神森で5歳の男の子・真人が行方不明になった。真人はASD児だった。母親のシングルマザーの山崎岬、警察、地元の下森消防団などが、警察犬やドローンも投入し神森の最深部まで懸命に探すが足取りすらつかめなかった。11月中旬の森は、最低気温2度にもなり、安否が気遣われた。ところが1週間後、無事に保護され、不思議にも体力が温存されていた。
いったいこの空白の1週間何があったのか。ASDの真人は、「クマさんが助けてくれた」と語るのみ。岬と真人の叔父・冬也の懸命な調査で、4人の男女と一緒にいたことがわかってくる。それもリレーのように次々と接触、助けてくれたようだが、何しろ真人が「クマさんが助けてくれた」と歌ったり、「なくよウグイスへいあんきょう」とか「あかはとまれ、あおは雀」などと意味不明のことを言うだけでわからない。
しかしやがて、4人がだんだんわかってくる。男を殺し、死体を埋めるため森に入った松元美那、ユーチューバーで"原始キャンパー・タクマ"と称する戸村拓馬、暴力団の組から金を持ち逃げして追われる谷島哲、中学教師でいじめにあって自殺をしようと森に入った徳山理実。それぞれ深刻な事情を抱えた男女だった。さらに加えて、母親の岬には、ネットでの中傷、バッシングが浴びせられていた。岬と冬也はそれにも戦いを挑んでいく。
深刻な事件、森の中での極限状況・・・・・・。しかし、そこに繰り広げられる追い詰められた大人たちが見せる善意と愛情。葛藤の中で「生きる」意味を見出していく姿が、荻原浩さんの手によって心温まる作品となっている。ユーモアさえある。人間の生きる原点が、森と生物の息遣いの中にあることを感じさせる熟練の長編小説。
社会の変化は激しいが、「結婚」がこんなに変化しているのかを衝撃的に感じた。かつては、異性間の結婚をしたカップルにのみ認められた権利は、同性結婚カップルやLG BTQの人たちによって変化し、今や「友人との結婚」にまで広がろうとしている。事実婚、ステップファミリー、同性パートナーシップ、選択的シングルなど、一対の男女による結婚→出産というモデルでは捉え切れない家族の形がたくさんある。「ふつうの結婚」「ふつうの家族」の常識は大変化し、友人とも結婚できる社会がすぐそこまで来ている。驚くべきスピードで、と言うのだ。
「結婚をめぐる常識は、変化している」――。「日本以外の国では、平均初婚年齢よりも、第一子出生の平均年齢の方が低い」「2018年時点の婚外子の出生割合は、日本は2%程度、EU平均、OECD平均ともに40%を超える(1990年代以降、婚外同性カップルが急増)」――それは、フランスのPA CS (パックス)を始めパートナー関係をめぐる法制度が見直され、個人に選択肢が与えられるようになったからだ。「選択的シングル」という主体的に子育てを実施する女性も増えている。
「結婚の近代史」――。「見合い結婚と恋愛結婚が逆転するのが1965年前後)」「一夫一婦制に転換したのは明治だが、妾は普通で男性の恋愛や性関係は結婚制度と切り離されたものだった」。しかし戦後の日本国憲法で「両性の合意のみ」と家同士の結合ではなく、個人同士の対等な関係となる。出会いのきっかけは「地縁」から「職縁」へ、2000年代には「婚活」へ、2022年には「マッチングアプリが22.6%」とトップに躍り出た。そして「50歳時において1度も結婚経験のない人」の割合は、「1970年に男性1.7%、女性3.3%。2020年には男性28.25%、女性17.81% (国勢調査)」となる。「もはや昭和ではない」のだ。
「離婚と再婚」――。日本の離婚の比率は35%。日本の結婚の26.7%が再婚(2020年の人口動態調査)。ステップファミリー(結婚によって継親子関係を含むことになった家族)が増加している。離婚の増加により一人親世帯の貧困、ステップファミリーの家族関係の困難さが浮き彫りになる。
「事実婚と夫婦別姓」――。北西欧諸国では90年代後半から同性カップルにも、法律婚カップルと同等の生活保障を与えることで、同棲と結婚に大きな差がなくなった。トライアル(お試し)の結婚ではなく、同棲のような緩やかな関係性を選択すると言う。日本ではまだ少ないが、「内縁」「同棲」の後ろ暗いイメージではなく、「結婚している」という意識を持って「事実婚」をしている。「結婚した夫婦が必ず同じ姓を名乗らねばならない」と法律で規定してるのは国連加盟国では日本だけ。ほとんどの国が同姓・別姓・連結姓の選択肢がある。日本は特殊で、「夫婦別姓のため」に事実婚を選ぶケースが多いと言う。「多様性を排除する夫婦同姓制度ゆえに生じている事実婚が多い」のだ。真の問題は「夫婦同姓か夫婦別姓か」ではなく、「同姓のみを強制すること」の妥当性だ。夫婦同姓は明治民法によって成立した制度で、日本の伝統ではない。「子供がかわいそう」などと言う人もいるが、離婚後に8割以上の子供が母親に引き取られる状況で、最初から母親の姓にしておいた方がよほど合理的。「旧姓の通称使用で事足りる」という論調は、職場などで通称使用することが認められないのが普通であったことから、「当事者たちが勝ち取ったもの」と言う。「姓を変えたくない」「姓を変えるわけにはいかない」というのが、当事者の実情。継続的に名乗る、選択肢として認めることを求めていると言う。
