nihonnosikaku.jpg日本の安全保障とか、経済成長戦略、少子化対策などという問題ではない。社会が変化し、問題として浮上している論点、16のテーマについてそれぞれの専門家が掘り下げる。「『死んでまで一緒はイヤ』日本で死後離婚と夫婦別墓が増えた理由(井上治代)――妻による家意識からの離脱」「女性に大人気『フクロウカフェ』のあぶない実態(岡田千尋)」「いまの若者にとって『個性的』とは否定の言葉である(土井隆義)」などは知らなかった話。差別について、「『差別』とは何か?アフリカ人と結婚した日本人の私が今考えること(鈴木裕之)」や「私が『美しい』と思われる時代は来るのか?"褐色肌、金髪、青い眼"のモデルが問う(シャララジマ)」などは角度が新鮮。「日本の死角」として日本が今どうなっているか、定説に鋭角的に切り込む。

「『日本人は集団主義』という幻想(高野陽太郎)」――科学的な研究から来たものではなく、明治時代訪日した米国人による著書や、日本人の戦時中の集団主義的な行動がイメージを作ったと指摘する。「日本人が『移動』しなくなっているのはなぜ?地方で不気味な『格差』が拡大中(貞包英之)」「日本人が大好きな『ハーバード式・シリコンバレー式教育』の歪みと闇(畠山勝太)」――ハーバードやシリコンバレーで見る米国の基礎教育は、米国のごく限られた上澄みに過ぎず、日本の教育の平等さと比較しても意味を持たない。「日本が中国に完敗した今、26歳の私がすべてのオッサンに言いたいこと(藤田祥平)」――中国の荒々しいエネルギーに対し、エネルギーを失った日本とその若者のように感じる。阿古智子東大教授は、「日本のエリート学生が『中国の論理』に染まっていたことへの危機感」として、民主主義の価値を認識していない日本の若者の恐るべき実情を指摘している。正直驚いた。

「日本の学校から『いじめ』が絶対なくならないシンプルな理由(内藤朝雄)」――社会でいえば本来犯罪なのに、学校という小さな社会の全体主義のなかで隠蔽される。「家族はコスパが悪すぎる?結婚しない若者たち、結婚数の信者たち(赤川学)」――少子化の要因は、結婚しない人の割合が増加したことにある。特に女性が、自分よりも学歴や収入など社会的地位の低い男性と結婚するいわゆる「下降婚」が日本では少ないままになっていることを指摘する。下降婚率が増えると、出生率が高まる。「未婚の女性に対して格差婚を勧めてみてはどうだろうか」と言っている。その他、「ご飯はこうして『悪魔』になった〜大ブーム『糖質制限』を考える(磯野真穂)」「なぜ『ていねいな暮らし』はブーム化した一方、批判も噴出するのか(阿古真理)」「自然災害大国の避難が『体育館生活』であることへの大きな違和感(大前治)」「性暴力加害者と被害者が直接顔を合わせた瞬間・・・・・・一体どうなるのか(藤岡淳子)」など、切り込み方は鋭い。


saikyouno.jpg「いろ葉の介護は365日が宝探し」が副題。20年前に鹿児島市で「宅老所いろ葉」を立ち上げ、現在は介護を中心にした様々な事業を営む。ここまで一人ひとりの人生の最期に寄り添い、そのイキカタ」を支えようとする努力と熱意に驚き、感動する。

このような様々な施設が、「管理型」になる事は否めない。どの組織でも「安全と安心」をしっかり行うためには、「ルール」「管理型」になる。ところが、この若者中心の介護集団は全く反対のことに挑戦する。お年寄りは今、「起きたいと思っているのか寝たいと思っているのか」「何を食べたいと思っているか」「お風呂に毎日にでも入りたい」「施設の外に出たい。自然に触れたい。家に帰りたい」「おむつは嫌と思っている」。一人ひとりがみな違う。「お年寄りたちは、100人いれば、100通りの人生を歩んできて、私たちと出会い、私たちの目の前におられます。全員の方が一人ひとり、自分の人生というストーリーを生きてこられた。唯一無二のストーリーがあり、今がある」と、人生のストーリーを尊重しようとする介護を行おうとするのだ。読んでいくと、介護に限らず、ルールを押し付け、相手の本当の気持ちに寄り添っていない自分に気づく。この「いろ葉」では、介護においてだけでなく、「いろ葉流・仕事の流儀」「人材確保と職員研修」「みんな違うから個性が輝く」など、職員育成についてもまさに桜梅桃李。相手に寄り添ってチームを作ろうとしている。それが「最強のケアチーム」だ。

