多様性を認め合う社会、ダイバーシティ、LGBTQ、障がい、働き方改革・・・・・・。多様性が求められる社会だが、その内側の懊悩を深くえぐる衝撃作。「どうせ説明したところであなたにはわからないよ」「多様性って言いながら一つの方向に俺らを導こうとするなよ」「自分が想像できる多様性だけ礼賛して、秩序を整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」「私は理解者ですみたいな顔で近づいてくる奴が一番ムカつくんだよ。わかってもらいたいなんて思ってないんだよ。俺は自分のこと、気持ち悪いって思う人がいて当然だと思っている」「なんでお前らは常に自分が誰かを受け入れる側っていう前提なんだ」「異性の性器に性的な関心があるのは、どうして自然なことなんですか」「不幸だからって何してもいいわけじゃないよ。同意がなかったらキスだってセックスだって犯罪だもん。別にあんたたちだけが特別不自由なわけじゃない。・・・・・・はじめから選択肢奪われる辛さも、選択肢はあるのに選べない辛さもどっちも別々の辛さだよ」・・・・・・。
人間の欲望。性欲も異性愛も、欲求も快感もそれぞれ。人が嘔吐する様子に興奮する嘔吐フェチ、丸呑みフェチ、形状変化フェチ、風船フェチ、窒息フェチ、流血フェチ・・・・・・。想像できない欲求を持って生きている人がいる。社会の仕組みや不問の前提に対し、諦観と怒りを持っている。「まとも。普通。一般的。常識的。自分はそちら側にいると思っている人は、どうして、対岸にいると判断した人の生きる道を狭めようとするのだろうか」と主人公の一人は語る。そして「まとも側の岸と対岸を生きる人々」「誰かと繋がる」という事の意味を問いかける。
本書で描くのは令和になった2019年7月、公園で男児のわいせつ画像を撮影したなどの容疑で、大手食品会社勤務の佐々木佳道、大学3年生の諸橋大也、小学校の非常勤講師の谷田部陽平の3人が逮捕・送検される。それに、息子が引きこもりになっている検事の寺井啓喜、吹き出す「水」に快感を覚える桐生夏月、学校祭でダイバーシティフェスに取り組む神戸八重子が絡む。夏月と同様、佐々木も「水」に限りなき興奮を覚えており、二人は同居する。八重子は大也を誘うのだが・・・・・・。