プロポーズしてくれた恋人が翌日の朝、電車で女子高生を盗撮して捕まった。なぜそんなことをしてしまったのか。恋人を許すことができるか。本人自身の衝撃と悔恨。家族や友人それぞれの異なる考えとアドバイス。何よりも周りの視線・・・・・・。そして性的犯罪の特殊性。日常的にあり得るかもしれない事件の陰影が人生を狂わす空恐ろしさを描く傑作。
カメラマンの新夏は啓久と交際して5年。プロポーズしてくれた翌朝、なんとその啓久が電車で女子高生を盗撮して捕まったことを知る。「二度としない。信じて欲しい」「新夏と別れたくない」「本当にごめんなさい」と啓久は平伏して言うが、新夏は「愛している」、しかし「なぜそんなことをしたのか」「どうしたらいいか」わからない。葛藤の日々が続く。周囲もこの事件に巻き込まれていく。
啓久の母は「結局逮捕されずに済んだの」と言うが、姉・真帆子は新夏に「今なら引き返せるから流されないで」と別れろと言う。高校からの新夏の友達・葵は「大企業勤めで、実家が太くて、大きな減点要素もない男を手放してどうするの? もう30だよ」と別れるなと言う。「恋とか愛とかやさしさなら、打算や疑いを含んでいて当然で、無垢に捧げすぎれば、時に愚かだ幼稚だと批判される。なのに『信じる』という行為はひたすらに純度を求められる。一点の傷や汚れも許されないレンズのように澄み切っていなければ、信じていることにならない」・・・・・・。
新夏の父親は離婚しており、新夏はその真相を知っていく。「あの火事以降だめになっちゃったんだよな、俺」「いろんなこと考えちゃって、シャッター押せなくなった」。「父が生活を怠った結果、母の愛はすり減って、持ち堪えられなくなった」・・・・・・。
盗撮の被害者・莉子が啓久に接触してくる意外な展開。その母親はYouTubeで、莉子の日常なども「男の目線」で撮って流していると言う。「だからあたし、スカートの中撮られるのなんか、全然へーき」・・・・・・。
自分を見る他者の目・レンズ。自分を見る自分のレンズ。そのカメラマンのレンズの光彩も歪みも、その人自身の内奥に沈潜する末那識、阿頼耶識から噴き出すものであることを、実に巧みに描き出している。恋とか愛とか信じるとか許すとかーーそれを切り取るレンズとは・・・・・・。
「デフレの謎、インフレの謎」が副題。30年続いたデフレの日本。コロナが終わり、米欧では急性インフレが始まったが、日本は外から来る急性インフレと長く続いたマイナス1%程度の緩やかなデフレのせめぎ合いの中にあった。米欧に遅れること1年、物価が上がり賃金が上がる日本へと動き始め、今年春はいよいよ「物価が上がるが、それ以上に賃金が上がる」日本になろうとしている。アベノミクスで挑んだデフレ完全脱却であり、人手不足時代もあって賃金上昇は持続することになる。私はデフレ脱却、ノーマルの経済への重要な年になると思う。
著書「物価とは何か」「世界インフレの謎」で経済の大転換を読み解いた渡辺努氏が、「なぜ日本だけデフレは慢性化したのか」を解読し、「米欧はインフレが終われば、今回のインフレが始まる前の2%程度に戻っていく」「日本も1年遅れで2%程度に落ち着くか、インフレ前のデフレに戻るかの2択」と言う。
「デフレとは何だったのか、異端の国・ニッポン」――。「日本は物価と賃金が毎年据え置き、金利はゼロ」という日常にすっかり慣れきってきた。「物価は上がらないもの、賃金は上がらないもの、金利は上がらないもの」という3つのノルム、「慢性デフレ」だ。そこには「価格支配力の弱い企業、値上げを嫌う消費者」の日本がある。世界の中で日本だけが物価は据え置かれるものだと信じてきた。この慢性デフレは「1995年の日経連報告書。低賃金の中国企業との競争に勝ち抜くには、賃金の据え置きが必須と主張。賃上げを控えようと労働組合も社会もなった」が慢性デフレの始まりだと指摘する。
「なぜ今デフレが終わり、インフレが始まったのか」――。人々が「先々、物価は上がるだろうと思い始めた」。「安いニッポン」の危機感や人口減少、労働供給の減少、海外のインフレの大波などが、インフレ予想をもたらした(日経CPINOWに明らか)。そして物価の正常化、賃金の正常化、金融の正常化が動き出す。
