならないための最善の方法なのである」という。


現状を受け容れるには、時間も経験もいる。「暴走○○」などとよく言われるストレス社会・・・・・・。仏法では「諦めるは、諦観(明らかに観る)」と説くが、これも相当の修行がいる。


天人.jpg

「深代惇郎と新聞の時代」と副題にある。「天声人語」執筆者の伝説のコラムニスト・深代惇郎を描くとともに、その仲間たち、先輩・後輩のなかに横溢するジャーナリストの魂を描き出している。力ある言葉の紡ぎ手は、心のなかにどれだけの蓄えをもっているかによることを感じさせる。


「深代惇郎にあった特徴のひとつは目線の低さである。権力や権威というものに伏する志向はまるでなかったし、地位や肩書きというもので人を見ることもなかった」「深代はファナティックなものを嫌い、排した。均衡を測ることにおいて精巧なセンサーを体内に宿していた」「深代は、モノを至上とする"進歩史観"への深刻な懐疑主義者であった」「リベラル、柔らかい視線、バランス感覚、正義感、博学多識、ウィット・・・・・・。深い眼差しをもったヒューマニスト像が浮かんでくる」「人と会うこと、本を読むこと、深く考察すること・・・・・・。聞き、話し、感じる。それを文に生かす」「世の中に名文家と呼ばれる人は幾人もいた・・・・・・(深代は)その背後に人生論的なフィロソフィーがあった。人間のもつ深い情感というか、存在の哀しみというのか、天人にもその種のものがどこかに込められていた」・・・・・・。また天声人語を継いだ辰濃和男について「彼は常に弱者、恵まれない人、運の悪い人、死者に温かい眼をむける。おごりたかぶった権力者が嫌いで、この道一筋、地道に、黙々とがんばる人たちに声援を送る」という松山幸雄の言葉も付け加えられている。


「天声人語」は「天に声あり、人をして語らしむ」だ。深代惇郎は自ら「この欄を、人を導く『天の声』であるべしといわれる方がいるが本意ではない。民の声を天の声とせよ、というのが先人の心であったが、その至らざるの嘆きはつきない」と書いている。私がよく使う「民の欲する所 天必ず是れに従う」という言葉に通じよう。


それにしても、そうした心の蓄えから発せられた言葉。三島由紀夫の割腹自殺、田中内閣を怒らせた"架空閣議"、「なんという残酷な社会だろう。親に『謝罪のことば』をいわせ、カメラの前で頭を下げさせる・・・・・・」という痛烈なマスコミ批判・・・・・・。深代惇郎が投げたのは常に選び抜かれた直球だったと思う。


経済政策で人は死ぬか.jpg

「公衆衛生学から見た不況対策」という副題がついている。著者は公衆衛生学・政治社会学のオックスフォード大学教授と同大学の疫学者。


テーマとしているのは不況下において、財政緊縮策か財政刺激策のどちらがいいか。その選択はどのような影響を健康に及ぼすか、ということだ。それを膨大な実証研究によって示している。


1930年代の米国のニューディール政策からソ連崩壊と市場経済移行後のロシアとベラルーシ、さらに昨今のリーマンショック後のアイスランドとギリシャ、そしてイギリスのキャメロン政権やオバマ政権の対応等を検証する。


結論は「不況下での緊縮財政は景気にも健康にも有害」ということだ。「不況時には財政赤字と債務増加の悪循環を招くから緊縮財政を」というエコノミストやIMFのいう通りにして、公共住宅予算や医療費を削減、失業対策費などの削減を行った国は、社会は混乱、病気や自殺も増える。逆にそれを保持する努力をして社会政策を拡充した国は、健康も社会も経済も財政も回復する、としている。


不況下での政策決定は「緊縮政策から距離を置き、もっと健康的なボディ・エコノミックを目指すべきだ」という。そしてその柱とすべきは「有害な方法は決してとらない」「人々を職場に戻す」「公衆衛生に投資する」の3つだと指摘する。「どの社会でも、最も大事な資源はその構成員、つまり人間である。したがって健康への投資は、好況時においては賢い選択であり、不況時には緊急かつ不可欠な選択となる」と結んでいる。


だから日本は世界から尊敬される.jpg

サンマリノ共和国特命全権大使のマンリオ・カデロ氏は、駐日大使の代表である「駐日外交団長」の重責を務める。1975年に来日して約40年、日本の文化を外国人の目から分析。「なぜ日本人は日本の魅力を知らないのか」「日本がいかに素晴らしい伝統、文化、精神性を持つ、世界から憧憬の眼差しを向けられていることを日本人に自覚してほしい」「日本は戦後の荒廃の中から不死鳥のごとく蘇り、世界のトップに比肩するまでに駆け上がった。しかも、近隣のアジア諸国を様々な方法で支援してきた」「日本人は、礼儀正しく、環境に優しく、平和的な民族だ。きれい好きで周囲に迷惑をかけない、慎ましい国民だ」などを、さまざまな例を示して語る。


冒頭と第4章に16世紀後半、九州のキリシタン大名がローマに派遣した伊東マンショらの「天正遣欧少年使節」が紹介される。時は「大航海時代」。長崎の港を出港したのが天正10年2月20日、まさに本能寺の変のあった年だ。ルネッサンス文化と遭遇し、羅針盤、火薬、印刷機の発明発見に立ち会い、地図や航海図、地球儀、測量機械、時計、楽器、建築、美術を伝え、「コロンブスやマルコ・ポーロよりも凄い大偉業だ」という。しかも、伊東マンショたちのみならず、伊達政宗が主宰した「支倉常長らの慶長遣欧使節団」や豊後のペトロ・カスイ・岐部らの勇敢・強さへの感動を語る。


哲おじさんと学くん.jpg

表題からすると子どもに哲学を語るように思われるが、解説書などではない。哲学そのものを真正面から示す哲学書だ。


「本当の重要な問題は現在諸科学が扱っているような問題ではない。例えば、一回しかないこの人生とはそもそも何であり、それをどのように生きるべきなのか、という問題こそ重要だろう。科学はそれに答えず、宗教がそれに答えるが、残念ながら宗教の主張することは嘘(根拠なき独断、作り話)だ」「生の苦しみを無くし生に意味を与えるために作り出されたその種の作り話を、どんな種類のものであれ一切認めないというのが、宗教と対立する側面での哲学の根本前提なのだ(哲学は、祈りを拒否する祈りだ)」――。宗教と科学のみならず、宗教との違いを述べる。「常識や教義によって独断的に答えたくなるようなところで、どこまでも論理的に、理詰めに考えていくことが最も価値ある行為であるという信仰」、それが哲学だという。通俗的思考に堕すのではない、哲学に固有の議論の仕方を随伴して示してくれる。


「君の人生は一回性の、他と比較不可能な、無理由になぜか存在しているだけのもので、それが何であるかは決して分からない何かなのだから、他とも比較可能な意味での幸福な人生など求めたりしたら、台無しになってしまう。・・・・・・人生は、本質的に空しく、根本的にその意味が分からないという意味で無意味なものだからだ。それが本質なのだから、それを味わい尽くしたほうが、生まれて生きた甲斐があるというものではないか」――。世界、生命、実存の究極に妥協なく迫る哲学の深淵にふれさせてもらった。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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