「セクシュアルマイノリティと結婚」――。「セクシュアリティの構成要素は、『男女』に2分されるものではなく、グラデーション。生物学的性別、性自認、性的指向の組み合わせ。「セクシュアリティは固有のアイデンティティ。同性婚は、これまで異性愛カップルにだけ認められていた結婚が、同性愛カップルにも認められるようになった」というのが正確だと指摘する。2001年にオランダが世界で初めて、法律上の婚姻として同性婚を認めた。
「結婚の未来」――。近い将来、男性は3人に1人、女性は4人に1人が生涯にわたって、結婚という経験をしないと推計される。「結婚か独身か」として結婚という制度の中に入れようと、「結婚ありき」とするのではなく、人間の支え合いの関係の一つの選択して、結婚を位置づけ直すこと、「結婚を脱中心化していく」ことが、社会にとって重要なことだと主張している。
論点はさらに進み、2017年、同性婚が認められているアイルランドで、長らく親友関係にあった23歳差の男性同士が結婚した(同性愛者でも恋愛関係にもない)。著者は「すでに多くの国で同性同士の結婚が認められるようになった今、友人同士が家族になるための制度やシステムが普及していく可能性は高いように思う」と言っている。社会が激しいスピードで変化し、人と人との結びつきの形も多様になっていくなかで、「結婚」という制度がどうなっていくのか。重大な問題提起が起きている。
「なぜ物語思考が重要なのか」が副題。人間の思考は論理的思考と物語思考の2つからなると言う。論理的思考――哲学者は、世界の起源、世界が何でできているか、なぜ人間がここにいるのかを論じた。厳格な思考の道具は論理であるとしたのだ。その集大成はアリストテレスの「オルガノン」であり、それは論理の形式的な規則である。アリストテレスが樹立した不変の論理法則は、三段論法(AND/OR/NOT)のように、抽象的記号で自然言語を記述する道が開かれ、やがてデジタル計算機を誕生させ、現在のAI技術へと発展する。しかし、圧倒的能力を持つAIも、自ら技術革新を起こしたり、独創的な発想からの展開はできない。AIが行うのは論理演算の結果であり、論理的思考の行き着く先である。
人間の思考は、この論理的思考だけでなく、物語思考を持つ。知性の主要な根源は、未来の創造と新しい行動の発見・発現にあり、著者はこの能力を物語思考と名づける。脳の主目的の一つは行動の決定であり、行動するためには因果推論、換言すれば物語思考が必要なのである。本書では、私たちの脳がどのようにして物語で思考するのか、脳の持つこの生得的能力を改良する、芸術と科学などで物語思考を成長させることの意味などを詳細に説明している。
西洋哲学の揺籃期に物語は思考から切り離された。アリストテレスは文学的な対話を論理的な弁証法へと変換し、ソクラテスの対話からナラティブの要素を注意深く取り除いた。しかし知性は論理に還元できるという信念は間違いであり、ヒトの知性の主たる根源である計画作成、仮説の想像、時間軸の中で「起きるかもしれない」は計算できない。コンピュータが最適な選択肢を取ることができるのに対し、ヒトの脳は、新たな選択肢を想像することができる。ヒトの脳は革新者(イノベーター)であり、創造的な行動は頭の中のニューロンとシナプスのおかげだと言う。
AIは突き詰めれば計算機であり、創造性や想像性、感受性などは無いという人間主義的な論調は多い。我々の言ってきたことだ。しかし、本書は人間の脳と神経系統の構造に根拠を置いた野心的な論議を展開する。ニューロン(神経細胞)間のシグナル伝達に関わる継ぎ手は、非電気的なシナプスである。「電子機械であれば不可能な、精神的なアーキテクチャの即興での構築を、私たちのシナプスはやってのける」と言うのだ。故に「ダーウィンやアインシュタインがやってのけたこと(仮説を立て、想像して、新しいことを考えること)を可能にする」と言う。
脳は創造と選択をする。創造とは「新しい道具や、物や、法律や、戦術や、セラピーや、登場人物、その他を作ることである」。選択は「こうした道具、物、登場人物、その他の効果をランク付けすることである」と言う。そしてその改良には、「創造を最大化し、選択を研ぎ澄まし、そして創造と選択とを分離する」ことで達成されると述べる。
その上で「個人の成長のための物語思考」「社会の成長のための物語思考」「人生の意味への物語の答え」について語っている。私たちが人生を、社会を、未来を考えるとき、脳に備わっている「物語思考がいかに重要か」を噛み締める挑戦的著作。
