ボクはやっと認知症のこと.png副題は「自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言」だ。長谷川和夫さんは「認知症界のレジェンド」「認知症界の長嶋茂雄みたいな人(実力も華もユーモアも)」といわれる。1974年に「長谷川式スケール」(認知機能検査)を開発し、1991年に改定版を出し、今も使われている。2004年には「痴呆」から「認知症」に用語を変更した国の検討委員。「パーソン・センタード・ケア(その人中心のケア)」を普及し、認知症だけでなく、ケアの第一人者として知られるが、自身が認知症になった。

認知症は「何もわからなくなった人」ではない。「認知症になったからといって、人が急に変わるわけではない。自分が住んでいる世界は昔も今も連続しているし、昨日から今日へと自分自身は続いている」「長生きすると認知症になりやすくなるから、ボクがなったのもそう不自然なことではない。ただ、生きているうちは少しでも社会や人の役に立ちたい。周囲の助けを借りながらその思いを果たしていきたい」「やはりいちばんの望みは、認知症についての正しい知識をみなさんにもっていただくことです。何もわからないと決めつけて置き去りにしないで。本人抜きに物事を決めないで。時間のかかることを理解して、暮らしの支えになってほしい」「認知症の本質は、暮らしの障害、生活障害なのです。最も重要なのは、周囲が、そのままの状態で受け入れてくれることです。『認知症です』といわれたら、『そうですか。でも大丈夫ですよ。こちらでもちゃんと考えますから』と工夫してあげること、押しつけずさりげなく支援の手を差し伸べてあげること」「認知症になってわかったこと――認知症は固定されたものではない。ボクの場合、朝起きたときが一番調子がよい。午後一時を過ぎると自分がどこにいるのか、何をしているのか、わからなくなってくる。だんだん疲れてきて・・・・・・。夕方から夜にかけては疲れているが、食事や風呂や眠ることが決まっているから何とかこなせる」「置いてきぼりにしないで、やさしくおだやかに待つ、そして聴くこと、その人らしさを大切に、役割を奪わないで」。

「認知症とは」「長谷川式スケール開発秘話」「認知症の歴史(全国を歩いて調査、納屋で叫ぶ人、国際老年精神医学会の会議開催、介護保険スタート、痴呆から認知症へ)」「社会は、医療は何ができるか」「日本人に伝えたい遺言(美しいもの、ボクの戦場、宗教の力、死を上手に受け入れる)」・・・・・・。認知症基本法の制定に力を注ぎたい。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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