冬の狩人.jpg圧倒的な迫力、息もつかせない展開で面白い。累計200万部を超える人気の「狩人」シリーズ、6年ぶりの新作。3年前にH県本郷市で起きた迷宮入りの凄惨な殺人事件、「冬湖楼事件」。市長、弁護士、県内最大建設会社の社長が射殺され、県内最大の地元企業で本郷市を"企業城下町"としている「モチムネ」の副社長が今も意識不明という大事件だった。ある日突然、現場から消え、行方不明だった重要参考人・阿部佳那から県警にメールが届く。警視庁新宿署の刑事・佐江の護衛があれば出頭するというのだ。しかし、H県警の調べでは、佐江は新宿の極道に嫌われ、暴力団との撃ち合いで休職中だという。なぜ"重参"はそんな所轄違いの"危い男"を指名したかといぶかるが、H県警捜査一課の愚直な新米刑事・川村に佐江に付くことが命じられる。筋金入りのマル暴・佐江と新米デカ・川村のコンビが誕生、危険に遭遇するごとに信頼が深まっていく。

巨大企業・モチムネの抱える闇、社内や警察内での情報漏洩の怪、恐るべき"殺し屋"集団、いかにも修羅場をくぐってきたような落ち着きを見せる"重要参考人"・・・・・・。最後の最後まで緊迫した攻防が繰り広げられ、したたかで胆のすわった佐江の捨て身の"戦さ"が際立つ。


51fUAtjFmeL__SX348_BO1,204,203,200_.jpg海猿に対する海蝶――。海上保安庁にいまだいない女性潜水士に挑戦する若き女性と家族の物語。素晴らしい感動作だ。何よりも日本周辺海域の安全を守る過酷な毎日の戦いに、自分を律し、仲間を信じ、黙々と精励する海保の使命感と責任感に頭が下がる。「正義仁愛」の精神が伝わってくる。

女性初の海保潜水士として注目されるなかスタートした忍海愛。兄の仁は奇跡の救難と呼ばれたフラワーマーメイド号事件で表彰された特殊救難員。父は、現役最年長記録を更新中の潜水士。まさに「正義仁愛」一家だ。しかし、彼らを育て支えてきた母・ひすいを、東日本大震災で失ったトラウマが家族を襲い、愛は「手を離した右手」に残る心の傷を抱え続けてきた。覚悟のデビューをした愛を待ち受けていたのは、八丈島沖5キロで横波を受けて転覆した船の救助作業、要救助者は2名だという。しかし、船名もわからず、様子がおかしい。救助された女性の様子も変だ。そして、この海難事件が、津波による母の死からぎこちなかった「正義仁愛」一家を巻き込んでいく。


われもまた天に.jpg今年2月に逝った古井由吉さん。未完の「遺稿」を含めた著者最後の小説集。昨年2019年の立春から晩秋、千葉や東日本全域で台風に襲われた時までの折りおりの事象のなか、病みゆく身体のなかで感じた心象風景を4編で綴る。「自分が何処の何物であるかは、先祖たちに起こった厄災を我身内に負うことではないか」(遺稿)が、最後の言葉となっている。

「雛の春」――インフルエンザの流行するなか、またも入院。病院のホールに飾られた雛飾りに、自宅にあった雛人形を思い出し、空襲の記憶や炎上する人形、雪の夜の女性の顔が連歌のように続いて出てくる。「われもまた天に」――令和となった初夏、天候不順が続き、高齢者の車の暴走による死傷事故、中年男が登校中の子供の列に包丁で切りつけるなどの事件が起きる。疫病について明の医学者・李挺の言葉「吾のいまだ中気(中和の気)を受けて以って生まれざる前、すなわち心は天に在りて、五行の運行を為せり。吾のすでに中気を受けて生まるる後、すなわち天は吾の心に在りて、五事の主宰を為せり」が心に浮かぶ。そして「そんなことを繰り返して年老いていくものだ」と思索をつぶやいたり、「道に迷った」思い出を語る。