「政府・日銀の大きな方向転換は、総需要の管理から総供給の管理への移行。・・・・・・慢性デフレの原因は総需要の不足ではないし、総需要を刺激したとしても、慢性デフレは解消しない。原因は、商品の値段を決める。企業と労働サービスの値段である賃金を決める労働組合の予想が歪んでいることであり、企業と労働組合のプライシングに狂いが生じていること。有効な処方箋は、この狂いを修正すること」――これが正常化への道と強調。この正常化が続けば2027年の年末には政策金利が2%を超えるところまで到達すると言う。
「デフレはなぜ慢性化したか――デフレの原因は需要か供給か」――。需要が弱ければインフレ率が低下し、場合によってはデフレに至ると通常言われるが、その価格調整の期間はせいぜい3年から5年。30年も続くとは経済学者の誰も考えていない。「アベノミクスの結果を見ても、慢性デフレを需要不足だけで説明するのは難しい」「慢性デフレが賃金据え置きの原因から始まったという本書の立場に立てば、デフレ脱却の政策ポイントはいかにして、企業に賃上げをさせるかだ」と言う。
「総需要の喚起がインフレ率上昇につながらなかったのはなぜか」――。「異次元緩和のほころびは、①マネーの供給を増やせば、市場金利が下がるという部分で経路が遮断された②総需要が増えれば、物価が上がるという部分で経路が遮断されたーーの2つ」「異次元緩和の敗因は、総需要刺激の力不足ではなく、総需要の増加を価格上昇へとつなげる総供給サイドの機能不全であった。企業の価格支配力を高める政策や下請け企業の価格転嫁を促進する政策、最低賃金の引き上げなど、総供給サイドの政策が大事」と言う。「日本の賃金が中国と比べ高すぎるというのは、既に過去となっているのに、賃上げと値上げをダラダラと『自粛』してきた日本」が転換する時がやっときた。
物価と賃金と金利――実に丁寧に、悩み苦しんできた「慢性デフレ」を専門的研究の中で解読してくれている。
越後国魚沼郡の南端にある塩沢村の縮仲買商・鈴木牧之。19歳の時、行商に訪れた江戸で、ふるさと越後の雪の多さなどが、まるで知られていないことに驚き、雪を主題とした随筆で、雪国越後を紹介しようと決意する。やがて彼の書いた「雪話」は、人気戯作者の山東京伝の目に止まり、出版へと動き始める。しかし山東京伝も本気で取り合ってくれず、版元からの金銭要求や仲介者の死去等もあり、事態は暗礁に乗り上げ、年月のみが経過する。
やがて、原稿は山東京伝への敵対意識に燃える曲亭馬琴の手に渡る。馬琴は12年間も本気で板元を探すでもなくほったらかしにした上、牧之の催促に腹を立て、送った膨大な原稿を捨てたとまで言う。牧之は虚々実々の江戸出版界に翻弄され、何十年も放置されたのだ。特に馬琴の狷介、固陋、京伝への敵対心はあまりにもひどいもので、牧之の人生をかけた願いを踏みにじり続けた。
ようやく山東京伝の弟・山東京山が乗り出してくれる。「やはり会って話さねばなるまい。牧之さんが越後の話を書こうと思った経緯を。なにゆえ何十年にもわたり、ひとつの事柄を紡ぎ続けたのか」と越後に訪ねてくる。そして天保8年(1837)に「北越雪譜」が刊行される。実に山東京伝に依頼してから40年が経っていた。67歳になっていた。
京山は「私には戯作者としての抜きん出た才はないかもしれぬ。兄ほど評判の作も書けぬ。そういう者が秀でるにはいかにすればよいと思う。それは、ひたすら実直に書き続けることさ。手を抜かず、欲を張らず、多くを望まず、ただただ生一本に書いていくことだ」と言う。牧之もそうだろう。また京伝は京山にこう言ったという。「戯作においては、何でもかんでもつまびらかにせずともよいのだ。正体がわかれば、胸のつかえは下りるだろうが、この世の中は、正体の知れねぇものばかりなのだ。俺にしたって、お前にしたって、一見しただけじゃあわからねぇものを、密かに抱えているだろう。いかに戯作といっても、何でもかんでも白日のもとにさらすのは、野暮でしかねぇのだ。不可解な事は、不可解なままに描くのが一番なのよ。わっちら戯作者は神じゃねぇんだからさ。神どころか、世の底の底を這いずってねぇと、ろくなものは書けねぇんだぜ――」・・・・・・。
「越後の鈴木牧之、その諦めない人生」というが、刊行40年。名著「北越雪譜」はけたはずれだ。
