ningen.jpg「あるいは日本人の心の基軸」と副題にある。世界宗教、それは民族宗教から脱皮したものであり、キリスト教であれば「使徒パウロがイエスの十字架の死を『人間の原罪を背負った死』に昇華させたことから民族、階級、性別を超えた『キリスト教の世界化』をもたらした」「パウロがキリスト教を創った」という言葉がある通りだ。仏教で言えば、「内省と解脱の仏陀の内なる仏教を、弟子や後進が『衆生救済』の大乗仏教へと『加上』していく過程」、それが世界宗教を形成した。「現代日本人の魂の基軸は、中東一神教のごとく『絶対神』に帰依するものではなく、宗教性は希薄と言わざるを得ないが、潜在意識においては緩やかな『神仏儒』を習合させた価値を抱えている。神社神道、仏教的思潮、儒教的規範性、これらを重層的に心に堆積し、日本人の深層底流を形成している」「極端なまでに政治権力(国体)と一体化した国家神道の時代への反動から、ひたすら経済の復興・成長を最優先する『宗教なき社会』を生きてきた戦後日本」とし、「レジリエンスを取り戻す臨界点」の日本において、宗教の真価が問われるという。深き思想・哲学が求められるということだ。

本書の論及は広大で深い。私自身が経験し、学び、行動してきたことが、一つ一つ鮮明になる。圧巻とも言える本書は、人類史における宗教の淵源から世界の宗教史に迫り、中東一神教、特にキリスト教、イスラムの世界化を追う。また仏教に関しては、ブッダの仏教と、竜樹や世親の大乗仏教、中国を経て漢字の教典となった仏教の意味、そして日本に伝来した仏教が最澄、空海、親鸞、日蓮らによってどのように日本国と日本人の基軸を形成したかを探求する。

また神道の形成と天皇、天武、持統期以来の仏教と天皇、「神仏習合」について語る。「江戸から明治へ――近代化と日本の精神性」について、新井白石、荻生徂徠、本居宣長、内村鑑三、新渡戸稲造、鈴木大拙、司馬遼太郎、PHPの松下幸之助等々、「時代と宗教」「日本人と宗教」を掘り下げていく。「明治近代化と日本人の精神」は根源的なものだが、明治に埋め込まれた「国家神道による天皇親政という呪縛」「国家神道幻想」が敗戦という挫折をもたらし、そして今、私流に言えば、「諸法実相」の全体知たる宗教的叡智が日本社会のレジリエンスとしていかに重要かを説く。人類史、日本史を全的に把握する力業のごとき「人間と宗教」ヘの論及に感銘する。


doutyou.jpgこの数年、立て続きに発覚した組織内不祥事――決算水増しの東芝、リコール隠しの三菱自動車、免震ゴムデータ改ざんの東洋ゴム、そして財務省での資料改ざん、スポーツ界での悪質タックルや各種パワハラ、教師も含めて学校における"いじめ"、組織につきまとう「忖度」。背景にあるのは日本の組織や集団のもつ「同調圧力」。その「同調圧力」は①閉鎖的②同質的③個人の未分化(組織内の役割不明、"皆"で志向)――という日本にある3つの特徴から導き出されており、「共同体主義」というイデオロギーが注入されることによって生ずる。そして「共同体主義」が、意図的に組織や集団の閉鎖性、同質性を高め、個人を未分化な状態にとどめるのだ、という。

コロナ対策――。欧米は「命令」「ロックダウン」、日本は「・・・・・・してくれませんか」「・・・・・・しましょう」という自粛・要請。「日本人が真面目で規律を守るから」という指摘は正しいようだが、その背景として「同調圧力」を感じ取っているからだ。他者の目を全ての場面で意識する。その「共同体組織」がコロナ禍とポストコロナで弱点としてさらけ出されているという。「テレワークと日本型経営は水と油」だという。「在宅勤務で生産性が上がったアメリカ、下がった日本」というわけだ。情報ネットワークは組織や集団の壁を容易に越え、そこには異質な人も参加する。その異質な知識、技術、立場の人がつながってこそ新しい価値が生まれる。テレワークの時代、そしてこれからは、従来の同質性を基本にしたチームから、異質性を基本にしたチームへと切り替えなければならないのだ。「一人ひとりが仕事を分担。序列も無意味。ネットの世界ではフラットな関係で仕事をするのが基本」と強調する。コミュニケーション不足が孤独を生み、また、地方に移住しても、地方の"共同体の壁"が立ちはだかる。

