杉原千畝の「命のビザ」を持って日本へ逃げのびた6000人のユダヤ難民。しかし滞在期限はわずか10日間。そのままでは「死の出国」が待っているだけだ。これを延ばすとともにナチスの執拗な弾圧を命を賭して救った日本人がいた。小辻(こつじ)節三だ。山田純大さんは世界に飛び、この一人の日本人を掘り下げた。そしてそれを助けた人道の人々がいた。松岡洋右も、神戸から上海に渡ったユダヤ難民を助けたラビ・アブラム・・・・・・。「世界を恐怖に突き落としたホロコーストという大惨劇の中で、ユダヤ人たちを助けようと動いた人たちがこうして繋がっている」――そうした人と人とを繋ぐ運命の不思議さと、屹立した人間群像を山田純大さんは感動をもって世界に飛んでたどっていく。それも素晴らしい。
そして「(ユダヤ難民を助けてくれたとともに)彼の最も大きな功績は、当時ナチスドイツの同盟国だった日本で、ユダヤ人に対する見方を変えてくれたということ」「それは日本人にユダヤ人の正しい姿を知らせただけでなく、ユダヤ難民たちにも日本という国をきちんと紹介したことである」という。
「日本経済は"安心の原理"で動く」と副題にあるが、それが里山資本主義なるものだ。今、日本人と日本企業(特に大都市圏住民と大都市圏の企業)には、「マネー資本主義的な繁栄は続かないのではないか」「社会の近代化、高度化は、システム崩壊と国土の脆弱化を招いているのではないか」「人の存在までも金銭換算し、生きる価値すら奪う面があるのではないか」という根源的な不安・不信がある。「里山資本主義は、すべてが生活現場と離れた市場にゆだねられながら現在の社会、大都市住民が水と食料と燃料の確保に関して抱かざるを得ない原初的な不安を和らげる」という。"マネー資本主義"の対極を志すのが里山資本主義であり、それはすでに、日本の中国山地などの各地で、田舎とされた地域で始まっているというのだ。
江戸時代の自給自足の暮らしに現代人の生活を戻せ、というような主義主張ではない。里山資本主義は、お金の循環を前提とする"マネー資本主義"の経済システムの横に「こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築していこう。水と食料と燃料の安全安心のネットワークを予め用意しておこうという実践だ」というわけだ。"田舎"が変わり始めた。電気も木材も牛乳も野菜も、知恵が生き生きと発揮され始めた。
そして、「次世代産業の最先端と里山資本主義の志向は"驚くほど一致"している」「日本企業の強みはもともと"しなやかさ"と"きめ細かさ"をもっている。アメリカ型のマッチョな資本主義とは違う」「都会のスマートシティと地方の里山資本主義はこれからの日本の車の両輪になる」と、意欲的な提起をしてくれている。"大都市"と"田舎"、欲望と人間、モノと人の豊かさ――そうした根源的な問いかけである。
長尾景虎(上杉謙信)の軍配者・宇佐美冬之助、武田晴信(武田信玄)の軍配者・山本勘助、北条氏康の軍配者・風魔小太郎――。「早雲の軍配者」「信玄の軍配者」の両書とは違って、テーマは"霧の川中島"だ。永禄四年、1561年の川中島第4回目の戦いだ。謙信が信玄に襲いかかるあの戦さ。
軍配者を描くというより、長尾景虎の兵法の常識を覆す異能ぶり。景虎の眼は人ではなく神仏に注がれる。神出鬼没の行動の背景には、毘沙門天そのものしか心中になしとの非政治的世界の覚悟がある。
一方の武田晴信は全くこれと対極。常識的、人間的、政治的世界が描かれる。
さしもの勘助、冬之助の軍配者もこの強烈な二人の背景に遠去かる。足利学校で共に学んだ軍配者3人の戦いと友情も完結する。