「賢治ことばの源泉」が副題。宮沢賢治研究の王敏法政大学名誉教授。「宮沢賢治を研究して40年ーー出会いの衝撃は、今も生きるエネルギー!」と帯にあるように、宮沢賢治研究、日中比較文化研究への熱量はすごい。これまで何回もお会いしたが、その熱量と誠実さに感動を覚えてきた。「きょうも、そしてこれからも、私は澎湃として涌く問題意識に向かうでしょう。なぜなら、宮沢賢治作品に触れることによって、日中からアジア文化圏、漢字文化圏という大世界へ邁進することができたからです。・・・・・・謝々!賢治、いつまでも、です」と言う。
宮沢賢治は、「雨ニモマケズ」「銀河鉄道の夜」など、100点あまりの寓話や童話と1000余りの詩や文章を書いた。「雨ニモマケズ」「デクノボー」など心を激しく叩く宮沢賢治独特の言葉の底には、自然への畏敬、民への共感、究極の誠実さという深き哲学性、精神性がある。
さらにその奥を掘り下げると、繰り返し襲う三陸大地震・津波、冷害等を引き起こす厳しい自然の脅威、さりながら美しい動植物との共生、広がる宇宙、もたらされる漢字文化、西域(シルクロード)に翔ける夢が賢治にはあったと言う。本書で「東日本大震災と『雨ニモマケズ』」「言葉の魔術師・賢治と漢字」「賢治と『西域(シルクロード)』と禹王」を語っている。王敏さんでなければできない卓越した日中文化関係論が宮沢賢治を語るなかで展開される。さらに「禹王への尊敬と信仰は、漢字文化圏の日本においても、中国と同様に存在したことに気づいた」「人々が禹王を『治水神』として祀り、信仰し続けてきたことがわかった」と言い、神奈川県開成町の石碑を始め、全国各地での共同調査が行われ、「禹王サミット」まで作り上げたと言う。すごいことだと感嘆する。
「孔子のモデルは『君子』、賢治のそれは『デクノボー』。孔子は『修身斉家治国平天下』をエリートに教えたが、宮沢賢治は政治的な志向を抱かず、『ホメラレモセズ』の脱俗の姿勢をよしとし、対象は地位や肩書のない農民などの不特定多数」「荘子や老子の言葉が、賢治の『デクノボー』に共通する生き方を示しているように思われる」と言う。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」と宮沢賢治は言い、人生そのものを幸福のための「求道」と見立てた。王敏さんは「生きることの原点を求めて問いかけ、その解答に全身全霊を導入した賢治の姿勢に啓示を受けた」「賢治を文学者より哲学者と言ったのは、賢治に学び、文学という枠を超えて、社会科学の範囲における人間学を探求したかった」と言っている。
宮沢賢治の詩に頻繁に登場する「微笑み」や「笑い」――。災害をはじめ苦難にあっても、微笑みを絶やすことなく、「イツモシズカニワラッテイル」日本人。「微笑みの文化」について、エドワード・S・モース、ラフカディオ・ハーン、エドウィン・O・ライシャワーの3人を挙げ、「悲しい時ですら、日本人は微笑みを湛えている。日本人に生活の作法として、生活のしきたりとなって根付いている」「感情を表面に出すまいとする日本人の自制だろう」を紹介し、「『笑い』は、諦観もしくはさとりの境地ともいうべきもの」「自然を人間の『敵』とする西洋の自然観に対して、賢治は自然の中の存在としての人間、自然と共に生きていく自然観、人間像を打ち出し、それを『笑い』『微笑み』で表現した」「『笑い』を媒介して、多様な生物とのある種のコミュニケーション空間を形成している(人間と自然との共生モデル)」と王敏さんは言う。また「デクノボー」にも注目し、「誰が賢くて誰が賢くないかわかりません」「いちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい」「心の苦痛を取り除く『癒し』、日本人の感性に根ざす『清らかさ』『清浄感』がある」と分析している。
宮沢賢治の生命観、人間観、自然観、哲学が、「賢治ことばの源泉」から浮き上がってくる。