上司に中元・歳暮は送らない、結婚式は挙げないカップル、葬儀も簡略。職場と地域に囲い込む力がなくなり、テレワーク、SNSITはそれを加速し、圧力の方向はタテからヨコのネットワークへと移っている。圧力源が権限・序列から「正義」へと移っている。攻撃する者、される者もヨコの同調になるが、イジメもハラスメントも相変わらずある。"素朴な正義感"で攻められると学校でも地域でも始末に悪い。ヘタをすると「戦前・戦中の"ぜいたくは敵だ"」になる。「コロナより怖い世間の目」だ。だから「コロナ対策は後手」となる。多数の要素・利害の調整が不可欠となるが、それで遅れるハメになる。「合意形成型」ではなく、各要素を比較考察する「決断するシステムの構築」が大切だという。

SNSなどで増幅されたヨコ方向の同調圧力(大衆型同調圧力)が強まり、タテ方向には一定の歯止めがかかっている。同調圧力への「減圧」――組織の流動性、短期の精算人事、副業も含め多様な人と交わる多元的帰属、異端者を入れる"クウォーター制導入"、仕事の分担を定める、などを示す。そして「同調より協力を学ぼう」という。


megajisin.jpg南太平洋・トンガ近海の海底火山の巨大噴火が衝撃を与えている。日本における最近の地震の頻発や小笠原の海底火山爆発と軽石漂着などから、大地震の不安が増している。現在は、プレート理論と活断層で地震のメカニズムが説明されている。私もそれでやってきている。本書はこれを「地震の主犯ではない」とし、主犯は「地球内部の熱の流れが地震を起こす」「巨大地震は『地球の熱エネルギーの噴き出し口』から湧き昇ってくる高熱流によって起きており、日本は環太平洋の吹き出し口のルート上にある」という「仮説(まだ仮説の卵ぐらい)」を立て、大地震が近いことの警鐘を鳴らす。

角田予知モデルは、①地殻の奥底である地表から410~660キロの深部で②マグニチュード5.5以上の「深発地震」が③1ヵ月の間に5回以上続発し④同時期に火山活動も盛ん――。その場合に、「1年以内に地表で巨大地震を誘発」とするもの。日本近隣で①から④があった場合は、マグニチュード7超の大地震が誘発されると言う。

この仮説は、学術の世界に任せるとして、首都直下地震と南海トラフの大地震への備えは必要・不可欠。急ぎ取り組み、被害を低減しなければと決意している。


seiyoku.jpg多様性を認め合う社会、ダイバーシティ、LGBTQ、障がい、働き方改革・・・・・・。多様性が求められる社会だが、その内側の懊悩を深くえぐる衝撃作。「どうせ説明したところであなたにはわからないよ」「多様性って言いながら一つの方向に俺らを導こうとするなよ」「自分が想像できる多様性だけ礼賛して、秩序を整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」「私は理解者ですみたいな顔で近づいてくる奴が一番ムカつくんだよ。わかってもらいたいなんて思ってないんだよ。俺は自分のこと、気持ち悪いって思う人がいて当然だと思っている」「なんでお前らは常に自分が誰かを受け入れる側っていう前提なんだ」「異性の性器に性的な関心があるのは、どうして自然なことなんですか」「不幸だからって何してもいいわけじゃないよ。同意がなかったらキスだってセックスだって犯罪だもん。別にあんたたちだけが特別不自由なわけじゃない。・・・・・・はじめから選択肢奪われる辛さも、選択肢はあるのに選べない辛さもどっちも別々の辛さだよ」・・・・・・。

