流浪の月.jpgたしかにこういう結び付き、世界があるのかも知れない。両親が消え、親戚に引き取られた家内更紗9歳、女性との恋ができない大学生の佐伯文19歳――。ある日、「うちにくる?」「いく」と、マンションで1か月以上も暮らすことになった二人。「家内更紗ちゃん誘拐事件」は、それぞれ家庭からも人の営みからもはじき出され、人とは違う自分にもがいていた二人のこんな出会いから始まった。誘拐どころか安らぎの幸せの日々。しかし世間は「誘拐事件を起こした小児性愛者」文への罵倒や揶揄、「犯人の呪縛から逃れられない哀れな被害者」更紗への同情・好奇で塗りつぶされた。そして15年が経過し、二人は再会する。

「それでも文、わたしはあなたのそばにいたい」――。愛でもない、恋でもない、そんなものを昇華した深い結び付き。「わたし、どうしても文の隣に住みたかったの」「そばにいると安心する。落ち着く。満たされる。どれもそのとおりで、なのに言葉を集めるほど足らない気がする。そこが自分の居場所だって気がするから」「文といるとすごく楽なの」というのだ。ハラハラ、ドキドキ、何とか二人が幸せになってもらいたいと読者は息をのむ。

「でも多分、事実なんてない。出来事にはそれぞれの解釈があるだけだ。わたしが知っている文と、世間が知っている文は全然ちがう。その間でもがく」――人間は弱さや不安を抱え、業にもまれながら生きていく。その時、自分の心の空洞を満たしてくれる誰かを欲しているものだ。2020年の本屋大賞受賞作。


ボクはやっと認知症のこと.png副題は「自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言」だ。長谷川和夫さんは「認知症界のレジェンド」「認知症界の長嶋茂雄みたいな人(実力も華もユーモアも)」といわれる。1974年に「長谷川式スケール」(認知機能検査)を開発し、1991年に改定版を出し、今も使われている。2004年には「痴呆」から「認知症」に用語を変更した国の検討委員。「パーソン・センタード・ケア(その人中心のケア)」を普及し、認知症だけでなく、ケアの第一人者として知られるが、自身が認知症になった。

認知症は「何もわからなくなった人」ではない。「認知症になったからといって、人が急に変わるわけではない。自分が住んでいる世界は昔も今も連続しているし、昨日から今日へと自分自身は続いている」「長生きすると認知症になりやすくなるから、ボクがなったのもそう不自然なことではない。ただ、生きているうちは少しでも社会や人の役に立ちたい。周囲の助けを借りながらその思いを果たしていきたい」「やはりいちばんの望みは、認知症についての正しい知識をみなさんにもっていただくことです。何もわからないと決めつけて置き去りにしないで。本人抜きに物事を決めないで。時間のかかることを理解して、暮らしの支えになってほしい」「認知症の本質は、暮らしの障害、生活障害なのです。最も重要なのは、周囲が、そのままの状態で受け入れてくれることです。『認知症です』といわれたら、『そうですか。でも大丈夫ですよ。こちらでもちゃんと考えますから』と工夫してあげること、押しつけずさりげなく支援の手を差し伸べてあげること」「認知症になってわかったこと――認知症は固定されたものではない。ボクの場合、朝起きたときが一番調子がよい。午後一時を過ぎると自分がどこにいるのか、何をしているのか、わからなくなってくる。だんだん疲れてきて・・・・・・。夕方から夜にかけては疲れているが、食事や風呂や眠ることが決まっているから何とかこなせる」「置いてきぼりにしないで、やさしくおだやかに待つ、そして聴くこと、その人らしさを大切に、役割を奪わないで」。

「認知症とは」「長谷川式スケール開発秘話」「認知症の歴史(全国を歩いて調査、納屋で叫ぶ人、国際老年精神医学会の会議開催、介護保険スタート、痴呆から認知症へ)」「社会は、医療は何ができるか」「日本人に伝えたい遺言(美しいもの、ボクの戦場、宗教の力、死を上手に受け入れる)」・・・・・・。認知症基本法の制定に力を注ぎたい。