「ナッジを使ってよりよい意思決定を実現」が副題。高校生向けに講義するスタイルで、行動経済学をわかりやすく紹介する。伝統的な経済学は、人々は合理的に行動するはずだという前提で、経済のメカニズムを説明する。行動経済学は必ずしも合理的とはいえない行動をするのが人間だと考える。しかしその行動にも何らかの傾向、規則性が見出されることを解明し、その上で経済の動向を解明する。本書は「感染症で学ぶ行動経済学――『社会規範』を考える」「落語で学ぶ行動経済学――サンクコストを考える」「ラグビー日本代表で学ぶ日本経済――『代替』と『補完』を考える」「風しん抗体検査で学ぶ行動経済学――ナッジを考える」の4章で、目の前にある具体的事象についてわかりやすく解説する。
「感染症対策」は厳しくすれば感染の拡大は抑えられるが、経済が悪化して経済的被害が出るという「トレードオフ」の関係がある。感染症でも、環境問題でも、「自由」にすると「負の外部性」がもたらされる。「見えざる手」がうまく機能しない場合が経済学の出番で、この「外部性」の解決を指摘したのがアルフレッド・マーシャル。「トレードオフ」にある感染症対策で、「日本では規制や罰則を使わない感染症対策をとり、市民への情報提供によって行動変容を促す」とした。どういうメッセージを発するか、まさに行動経済学の出番だったと言う。「マスクはなぜ店頭から消えたのか?」「トイレットペーパーはなぜ店頭から消えたのか?」「トイレットペーパー買い占めと銀行の『取り付け』」が、「ゲーム理論」「囚人のジレンマ」「ケインズの『美人投票』と株価」などで語られる。「重要なことは正しい情報提供をすれば、望ましくない社会規範を解消することができる」と言う。
「さほど儲からない事業の撤退をどうする?」――。「ここまで投資したから、ここまで待ったから。そうした問題は「コンコルド(効果)」「グリーンピア」「つまらない映画とチケット代」「デパートのトイレ待ち」など溢れている。「サンクコスト(埋没費用)」問題だ。それまでかけた額は変わらないから無視した方が良い。「人間には『現状維持バイアス』があることを前提に考えると、どうすればいいか悩んでいるのであれば、別の階のトイレを探しに行った方がいい」「現状維持か変化か――現状維持には真の価値にプラスして現状維持バイアスが加わっている。『変化』を選んだ人の方が幸せという研究結果がある」・・・・・・。
「ラグビー日本代表に外国出身の選手が増えで強くなった」――。外国人労働者、AI やChatGPTなど新しい技術革新の推進が語られる。
人々の意思決定には「現状維持バイアス」「自分だけは助かるという楽観バイアス」「同じ金額だと、利得よりも損失に大きく反応する損失回避バイアス」「自分の意見や結論を肯定するような情報を受け入れてしまう確証バイアス」「現在の好みが将来も続くと予想する投影バイアス」「参照点(アンカー)の情報に影響されて、物事を推測してしまうアンカリング」など様々なバイアスあり、誤った行動の原因となっている。ゆえにルールや仕組み、情報告知、広報の仕方などに、ちょっとした工夫(ナッジ)を施し、バイアスを修正してより良い行動へと導けないか。大竹さんが直接関わった「風しん抗体検査の受検率」「ワクチン接種率」などが紹介され、極めて面白い。納得する。あらゆる局面で、行動経済学の知見がさらに取り入れられることが大切だと思う。特に「問題は現場で起きている」からだ。
浅草寺の一角で、寺子屋を開いている大滝信吾。源吉や三太、おさよなど近くの長屋に住む町人の子に慕われ、親からも信頼されている。実は兄が旗本で三河以来の家柄で代々御膳奉行の要職をつとめている。信吾の周りでさまざまな問題、事件が起き、穏やかな日常を揺さぶる。
「定次(源吉、おみねの父)って野郎が借金を返さない」と闇の世界を操る狸穴の閑右衛門の手の者に押し掛けられたり、おゆうが「妾の子」と言われて悩んだり、寺子屋に通う小杉太一郎の父が賭場の用心棒で雇われて悩んだりする。三太の父、魚屋の善蔵が「痛んだ魚を持ってきた」とデマを流され窮地に陥ったりする。その都度、信吾は大切な人々を守るために、江戸の闇と戦ったり、自分も母が芸者の「妾の子」であることを明かしたりする。一つ一つに人情が溢れ、ほっこりしたりする。
また、兄から大滝家を継ぐ気はないかと提案され悩む。さらに浅草寺の境内にある正顕院の住職・光勝は元は武士。上意討ちの命が下って友垣を討つ。二度と刀を持つ気にならず出家し、住職となっていた。「自ら苦しまれるがゆえに、ひとの苦しみを救える----かるがるしく申してよいことではないが、あの方を見ていると、天命ということばが頭をよぎるのだ」と信吾に兄は言うのだ。討たれようとする。そして最後、ことごとく逆らったとして狸穴の閑右衛門は信吾を放擲しようとするのだが・・・・・・。
これまでの作品とは違い、江戸庶民、浅草界隈の人心の機微を丁寧に描いている。