江戸暮らしの内側.jpg江戸の文化は庶民の文化だ。大坂夏の陣(1615)から70年、元禄年間(1688~1704)に、庶民文化の成熟を迎える。平和であったればこそ、そして大災害や飢饉、火事等の危険にどう立ち向かうかが、切実な問題としてあった。江戸暮らしの内側を見ると、副題にある「快適で平和に生きる知恵」があふれている。「生活文化」「暮らしの文化」の基層には思想がある。「物的資源の有効利用」「近隣住民との長屋等での適度な付き合い」「倹約」「地域共同体の重視」・・・・・・。その深層にある道徳思想、「石門心学」と呼ばれる庶民哲学を生み出した石田梅岩の思想。日常を大事にし、平安や治安の良さを感受し、それを維持するための「道徳」「修身斉家治国平天下」の浸透だ。抜群に面白い書。

「秩父流平氏の一族・江戸氏に由来する江戸」「家康の利根川の東遷、荒川の西遷」「井の頭池を主たる水源とする神田上水(飲料水の確保は最重要課題)」「明暦の大火(1657)で3分の2が灰燼と帰し、木造密集の弱点克服の為に道幅を広げる大江戸の誕生」「大江戸をつくる為に男性が流入、18世紀になると100万都市(北は千寿、南は品川)」「流入者に長屋を借家として提供、間口2.7m、奥行3.6m(2間)と狭く、上水道の上水井戸を共有。汚水は下水道へ。管理するのは大家」「余所者が集う小さな共同体に生きる庶民が魅力あふれる文化をつくり上げた」――。

「朝夕2食だった日本人が朝昼夕の3食に変わったのは、明暦の大火で流入した肉体労働者の体力維持の為だった」「江戸の茶漬け文化と上方の粥文化の意味」「関東の蕎麦と関西の饂飩(醤油も先進地域は関西だった"下り物""下り醤油"が、野田・銚子で安い地廻り醤油が出回るようになった)」「"江戸の前の海"の江戸前の鰻、屋台で揚げた天麩羅、大ヒット握り鮨と稲荷鮨の工夫」「"さっぱり"したい江戸っ子の服飾文化と銭湯・共同浴場」――。

「庶民の教育、寺子屋で学ぶ子ども(江戸後期で男性50%、女子20%)」「道徳教育を施した寺子屋という装置」「人足寄場という再教育施設(天明の飢饉と長谷川平蔵)」「石門心学と心学講舎」「活発だった出版と本の流通」「与えられた場で懸命に生きるということ、江戸庶民の生老病死」「天災地変と笑い――庶民の人生哲学」「過ぎ去ったことは悲しんでも始まらぬ。悲嘆の代りに陽気を選びとる放れ技、できるだけ楽しんでやろうという心性」――。

「与えられた場で懸命に生きる」――江戸庶民の日常生活が活写される。


年金崩壊後を生き抜く 「超」現役論.jpg"老後資金2000万円"問題――その提起したことを冷静に把握・分析し、真正面から「人生100年代の生活」「日本の社会保障と財源」「高齢者の働き方や生活」を考える。

日本の人口構造は今後も高齢化が進行するので、社会保障の抜本的見直しが必要となる。まず年金――。2019年の財政検証で「年金財政はおおむね維持できる」というが、「マクロ経済スライド」「実質賃金効果」「非現実的な経済前提」の3つのトリックがあり、このままでは年金財政は破綻する可能性が高い、という。保険料収入が減少して給付が増加する、そのギャップをどう埋めるか、ということだ。「保険料率引き上げ」「マクロ経済スライド強化」は政治的にも困難だから、「支給開始年齢引上げ」が可能性が高い。しかし、70歳支給開始となれば、9割の人々が老後生活資金を賄えないという。

労働力不足のなかで、「女性労働力率の引上げ」「外国人労働者の活用」の2点以上に大事なのが高齢者の労働力を引上げること。社会保障の給付と負担の双方、労働力の確保などあらゆる面で高齢者の就労を進める必要がある。しかし高齢者の就労はなかなか進まない。働くことが損になってしまう制度となっていることが大きな要因で、とくに「在職老齢年金制度」と「高齢者医療制度、医療費の自己負担」「介護保険」の現状を改革する必要がある。「働くと年金が削減される」「働くと医療費の自己負担がぐっと増える」「介護保険でも前年の所得が一定限度を超えると自己負担率が高まる」というわけだ。「所得ではなく資産を勘案して自己負担率を決めるべきだ」と主張する。

高齢者はどう働けばよいか――。「定年延長の問題点」「企業のアウトソーシングによっての可能性」「ITで広がる高齢者の働く分野」「高まるフリーランサーの可能性(フリーランサーの時代が来た)(フリーランサーになるには早くからの準備が必要)(フリーランサーで働ける税制改革を急げ)」などを提唱している。