いろ葉はどういうことを目指すのか。3つのイキカタを語っている。「『生き方』を支える」――。お年寄りの残された時間、お年寄りたちの「生ききる」を支えるのが私たちの介護の仕事。「家族への想いと思い出」「夫婦に残された時間」「お父さん、死んだのか!」「憧れのプロ野球観戦」・・・・・・。それにどこまでもつきそう姿がすごい。

第二は「『活き方』を支える」――。「畳部屋に車椅子は似合わない」「安心できる睡眠環境、いちばん落ち着く姿勢と場所」「食べることの支援では、口へのアプローチで生き返る」。お年寄りの体をよく見ると、「まだまだやれることがたくさんあることに気づく」と言い、それをたくさん見つけることも、「活き方」を支える大切なアプローチだと言う。

3は「『逝き方』を支える」だ。「家族とのハイタッチ」「帰りたい、家とは」「妻の介護をしていた旦那さんが先になくなって。愛する妻に抱かれて逝く旦那さん」3つの「イキカタ」を紐ときながら支えるのが、いろ葉の介護だと言っている。

職員にオムツをつけての一泊旅行をして実感してみたり、家に帰りたいという死期の迫った入所者を乗せるために中古の救急車を買ったり、施設で誰かがなくなれば、みんなで風呂を沸かして家族と一緒にお清めして全員で見送ったり。そんな驚くべき挑戦が行われている。できているのだ。


hyakki.jpgなるほど「百鬼大乱」の大変な時代、大変な関東だったと思う。太田道灌(14321486)は「江戸城築城」「山吹伝説」などが名高いが、人物像そのものはあまり伝わっていないようだ。しかし本書は、「戦国時代はいったいいつから始まるのか」の問題意識から、歴史関連の文献を読み込み、「応仁の乱に先駆けること13年、関東の戦乱は、実に30年にわたり、応仁の乱が収束した後も続き、戦国時代の幕を開けた」ことを明らかにする。その血みどろの30年を駆け抜けた名将が、太田道灌であることを描く。「太田道灌こそ、まさしく名将と呼ぶに相応しき漢であった。長引く関東の戦乱をほぼ一人で平定してみせ、自ら指揮を執った戦で負けたことは一度たりともなかった」「諸葛孔明の如き人物」と言う。

足利幕府が衰え混迷する15世紀中頃。関東では鎌倉公方・足利成氏、それを支える簗田持助等と、関東管領・上杉家との激しい戦いが絶え間なく繰り返されていた。上杉家は、上杉宗家の家務・長尾景仲(昌賢)、扇谷分家当主の上杉持朝(道朝)、扇谷分家の家務の太田資清(道真)3人の猛者、そして道真の嫡男・太田資長(道灌)が強い結束のもとで戦いを進めていた。1454年、成氏による関東管領・上杉憲忠の殺害をきっかけにして、享徳の乱が勃発。上杉援軍の今川範忠は鎌倉を制圧、敵が町中に火を放って逃げ250年にわたって、坂東の都として栄えた鎌倉は、無惨にも灰燼と帰す。室町幕府は、足利政知を新たな鎌倉公方として派遣したが、伊豆の堀越を拠点とした(堀越公方)。足利成氏は鎌倉を追われ古河を拠点とする(古河公方)。ここから再びおおよそ利根川を挟んで両陣営二分の激突となる。昌賢は古河の対岸に砦を構え、資長(太田道灌)は長禄元年(1457)、江戸に城を築く。品川や神奈川の湊に出入りする商人の船が江戸に集まってくる。河越などにも砦が築かれる。一進一退の攻防が激しく繰り返されるなか道真・資長親子の活躍はめざましく、資長は獅子奮迅の戦いとなった。京では、山名と細川等による応仁の乱(14671477)が起き、関東にもその影響が及んだ。