月まで三キロ.png「月まで三キロ」など6つの短編集。なんとも魅力的、感動的、新鮮で、いずれも天文学や考古学、宇宙物理、気象など科学が主旋律となって響く。苦悩に沈んだ主人公が、宇宙のリズムや自然に接し、包まれ、苦悩の世界から脱出する。宇宙即我、我即宇宙の入り口、その衝撃、飛躍の威力なのか。珍しい理系の小説だが素敵な話が続く。

「月まで三キロ」――。事業に失敗、奥さんとも離婚、母が急逝、父は認知症が進み介護も限界・・・・・・。死を求めてさ迷いタクシーに乗った男。運転手が連れて行ってくれた所が「月まで三キロ」の標識のある所。運転手は、天文学の教師だったこと、月の裏側は見えないこと、それには孤独があり、化石の渦には哀しみがあること、天文好きの自分の息子が自殺したこと等をしみじみと語るのだった。「星六花」――。気象庁に勤務する男に出会ったアラフォーの女性。共に独身。会話は降雨や降雪の専門の話になる。雪結晶の美しさ、その数なんと40種類などの話に驚く。気象少年であった男は「美しい花も、美しい鳥も、美しい人も、生殖のためにそうなっているにすぎない。・・・・・・しかし雪結晶は、雲の中で完全に物理プロセスのみで生まれる。・・・・・・掛け値なしにただ美しい」という世界を語るのだ。女の心に大きな変化が生ずる。「アンモナイトの探し方」――。中学受験を控えた小学6年生が、父母の別離等で潰されてしまいそうになり、祖父母の北海道に行く。そこでアンモナイトを河原でハンマーで発掘し続ける戸川という男と出会う。

「天王寺ハイエイタス」――。前3作とは違って大阪丸出し、笹野家随一のトラブルメーカー哲おっちゃんと娘ミカちゃん。だが、この哲おっちゃんがじつにいい。兄貴は過去数万年の気候の変遷を復元して、今の温暖化を研究する古気候研究者。「エイリアンの食堂」――。夜の日替わり定食を売りにしている味自慢のつくばにある「さかえ食堂」。身内を失った謙介・鈴花の父子のもとに高エネルギー加速器研究機構の女性科学者"プレアさん"が毎日、食べに来る。「実はわたし、138億年前に生まれたんだ。宇宙といっしょに生まれた水素で」と"宇宙人"だったという。

「山を刻む」――。火山研究者と学生と家を出て山に来てある決断をする私。「溶岩だけ調べてもダメ。その間にどんな火山灰層、軽石、火砕流堆積物などが挟まれているか。僕ら火山研究者は、できるだけ細かく、山を刻むんです」という話に、「いつも間にかわたしは、家族にとって、切り刻んでも構わない相手になっている」と思う私。大きな決断をし、自分の感動を他に伝染させる人間へと突き進もうとする。


フィンランド人はなぜ.jpg幸福度2年連続世界一位、ワークライフバランス世界一位のフィンランド。ムーミン、オーロラ、サウナ、私の好きなシベリウスのフィンランド。教育や社会福祉の進んでいる幸せな国・フィンランド。冬にマイナス30度、太陽の出ない時期もある寒いフィンランド。フィンランドの大学院を出て、企業勤めのあと、フィンランド大使館で広報を担当している堀内さんが、住んでみた実感のなかで語る。

幸福度をランキングしても、あまりの環境と生活の違いで意味がないとまず思う。同時に、こういう暮らし、働き方があるということを新鮮に思う。それを知ることは大変いいことだ。「身近に自然があり、楽しむ」「定時に家に帰り、夏は1か月も休みをとる。『ゆとり』があり、『ゆとり』に幸せを感ずる」「仕事、家庭、趣味とそれぞれを楽しむことができるワークライフバランスがとりやすい」「自分らしく生きていける選択の自由度がある」「最近はヨーロッパのシリコンバレーと言われるほど、様々なアイデアを融合させたスタートアップがたくさん生まれている」・・・・・・。夜遅くまで働いたり休みも返上したりの"一生懸命感"や"疲労感"が漂う日本とは全く異なり、休みも睡眠時間もきちっととり、プライベートや趣味も充実させるワークライフバランスが整っている国がフィンランドだという。