「再建のための選択肢」副題。「物価は上がらないもの」「給料は上がらないもの」「金利は上がらないもの」と3つのノルムに支配された20年余のデフレの日本。今、物価が、目指した2%以上上がり、賃金も2年連続上がり、いよいよ「物価を上回る賃金上昇」のデフレ完全脱却、ノーマルな経済になろうとしている。ここで、「日本銀行は2016年以降続けてきたマイナス金利政策を解除し、わが国においても、本格的な金利上昇局面入りが意識されるようになった」わけだ。ここで「世界最悪の借金大国・日本」「負担なき大盤振る舞いで崖っぷち、世界最悪の借金大国に迫る『危機』」の日本財政を考える著作。
「"財政事情は世界最悪"の国が財政破綻せずにこられた理由」――それは「『何も起こらない』のは利払費が増えずにすんできたから。ずっと横ばいで、2025年度予算案の歳出でも、利払費は10.5兆円」「日銀が国債を買い占めてきたから」「『利払費圧縮』の代償は、日銀財務の悪化」と言い、「我が国でも円安や物価上昇が、このまま続けば、日銀が金利をさらに上げていかなければ、円安もインフレも止められなくなることは自明」と言い、危機を示す。
第2部「シミュレーション 日本の財政はどうなるか」、第3部「聖域なき歳出削減 何をどう減らすか(医療・介護・少子化対策、年金=第3号被保険者制度をまだ続けますか?、地方財政=地方交付税制度は既に事実上破綻状態など)」、第4部「公平・公正な税制と納得できる税負担を考える」の詳細に述べる。
そして、「政党は財政問題から決して逃げず、悲惨なまでに厳しい財政の現実から決して目を背けずに、実効性のある財政再建プランを策定していただきたい」「財源もないのに、大規模な経済対策を打ったり、大規模な減税策を提案するようなことはもうやめていただきたい」「コロナ危機が過ぎ去り、物価が上がり、市場金利が上がり始めた今こそまさに、誰がどれだけ負担するのが良いか、どうやってこの国の財政運営を立て直していけば良いのか、私たち一人一人が真剣に考えるべき時が来ている」と危機を訴える。
「蘇我の娘の古事記」(周防柳著)も抜群に面白かったが、その時代に続いて2度にわたって皇位にあった女帝高野(阿倍の時代を「孝謙天皇」、重祚後の高野の時代を「称徳天皇」)と道鏡の恋の真相、奈良の都の最大の醜聞の真相を、天智天皇以降の皇統の連綿たる系譜の中で描く。皇位継承の争いと天皇の女心、道鏡の人物像が立体的に浮かび上がってくる。見事な力作。
21歳で歴史上唯一の女性皇太子となった阿倍は、「我らの輝ける御祖、天武天皇と持統天皇のお二人によって創り出された高御座の業を少しでも永く保て」と愛する父・聖武天皇から玉座を託される。母・光明子は帝聖武の妻である前に、藤原一族の女王であり、藤原氏の世にしようと仲麻呂と組んで画策する。阿倍は仲麻呂を信じ大炊王に譲位するが、用済み扱いとなり、日陰の谷間に追いやられる。失意のなか生きる気力を失った姫太上天皇の病の源を取り除き救ったのが道鏡禅師。阿倍は吉備真備、道鏡らと仲麻呂を討ち果たし、玉座に返り咲き、高野と称する。道鏡は法王に上り詰める。
持統天皇が夫・天武天皇への愛。二人が創り上げた皇統の血を守りぬかんとする高野。それを支える道鏡との激しい恋----。やがて、道鏡が、女帝の寵愛を良いことに、さらなる欲をかいて天皇になろうとしているなどの醜聞がまき散らされる。女帝・高野の追い落としが画策される。皇位継承の激しい争いだ。その中心となるのが、壬申の乱以降、日陰になってきた天智天皇系の者たち。
物語は、衝撃的な歴史の真実に至る。「壬申の乱はなぜ起きたのか」「天智天皇はなぜ天武でなく、愛児・大友皇子を立てようとしたのか」「この国のすめろきの道のあるべき筋とは」「道鏡とは何者であったのか」――。本書は、驚愕の事実を、歴史ミステリーのように、100年の歴史をうねるように描き切る。
歴史を大きく変える「恋する女帝」――。持統天皇の天武天皇への鋼のような愛。女帝高野の道鏡への全身の愛。道鏡の本心。そして男帝の血・・・・・・。歴史は孝謙天皇、称徳天皇を経て、天智天皇系の白壁王、そして桓武天皇に引き継がれていくのだが、その意味が明かされていく。
奈良の都、女帝と道鏡の醜聞の真相が、100年にわたる皇位継承の争いの根源から解き明かされる。ギラギラした道鏡ではなく、透明感と深い思索と溢れる愛を抑制する奥行きのある男として描く。
歴史の謎と情愛のうねりを剔抉、解明する素晴らしい傑作。