高校の同級生の夫妻、奥さんの著作。韓国で、日本で、米国で生きてきた人生を語っている。波浪が何度も何度もぶつかってきても、砕けることなく生き抜いて来ていることに感動する。日本のなかだけでなく、韓国人のなかでも在日同胞がいかなる位置にあるのか。
夫妻にとって、その人生は常にアイデンティティを考え探し、踏み固める作業を余儀なくされたこと。「振り返ってみると、外国人として日本とこの国(米国)で人生のほとんどの時間を過ごしている。国籍、祖国、母国そして故郷という言葉が法的にも心情的に一致する多数の人々の間で、漂うように少数者として生きてきた歳月であったと言えようか。その社会の周辺にいる自分を、不運であると憐れんだことはなかったが、不条理であるとの思いはあった」と語っている。「選挙ができる。投票ができる」――このことが、いかに大きな喜びなのか。見事な文章。歩んできた人生の足跡の重みが、静かに語っているだけに迫ってくる。
かつて長野県を訪れたとき、「郷土(ふるさと)」や「春の小川」などを作詞したのは長野県の高野辰之という人だという話を聞いた。本書は文部省唱歌「郷土(ふるさと)」「朧月夜」「紅葉(もみじ)」も、「春の小川」「春が来た」も全部、高野辰之によることを、徹底して調べあげている。そして、それらの歌が、志を果たせず下級官吏になった高野の人生そのもの、そして明治、大正の時代を、そして北信濃を投影しているものであることを語る。印象深い。
しかしその源には、信州の古刹・蓮華寺がある。高野の妻となるのが蓮華寺住職の娘鶴江、そしてこの蓮華寺を舞台にして島崎藤村は「破戒」を書く。3回にわたりシルクロード探検隊を派遣した西本願寺第22世門主・大谷光瑞には蓮華寺関係者が随行者となったり秘書になったりする。また作曲した岡野貞一にも当然ふれている。「絶妙のコンビ」であるとしながらも「もともと意気投合してコンビを組んだのではない。文部省唱歌編纂という作業が彼らを引き寄せた」と述べている。
「こころざしをはたして いつの日にか帰らん」「夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷......」。「故郷とは、自分の若い日の夢が行き先を失い封印されている場所のことだ」と猪瀬さんは言っている。そして藤村についても「若い辰之を触発した島崎藤村は夢を生きつづけた。夢を生きつづけるとは、鬼神に身を委ねることである。......大きな代償を払わざるを得ないものだ」ともいう。思いが時間をさかのぼる書だ。
東日本大震災の津波――。三陸の大津波は、決して未曾有の出来事ではない。「自然は過去の習慣に忠実である」(寺田寅彦)といっているが、わかっているのに「人は忘れる」。津波に「対抗する」のではなく「備える」「逃げる」ことが重要だ。「自然を征服する」のではなく、「いなす」「すかす」のが先人の知恵だ。
そして「原発」と「想定外」。「基準を守ればいい」「マニュアルを守っているからいい」のではない。「何も考えない」ではなく、日頃から訓練をして想定外のことにも咄嗟にきちんと対応できるようにすることだ。「コンプライアンスが法令遵守と訳されるが、そうではなく、社会の要求に柔軟に対応するというのが本来の意味だ」「日本の組織はマニュアル偏重主義に陥りがちだが、人は"見たくないものは見えない""聞きたくないことは聞こえない"ものだ」――。
「組織事故」「共同体事故」「多重防護の必要性」――「失敗」「事故」について、現場を歩いて何が大切かを示してくれている。
「正論」や「正解」にだまされるな、と副題にある。もっといえば「正義」を囚われるとか、「ねばならない」と考えすぎず、どうしたら「別解」にたどりつけるか、どうすれば絶望を乗り越えられるか、ということだ。まさに「○と×」ではなく、「どう乗り越えるか」という別解だ。
政治でも「現場を基軸に△を探す」ということになる。鎌田さんの「がんばらない」をはじめとして多くの書に接し、感銘してきた。私は「頑張るが無理しない」と走りすぎを戒めてきたが、鎌田さんは「がんばらない」けど「あきらめない」だ。「自由」「とらわれない」「"がんばらない"けどあきらめない」「○か×かで生きるのはもうやめよう。もっと自由で創作的な別解、○に近い△を見つけよう」――具体的な例が数多く紹介されている。
自身が大変なことも乗り越えてたどり着いた「境地」「境涯」の世界だと思う。