516r+codX0L__SX313_BO1,204,203,200_.jpg「真説 本能寺」が副題。新たな史料を基に、「信長と光秀の確執」などではなく、「信長包囲網」や「世界の大航海時代の植民地獲得、鉄砲、キリスト教」などの動きから「本能寺の変」を解読する。迫力ある書。「光秀単独犯行はありえない」「謎だらけの明智光秀」「革命家信長の光と闇」「戦国時代はグローバル社会だった」「戦乱の日本を覆うキリシタンネットワーク」「『本能寺の変』前と後」の6章より成る。

「本能寺の変」前夜の日本の空気――。「天皇を超える『太上天皇』になろうとした信長に対して、朝廷と足利幕府の再興を狙った近衛前久」「信長に仕えながらも忠誠心を持ちきれず、もともと身を置いていた幕府勢力についた明智光秀」「信長打倒計画を知りながら防ごうとせず、その計画を利用し、キリシタン勢力と組んで天下を取ろうとした豊臣秀吉」「残虐性、人の情には無頓着、合理的で先進的な信長は、国内的な視野しかもたぬ者とは違って、中央集権と重商主義の政策をとり、突き進んだ」・・・・・・。国家観、世界観がまるで違うのだ。歪み、激突は自然の帰結ともいえる。

「織田軍挟み撃ちの黒幕は近衛前久」「足利幕府は元亀4年(1573年)には滅亡しておらず、義昭が幕府を移した鞆の浦で権勢を保っていた」「光秀も組み込まれた信長謀殺計画」「富士宮市の日蓮宗西山本門寺に"信長の首"が祀られており、"明智に誅される"(上が罪ある者を成敗する)とある」「光秀の積もりに積もった鬱屈――信長に命じられる長宗我部元親の四国問題、家康の接待、秀吉への援軍、そして転封。そこへ前久から朝廷を守るために討てという"勅命"。光秀のもつ正義」「京都の阿弥陀寺に運び出された信長の遺骨」「戦国時代の100年間はグローバル社会だった(鎖国史観で消された)」「戦乱の日本を覆うキリシタンネットワーク」「信長を利用し、育てたイエズス会(ルイス・フロイス、ヴァリニャーノ)」「イエズス会(スペイン)と決別し、急速に不安定化した信長政権」「天下人になった秀吉はスペインのいう"明国出兵"をのんだ」「イエズス会を後ろ盾としたゴッドファーザー黒田官兵衛」「日本最大の価値・石見銀山をもつ毛利輝元もキリシタン大名派に寝返った」「大情報網となっていたキリシタンネットワーク。信長暗殺計画も近衛前久→吉田兼和→細川幽斎→黒田官兵衛→秀吉政権樹立」「石見銀山の銀と鉄砲や南蛮貿易、それに介在するイエズス会の布教と貿易」「信長・秀吉の中央集権・重商主義が朝鮮出兵で敗北し、家康は地方分権体制と農本主義政策に転じた」「官兵衛の天下取り狙い」・・・・・・。

真実への探索のエネルギーは今も続いている。面白い。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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