しかし、そうしたなか、上杉家内の抗争が始まり、上杉顕定の重臣・長尾景春が謀反(長尾景春の乱)を起こし大混乱。これを太田道灌が鎮めたのだった。ほとんどの戦いで勝利し、上杉家の危機を救った太田道灌であったが、妬み、讒言にもあい、直言も用いられないことが多かった。そして文明18(1486)8月、上杉定正の刺客によって暗殺される。「当方滅亡」――太田道灌の残した言葉通りの上杉家となり、北条早雲によって付け入られる関東となってしまう。

「お家の為、一門の為、命を賭して戦に挑む。しかし何のための戦いなのか」太田道灌の胸中には、外の敵ばかりでなく、内の敵とも戦わねばならない悔しさがあったと思う。まさに「百鬼大乱」の関東、そのなかでの太田道灌。せり上がってくるような苦衷がよく描かれている。


eiaiheiki.jpg「キラーロボットの正体」が副題。中国、ロシア、イスラエル、米国など、世界で広がるAI搭載型兵器の現状を紹介し、AI兵器戦争、「人工知能は、人を殺すのか」を語ってはいるが、それ以上きわめて丁寧に、そもそも人工知能とは何か、意識とは何か、生物とは何か、「人工知能はどのような技術であり、何ができて何ができないのか」を語っているのが本書だ。

第三次ブームは、人間が持つ学習能力を機械コンピュータ学習、ディープラーニングの高い性能を発揮できる環境が整ったことによって起きている。「現在、人工知能と呼ぶさまざまな技術は、人工知能と呼ぶよりも、高度情報処理技術と呼んだ方が実態に合致している」とまず言う。

そして「知能とは何か」――。「生物と低汎用型人工知能搭載ロボットの決定的な違いは、生きる目的を持っていることと、その目的を達成させようとする自律性、能動性である」「生物は、行動マニュアルでは乗り切れない状況に対し、試したり工夫したり、調べたり、他人の真似をしたりと、生きるために、知識や経験を総動員し打開する。これが生物であり、知能である」と言う。「我々が意識と呼ぶ意識は、顕在意識である。しかし、その行為を意識して実行する少し前に、潜在意識にてその行為の実行が開始されている」

人の体は、数十兆にもなる膨大な数の細胞から構成される。トップダウン型の設計で、これだけのパーツで構成される製品は存在しない。航空機でも数百万パーツ。しかも生物は、ボトムアップ型で生み出されており、脳自体が神経細胞の巨大なネットワークだ。しかも、蟻の群れの行列や、ホタルの同期の創発など、「生命のような複雑なシステムをゼロから構築するのはまだまだ難しい。そう簡単に人を超える人工的な知能ができるわけがない」と言う。

さてキラーロボット――。道具型人工知能であれば制御できるが、問題は自律型人工知能だ。ホーキング博士らは危険性を指摘し、人のクローンを作らないようにと同じように、ガイドラインが必要となる。科学技術のレベルに準じて兵器を分類すると、半自動型兵器自動型兵器(用途限定の人工知能を搭載した兵器、低汎用型人工知能を搭載した多機能型の自動型兵器) ③集団自動型兵器(連携機能が付加された集団・編隊作戦) ④自律型兵器(人と同じレベルの臨機応変な問題解決能力を持つ) ⑤集団自律型兵器――と分類する。あくまで「人がトリガーを引くタイプの開発に留めておかなければ、人類に未来はなく、新しいルールが極めて重要だ」と言う。そうした国際基本ルールが動き始めている。