人間の欲望。性欲も異性愛も、欲求も快感もそれぞれ。人が嘔吐する様子に興奮する嘔吐フェチ、丸呑みフェチ、形状変化フェチ、風船フェチ、窒息フェチ、流血フェチ・・・・・・。想像できない欲求を持って生きている人がいる。社会の仕組みや不問の前提に対し、諦観と怒りを持っている。「まとも。普通。一般的。常識的。自分はそちら側にいると思っている人は、どうして、対岸にいると判断した人の生きる道を狭めようとするのだろうか」と主人公の一人は語る。そして「まとも側の岸と対岸を生きる人々」「誰かと繋がる」という事の意味を問いかける。

本書で描くのは令和になった2019年7月、公園で男児のわいせつ画像を撮影したなどの容疑で、大手食品会社勤務の佐々木佳道、大学3年生の諸橋大也、小学校の非常勤講師の谷田部陽平の3人が逮捕・送検される。それに、息子が引きこもりになっている検事の寺井啓喜、吹き出す「水」に快感を覚える桐生夏月、学校祭でダイバーシティフェスに取り組む神戸八重子が絡む。夏月と同様、佐々木も「水」に限りなき興奮を覚えており、二人は同居する。八重子は大也を誘うのだが・・・・・・。


kirawareta.jpg「落合博満は中日をどう変えたのか」が副題。2004年から2011年までの8年間、じつに優勝4回(2004年、2006年、2010年、2011年)。2007年にはクライマックスを勝ち抜いて日本一に輝いた。53年ぶりの制覇、あの完全試合の山井・岩瀬のリレーだ。中日ドラゴンズの黄金期を築き、2011年、優勝にもかかわらず、球団は赤字でファンからも不人気として、「嫌われた監督」落合は追われた。昭和29年、杉下や西沢らで優勝したことを鮮明に覚えている中日ファンの私として、本書は数々の「なぜ」に答える傑作ノンフィクションだ。川崎憲次郎、福留、森野、和田、岩瀬、吉見、荒木ら12人の目を通しての落合像が描かれる。

組織の総合力をいかに引き出すかがリーダーの最要件であることは間違いない。しかし、野球はチーム20人前後の男がプロ中のプロとして死闘を演ずる世界だ。優れた技術を持った男が何人揃うかが大事となる。そこでの総合力だ。だからこそ、落合は妥協せず、信念を持って突き進む。「組織や仲間に迎合せず、『甘え』をそぎ落とし、とことん自分を追い詰め地獄から這い上がったものだけが生き残る」「徹底的に甘えをそぎ落とす」「非情と呼ばれようと、選手を勝つための駒として動かす」「立浪であっても、井端であっても、代えるべきものは代えた」「心は技術で補える。浮き沈みする感情的なプレーや、闘志や気迫といった曖昧なものでもなく、どんな状況でも揺るがない技術を求めた」「勝敗の責任は俺が取る。お前たちは、自分の給料の責任を取るんだ」「勝つことが最大のファンサービスだ。勝てばお客が来る」・・・・・・。非情、冷徹、駒、「建前を嫌い、偽りの笑みを浮かべる位なら孤独を選び、どうせ誤解されるなら無言を貫いた」のだ。序列ではなく、個であること、孤独になること、むしろ徹底して孤独に自己を追い込み、どん底から這い上がる男を求めた。中日はそうした「侍」がレギュラーとして揃ったのだ。

落合には「なぜ」が付きまとった。「なぜ川崎憲次郎を開幕投手としたのか」「なぜ完全試合直前の山井を岩瀬に代えたのか」「なぜ荒木と井端をスイッチしたのか」「なぜ落合は球団を追われたのか」などは、本書に回答がある。監督・落合だけでなく、凄まじい「選手・落合」の人生哲学も語ってもらいたいと思う。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

月別アーカイブ

上へ