働き方は柔軟、週に1度以上の在宅勤務をしている人は3割になる。1日2回のコーヒー休憩がある。「ウェルビーイング」という言葉をよく使うが、「心身共に健やかな状態」だ。接待は夜というのではなく、コーヒーやサウナ。ランチミーティングやブレックファーストミーティングが盛んだという。就業時間以外に自分のプライベート時間を犠牲にしてまで外出しない。趣味に家庭に忙しくそんな暇はないというわけだ。週末は店は閉まり、ベリー摘み・猟などの趣味・スポーツ・DIY・掃除などに精を出す。「心身ともにしっかり休み、次に頑張る」という姿勢は、ボーっとしたり、休んだことのない私などとは全く違う世界だといってよい。しかし一方で、こうしたなかにも、フィンランドのシス(内に秘めた強さ)に世界の注目が集まっているという。"灰色の岩さえ突き破る"シスは、不可能に思えても立ち向かいやり遂げるフィンランド人の精神の核だ。自立して生きる強さであり、おぜん立てされる日本とは違う自力で何でもやる、どうにかする力だ。シンプルな生活、シンプルな服装、人間関係もシンプル、コミュニケーションもシンプル。そして最後に教育、生涯学習のスタイル、フィンランドの貪欲な学び方が紹介される。


51KJublpBoL__SX338_BO1,204,203,200_.jpg無題.png「どうして青山玄蕃は不実の訴えに抗おうとせず、冤罪に甘んじたのか」「玄蕃が対馬守の非道を暴かなかったことには合点がゆかぬ」――。時は幕末、黒船来航から安政の大獄、桜田門外の変、世情騒然たる万延元年(1860年)。姦通という破廉恥罪を犯したという旗本・青山玄蕃は、切腹を拒んで蝦夷松前藩への流刑に処せられる。その押送人に選ばれたのが19歳の石川乙次郎。鉄炮足軽の次男坊だったが町方与力に一躍出世、結婚したばかりであった。流人と押送人の旅。奥州街道を北へと進むが、貧しさが民を襲い、政を担う武士の儀礼と慣習と道徳は硬直していた。口も態度も悪い玄蕃だが、道中で遭遇する様々な出来事を情によって包み込み、奇想天外な解決をもたらしていく。乙次郎は、このろくでなしの男の徳と罪の断絶に驚く。抜群に面白い。

道中でめぐり逢う人々。「杉戸宿のおかみ」「中田関所の御番頭」「佐久山宿の按摩」「芦野宿での稲妻小僧と賞金稼ぎ」「7年も父の敵を探し旅する侍」「故郷の水が飲みたいと願う"宿村送り"の女」・・・・・・。

「昔は法がなかった。礼はひとりひとりが自らを律した徳目だ。人間が堕落して礼が廃れたから御法ができたんだぜ・・・・・・。青山玄蕃は無法者にはちがいないが、もしや無礼者ではないのではないか」「俺は町人に生まれついて、なりたくもねえ武士にさせられた。・・・・・・武士道というわけのわからぬ道徳を掲げ、家門を重んじ、体面を貴び、万民の生殺与奪を恣にする武士そのものに懐疑したのだ」「俺は俺のなすべきことを悟った。二百数十年の間にでっち上げられた武士道をぶち壊し、偽りの権威で塗り固めた『家』を潰してやる。それは青山玄蕃にしかできぬ戦だった。大勇は怯なるが如く、大智は愚なるが如しという。ならば俺は、破廉恥漢でよい」「俺はのう、乙次郎。われら武士はその存在自体が理不尽であり、罪ですらあろうと思うのだ。よってその理不尽と罪とを背負って生きようと決めた。非道を暴くのは簡単、ただ義に拠ればよい。・・・・・・そのうえ腹を切って死ぬれば、あっぱれ武士の誉よとほめそやされるであろう。だが、それでは俺も糞になる」「武士が命を懸くるは、戦場ばかりぞ」・・・・・・。

「武士の本分とは何か」「家とは何か」――。"奇怪な武士"の世の終末期、青山玄蕃の心に抱えたマグマ、問いかけたものを鮮やかに描く。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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