sarakin.jpg「消費者金融と日本社会」が副題。個人への少額の融資を行ってきたサラ金や消費者金融。戦前の素人高利貸から質屋、団地金融を経て、経済変動や不況、法的規制を受けながらも金融技術の革新によって乗り越えてきたサラ金・消費者金融。サラ金が貧困者のセーフティーネットであった事実とともに、多重債務者や苛烈な取り立てによって自己破産や自殺者を生み、多くの人々を破滅へと追いやったことも現実である。「サラ金の非人道性を強調するだけで、問題が本当の意味で解決するとは思えない」「サラ金は、貯蓄超過や金融自由化というマクロな経済環境の変化と深く結びつきながら成長し、現在も日銀・メガバンクを頂点とする重層的な金融構造の中にしっかり根を下ろしている。個人間金融から生まれたサラ金を肥大させたのは、日本の経済発展を支えてきた金融システムと、それを利用する私たち自身だった」「21世紀初頭、主要なサラ金企業の多くはメガバンクを中心とする銀行の傘下に入った。小口信用貸付の主流は、サラ金を含む貸金業から、銀行カードローンへと移りつつある」・・・・・・。戦後76年、激変する日本経済・社会の中で、現場の庶民の生活・家計と小口信用貸付・サラ金という生々しい現実から描く日本の経済史。極めて優れた意欲作。

「家計とジェンダーから見た金融史」「『素人高利貸し』の時代――戦前期」「質屋・月賦から団地金融へ――1950~60年代」「サラリーマン金融と『前向き』の資金需要――高度成長期」「低成長期と『後ろ向き』の資金需要――1970〜80年代」「サラ金で借りる人・働く人(債務者の自殺・家出、債務回収の金融技術) ――サラ金パニックから冬の時代へ」「長期不況下での成長と挫折(改正貸金業法の影響と帰結) ――バブル期〜2010年代」「『日本』が生んだサラ金」・・・・・・

戦後日本の経済・社会が、生々しく描かれる鮮やかな労作。私自身、様々なことが思い起こされる。


onnanoinai.jpg村上春樹の短編小説6編。いずれも「女のいない男」「いろんな事情で女性に去られてしまった(去られようとしている)男たち」を描く。「ドライブ・マイ・カー」は映画化されて、カンヌ国際映画祭、アカデミー賞など数々の受賞をした原作でもあり、どう映像となるかも興味深い。

「ドライブ・マイ・カー」――。舞台俳優・家福は突然、美しい妻を子宮癌で失い喪失感に苛まれ続ける。愛し合っていた二人だが、妻はなぜか他の男と関係を結んでいた。専属ドライバーになった寡黙な若い女性・渡利みさきと少しずつ内面の話をするようになる。「僕らはみんな同じような盲点を抱えて生きているんです」「家福さん。考えてどうなるものでもありません。私の父が私たちを捨てていったのも、母親が私をとことん痛めつけたのも、みんな病がやったことです。頭で考えても仕方ありません」・・・・・・

「イエスタデイ」――。田園調布出身なのにコテコテの関西弁をしゃべる浪人中の木樽と、芦屋出身で一切関西弁をしゃべらない大学生の谷村。木樽はなんと自分の彼女の栗谷えりかを「おまえ、こいつと個人的につきおうてくれへんかな?」と驚くべきことを言う。「独立器官」――。52歳になるまで約30年、常に複数の「ガールフレンド」を持っていた独身の医師・渡会。思いもよらず深い恋に落ちてしまった。「逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり」(権中納言敦忠)のような、さよならの後に感ずる喪失感や息苦しさを感じるのだった。そして「私とはいったいなにものだろう」と・・・・・・。食べ物が喉を通らなくなり命を落とすのだが、渡会は「すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき具わっている」と意味深長なことを言っていたことを想い起こす。

「シェエラザード」――。北関東の地方小都市の「ハウス」に送られた羽原のところに、週2回のペースで「連絡係」の女性が訪れる。交わった後彼女は「千夜一夜物語」の王妃シェエラザードと同じように興味深い話をしてくれる。「シェエラザード」と名付けられた彼女は、17歳の高校2年の時、同じクラスの男の子に恋をして、「私は定期的に彼の家に空き巣に入らないではいられないようになった」ことを打ち明けるのだった。「木野」――。妻に男ができて離婚、小さな喫茶店「木野」を開いた男・木野。そこを訪れるカミタという男、体に火傷を負う女、猫、そして蛇。「彼をほのめかしの深い迷宮に誘い込もうとするかのように、どこまでも規則正しく。こんこん、こんこん、そしてまたこんこん。目を背けず、私をまっすぐ見なさい、誰かが耳元でそう囁いた。これがおまえの心の姿なんだから」・・・・・・。成熟した男女の心のひだと深層、色彩のない景色と長雨、それを絶妙のセンスとメロディーとリズムで描く。