「雨あがりの出立」――梅雨どき、次兄の訃報が届く。父親、母親、姉、長兄の死んだ時を思い起こす。次々と取り止めもなく思っては感慨めいたものに耽ける。「遺稿」――9月、10月と襲う台風、自宅や入院しての病院で、「重たるい天候も体調も改まろうとしない」なか、思念が途切れることなく続いていく。それが切れることなき長い文章で語られる。弱まっていく身体感覚が"老い"をよりリアルに語りかけてくる。

空襲を体験し、この世の厄災を常なるものと生老病死の次元でとらえてきた古井由吉さんの晩年の心の深淵が、静かに迫ってくる。


赤ちゃんをわが子として育てる方を求む.jpg「急告! 生まれたばかりの男の赤ちゃんを我が子として育てる方を求む 菊田産婦人科」――。昭和48年4月17日、地元・石巻の朝刊2紙に掲載された広告だ。「実子として」と書くところを、「我が子として」と遠回しにして表現したもので、違法の「斡旋」をした産婦人科医・菊田昇が、悩み抜きたまりかねて出したものだ。「妊娠8か月以上の女性には出産してもらって、その赤ん坊を不妊症の夫婦にあげて実子として育ててもらう」「中絶を望んでもそれができない段階の女性と不妊症の夫婦をつなぎ合わせることで赤ん坊の命を助けられないか」「妊娠7か月の中絶を禁止すれば、医者が産声を上げた赤ん坊に手を下す必要はなくなる」「今回の問題の根本にあるのは、産婦人科医が違法行為をやらねばならねえ状況にあるという現実だ」・・・・・・。1970年代に起きた産婦人科医・菊田昇の「赤ちゃんあっせん事件」の真実を、ノンフィクションの騎手・石井光太氏が、小説として描いたもの。

新聞のスクープ、テレビ報道、国会への招致、日母からの除名処分等々のなか、菊田昇は母が営む遊郭で育ち、遊女の悲惨さを「小さな命を救う信念」に代え、闘い続けた。そして昭和62年(1987年)、「特別養子縁組制度」が成立する。それを菊田は自らのがんと闘うなかで聞く。


動き出した時計.jpg「ベトナム残留日本兵とその家族」が副題。1945年8月の終戦によって、日本軍は武装解除され引き揚げることになったが、ベトナムには少なくとも600人以上が帰国せず残留したと言われている。そしてその多くが、ベトミン(ベトナム独立同盟)からリクルートを受け、独立をめざしての抗仏戦争に兵士、軍事教官、軍医等で働いた。しかしこの戦いを終えた9年後の1954年、ベトナム政府は残留日本兵の帰国を促す。すでに家族がいたが、家族の帯同は許されなかった。そこには、東西冷戦、共産主義陣営の思惑もあったようだ。その後、帰った日本人兵士自身も苦難を強いられ、ベトナム戦争で敵国アメリカの同盟国と見なされた日本人を父親とする残された家族も「日本ファシストの子」と差別される日々を送ることになる。

「なぜ残ったのか」「なぜ1954年には家族を残して日本へ帰ったのか」の疑問を抱えつつ、小松みゆきさんは「引き裂かれた家族」の真実に迫り、救いの手を差し伸べるべく奔走する。自身がベトナムに住んで30年という。凄い、素晴らしい、粘り強い行動力だ。

ベトナムの人は「家族への思い、とくに父親への思い」が強い。しかし、思いが「出会い」に結びつくにはハードルは高く、帰った日本兵士の側も、苦しい事情があり口は固い。全てが、「戦争」によってもたらされたことを感じる。小松さんは私の世代、兵士たちは親や兄貴たちの世代だ。「理不尽」な運命をもたらした「戦争」を、自分の親を思い起こしながら読んだ。スアンさん、ロックさん、ズンさん・・・・・・。熱意が出会いの"形"となっていくのは感動的だ。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任、公明党前代表。元国土交通大臣、元水循環担当大臣。

現在、衆議院議員、党全国議員団会議議長、東京第12総支部長、首都直下地震対策本部総合本部長、現代中国研究会顧問など。

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