「人工知能は、人を殺すのであろうか」について、「私の答えは、当面の人工知能のレベルにおいては、NOである。人が人工知能を使って人を殺すのである」「自動運転車にしても自動であって自律ではない。自動運転車が事故を起こした際は、製造メーカーに責任が生ずる」「そのために、作る側と利用する側の双方に対するガイドラインの作成及び道徳教育が特に必要だ」「求められるのは、人間力であり、人間力を高めるべきだ。これこそが、人工知能にとって最も苦手とする能力だからである」と主張する。しかし、その人間力が若者を始めとして衰退していることを懸念し、「日本にある東洋的感性に期待する」と言う。

キーワードは「自動か自律か」。科学の発展により「意思を持つ自律のように感じさせる人工知能」のように見えても、それは人間のような「自律」ではない。それゆえに、人間力を鍛え磨き、しっかりしたルールを国際的に作り上げなければならないということだろう。


eigajoyuu.jpgG O(柴咲コウ)」「世界の中心で、愛をさけぶ(長澤まさみ)」「春の雪(竹内結子)」「北の零年(吉永小百合)」「劇場(松岡茉優)」、そして「リボルバー・リリー(綾瀬はるか)」など。デビュー以来、25年にわたって、映画史に直刻む作品を撮り続けてきた映画監督・行定勲。身近で接してきた名だたる女優たちの挑む姿をエピソードを交えて語る女優論、映画論。映像でしか見たことのない我々だが、女優の奥行きと葛藤、凄さを知ることができ面白い。それを引き出したのが映画監督・行定勲と言えるだろう。行定勲は成瀬巳喜男監督を尊敬し、その成瀬監督が最も敬愛していたのが女優・高峰秀子だった。根っこはそこにあるようだ。

ヒロインをいかに組み立てるか――。凄い、無敵の松岡茉優――ストーリーを理解するだけでなく、この映画が社会に存在する上でどうあるべきかがわかっている末恐ろしい技巧派。女優としての重力、重い色っぽさがある有村架純――清楚でありながら、強烈に匂い立つものがある。自分をさらけ出すことに達成感を見いだすことができる人は期待できる。成熟した裸体を堂々と見せた二階堂ふみ――無鉄砲で自分が動けば何でも実現すると信じ、現実に成立させてしまう。台本を500回も読んできた8歳の芦田愛菜――現場で感情をプラスしてしまう天才。自分で考え、細かい芝居を加えてくる。美しさだけでなく、喜怒哀楽の陰影が豊かな薬師丸ひろ子――気の強さも儚さも、可愛らしさも全てを携えている。緊張すると腕組みをする癖があった沢尻エリカ――すごくわかりやすい子で、僕の演出は彼女の腕組みをほどくところから始まった。削ぎ落とした末に風格が立ち現れる竹内結子――存命だったら今も指名していた女優だ。美人で意志があって、でも柔らかくて、しっとりしていて、アグレッシヴでもあるそんな女優はなかなかいない。

誰が見ても大女優だが、ご本人はあくまでもニュートラルであろうとされている吉永小百合――できるだけ監督の話を聴こうとし、監督が望んでいることに近づけようとする人。次はもっと、その次はもっとと本気で思ってる人。人と仕事をする際の敬意を教えてもらった。相手との距離感や踏み込みには唸らされた大竹しのぶ――均衡が壊れると新鮮さが誕生する。圧倒的なヒロイン綾瀬はるか――初々しさと独特の透明感があり、肉感的でありながら、身体能力が突き抜けていた。被写体としての綾瀬はるかの説得力は、まず体幹の良さにある。めちゃめちゃ暗く全然しゃべらなかった長澤まさみ――自分から坊主にし「坊主に、なっちゃったぁ」と明るく笑った。真っ直ぐな眼差しの柴咲コウ――もし壊そうとしても、絶対壊れない何か。打ち勝ってしまう何か。それがあった。

長澤まさみにも、柴咲コウにも語らなくても伝わってくる「存在の雄弁さ」「芯の強さ」があった。だから、女性を脇役にはできない、と言う。我々が見ている映像とも違和感がないが、奥行きと深さが感じられ迫ってきた。

<<前の5件

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

私の読書録アーカイブ

上へ