できない相談.jpg人間にはどこか、何かにこだわるということがあるようだ。人は一人では生きて行けないから、感情のズレもあるし、心の中にわだかまりが沈殿する。夫婦、会社、友人との会話のなかで、それが積み重なっていく。微妙な人心の「あや」を小さな38もの話としてまとめた。人間って滑稽だし、面白い生き物だ。「日常の小さな抵抗の物語」といっている。

「あるある」という話、「勘違い」の話、「他人事だと軽く笑っていたら自分に返ってくるブーメラン」のような話、「調子に乗ると・・・」という話、「小さな意地、抵抗」の話・・・・・・。「2LDKの攻防(光った妻の目、野獣のような夫の目)」「東京ドームの片隅で(クライマックスを共有したいのに)」「イマジネーションの檻(象でもはな子とちゃう)「押し売り無用(勇気と感動)」「紙の塔を築く(子供の心の内)」「世界一平凡な説教(何かあると出てくるそいつの説教)」「羊たちの憂鬱(三人の口癖)」「支柱なき世界(鎌倉幕府は1185年?)」「日本語で話せます(日本に滞在してもう8年なのに)」「さっさと忘れるしかないような一件(恋人?)」「満場一致が多すぎる」「絆について」「最後の旅行(親子三人の家族旅行)」「こっちの身(うるさい寿司屋)」「電球を替えるのはあなた」・・・・・・。

絶妙で面白い。人間ってこういうもの。


51LxGGJIFzL__SX355_BO1,204,203,200_.jpg宇宙の森羅万象について、宗教や哲学はその法理を「名付け」「解釈」を施すが、次第に正確に伝えられなくなる。数学は宇宙・森羅万象の法理を数学という「言葉」によって明らかにするが、重要なことは他と違って論理を共有し、正確に伝え伝搬していくということだ。「定義」に基づき、論理を積み重ねる。数学語を共通語として使っていくということだ。新井先生は「この本の目的は、『数学語を第三言語として身につける』こと。言語の本ですから『ナマモノ』の数学に出てくる補助線の引き方やつるかめ算など数学技能については勉強しません。三平方の定理やオイラーの公式のような有名な定理もやりません。その代わりに数学の文法と和文数訳、数文和訳、そして数学の作文法を勉強します」という。抜群に面白い。

まず「論理の誕生」から始まる。徹底した論理の共通言語・数学語。まず「定義」――点とは、線とは、面とは、偶数とは、素数とは。数学の文法、そこで必要となる論理結合子。和文数訳(「等しい」=、「大小」<、「属する」∉。そして論理結合子の「否定」¬、「かつ」∧、「または」∨、「ならば」→、「同値」↔、「すべての」∀、「存在する」∃)。そして数学和訳(日本語は否定が文の最後尾につくので、あやふやになる難しさがある)。「数学を表現するには、自然言語はあまりに大雑把」「数訳の困難さ」等が示される。そして「証明とは何か」「数学の作文(集合と論理、数学的帰納法、『補題』はなぜ必要か)」「終章――ふたたび古代ギリシャへ(円の面積の証明)」・・・・・・。

数学の世界の入り口に立ち、"新鮮"さとともに、迫力があって浴びせ倒される感がした。


61svAgwFpUL__SX340_BO1,204,203,200_.jpg昨年2019年は、近代建築の父・辰野金吾の没後100年。佐賀の出身、工部大学校(現在の東京大学工学部)の第一期生。政府が招き、生涯を日本に捧げたイギリスの建築家ジョサイア・コンドルに師事し、日本の近代建築の先頭を走り抜いた。まさに江戸ではない、「東京」に造り変えた「東京はじまる」だ。

日本銀行本店を造った。師・コンドルから奪い取った気迫と意地の建物だ。辰野のむき出しの意地が本書で描かれる。明治は各界でそのような若者の精神性が横溢していた時代であることがよくわかる。続いての大仕事は中央停車場、今の東京駅。辰野金吾の集大成、赤レンガに白い花崗岩、屋根に小屋を載せた辰野式建築だ。死んだ直後の関東大震災でも堅牢で倒れなかった。と同時に、各民営鉄道が東京の各地からバラバラに東西南北に走っていたものの結節点でもあり、皇居のすぐ近くでもあり、丸の内のビル街づくりの中心でもあった。両国国技館、大阪株式取引所、東京米穀取引所、日銀の全国の支店・・・・・・。しかし、国会議事堂はスペイン風邪で死に至ったこともありできなかった。「曽禰君」「たのむぞ」「議事堂、議事堂」との最後の言葉で本書は結ばれている。

コンドル、曽禰達蔵、高橋是清、川田小一郎、片山東熊、妻木頼黄・・・・・・。多くの人々と交流し、喧嘩もし、競い合った闘いの生涯であった。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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