「女のいない男たち」――。夜中の1時過ぎに低い声の男から「妻が先週自殺した」と電話がある。なぜ、長い間彼女に会ってもいない自分に知らせてきたのだろう。結婚したことも、どこに住んでいるかも知らない自分に。「女のいない男たちになるのはとても簡単なことだ。一人の女性を深く愛し、それから彼女がどこかに去ってしまえばいいのだ」「女のいない男たちになるのがどれくらい切ないことなのか、痛むことなのか、それは女のいない男たちにしか理解できない。素敵な西風を失うこと」・・・・・・。一人の女性を失うことは、すべての女性を失うことでもあり、仕切りのない広々とした音楽、色彩や奥行きのある世界を失うことでもある。


saityou.jpg「仏教史上最大の対決」が副題。奈良時代から平安時代に変わったばかりの9世紀初頭、最澄(776〜822)と、東方の陸奥国、現在の会津地方を中心に活動していた徳一(とくいつ、生没年不詳)との間で交わされた大論争。最澄は法華経の一乗説こそが真実であるとする天台宗、徳一は三乗真実説の法相宗に立つ。「最澄・徳一論争は、マイナーな宗派の徳一がメジャー宗派の最澄に挑んだと思われがちだが、実態はむしろ逆。当時、日本の天台宗はできたばかりの新参であった」と言う。日蓮大聖人の「開目抄」には「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしずめたり、龍樹・天親・知ってしかも・いまだ・ひろいいださず、但我が天台智者のみこれをいだけり」とある。この論争は、「三一権実諍論」と呼ばれ、「三乗説と一乗説のどちらが真実であるか」などの論争だが、最澄は「一乗が真実であり、三乗は方便だ」と主張した。さらにその背景には龍樹の「空」、天親の「唯識論」があり、あらゆるものは存在せず「空」であることに対し、識の実在性を強調する唯識派が日本の三論宗・法相宗の対立に影響を及ぼしていたという。「空有の論争」である。それはまた「一切衆生悉有仏性」説の是非をめぐる大論争をも惹起し、三乗真実説は五姓各別説の立場をとる。仏性論争は一切皆成仏説と一分不成仏説の対立となる。一乗法、悉有仏性が真実だと思うが、本書は研究者として論争とその背景に迫っている。また異なる宗教、哲学、思想間の対論として「因明」を詳説する。


sinsan.jpg2014年から毎週、読売新聞夕刊の連載コラム(2014~2021)の傑作を書籍化したもの。流行語大賞候補として、取り上げられたようなキーワード250語について、コメントしている。2021年で言えば、「愛の不時着カップル」「パンダの返還延期」「ガッキーロス」「ゴン攻め」「ピクトグラム」「大江戸温泉物語の閉館」など26語。「レジェンド」は、ソチ五輪の葛西紀明選手で2014年、「ポケモン GO」「ぺンパイナッポーアッポーぺン」は2016年、「うんこ漢字ドリル」は2017年、「大迫半端ないって」は2018年、「令和ビジネス」「ハンディファン」は2019年、「昆虫食ブーム」「レジ袋有料化」「高級マスク」は2020年――。その時の「流行」を思い起こす。幅広い話題を、丁寧に温かく描く。


sihon.jpg「経済停滞と格差拡大の謎を解く」が副題。金融緩和を極限まで行い、赤字国債等を大量に発行しても、予定した成長と物価上昇を果たせない日本。アベノミクスで株価は上昇、雇用も拡大したが、本格的な「低成長と格差」の脱却を果たせない日本。それは、「資産選好(お金や富の保有願望)」があるからだ。だからいくらお金を市場や家計にばらまいても、肝心の「総需要」が増えない。成長経済の時の金融緩和や構造改革や減税・ばらまきの経済成長戦略ではダメで逆効果、成熟経済の経済戦略にはっきり転換せよ、という。それが日本だけでなく、成熟した日米欧経済が停滞している本質だ、という。成熟経済の経済戦略は一つの方程式で全部説明できると説く。

なぜ、消費が伸びない、低迷するのか――。つい先頃までは、将来に対する不安があるからだとか、モノがあふれて買いたいものがなくなっている等と説明されてきた。そうではない、もっと本質的な問題がある。経済が豊かになるにつれて、人々の興味が消費から蓄財に向かう「お金を使うことよりも保有自体に幸せを感じる」「資産選好」にあるからだとの指摘だ。確かに、私たちの実感と合致する。一人当たりGDPが世界から25位に下落していることばかり指摘されているが、一人当たり個人金融純資産では世界有数の豊かな国(9となっている。フローの停滞ばかり指摘されるが、実質貨幣量や株価などストックばかり伸びる現象が起きているのだ。「総需要が伸びず、生産能力を使いきれなくなった成熟経済では、生産能力のいっそうの拡大ではなく、新たな消費を考えることが経済の活性化につながる」「必要なモノは揃っており、新たな消費創出の可能性があるのは、芸術・スポーツ・観光など新しい面白いものや、緊急時に備える医療等の創造的消費だ」「成熟経済の財政支出で重要なのは、金額的規模ではなく、国民の安心・安全を確保し、生活の質の向上に役立つ社会インフラや公共サービスを提供する財政支出本来の目的とともに、民業を圧迫することなく、どれだけの規模の新規雇用や新規需要を創出したかということが重要」「新しい公共事業の対象としては、民間製品の代替品ではなく、そのため民間の生産活動を妨げない、環境、観光、医療、介護、保育、教育などの分野。観光インフラの整備が観光業を発展させるように、これら社会インフラを整えていけば、私的消費の分野においても新たな需要が創出される」等々、具体的に提言する。「供給の経済学」とは逆の「総需要が総生産を決める需要の経済学」だ。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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