
「深代惇郎と新聞の時代」と副題にある。「天声人語」執筆者の伝説のコラムニスト・深代惇郎を描くとともに、その仲間たち、先輩・後輩のなかに横溢するジャーナリストの魂を描き出している。力ある言葉の紡ぎ手は、心のなかにどれだけの蓄えをもっているかによることを感じさせる。
「深代惇郎にあった特徴のひとつは目線の低さである。権力や権威というものに伏する志向はまるでなかったし、地位や肩書きというもので人を見ることもなかった」「深代はファナティックなものを嫌い、排した。均衡を測ることにおいて精巧なセンサーを体内に宿していた」「深代は、モノを至上とする"進歩史観"への深刻な懐疑主義者であった」「リベラル、柔らかい視線、バランス感覚、正義感、博学多識、ウィット・・・・・・。深い眼差しをもったヒューマニスト像が浮かんでくる」「人と会うこと、本を読むこと、深く考察すること・・・・・・。聞き、話し、感じる。それを文に生かす」「世の中に名文家と呼ばれる人は幾人もいた・・・・・・(深代は)その背後に人生論的なフィロソフィーがあった。人間のもつ深い情感というか、存在の哀しみというのか、天人にもその種のものがどこかに込められていた」・・・・・・。また天声人語を継いだ辰濃和男について「彼は常に弱者、恵まれない人、運の悪い人、死者に温かい眼をむける。おごりたかぶった権力者が嫌いで、この道一筋、地道に、黙々とがんばる人たちに声援を送る」という松山幸雄の言葉も付け加えられている。
「天声人語」は「天に声あり、人をして語らしむ」だ。深代惇郎は自ら「この欄を、人を導く『天の声』であるべしといわれる方がいるが本意ではない。民の声を天の声とせよ、というのが先人の心であったが、その至らざるの嘆きはつきない」と書いている。私がよく使う「民の欲する所 天必ず是れに従う」という言葉に通じよう。
それにしても、そうした心の蓄えから発せられた言葉。三島由紀夫の割腹自殺、田中内閣を怒らせた"架空閣議"、「なんという残酷な社会だろう。親に『謝罪のことば』をいわせ、カメラの前で頭を下げさせる・・・・・・」という痛烈なマスコミ批判・・・・・・。深代惇郎が投げたのは常に選び抜かれた直球だったと思う。