地方の商店街や耕作放棄地が目立つ農村地域に立って、息をのむことがある。人里離れた山村にポツンポツンと点在する家を列車に乗って見る時に、子供の頃の田舎の思い出や住んでいる人に思いをはせて、哲学的な特別な感情がよぎることがある。
地域をどう活性化するか。よくいわれる言葉だが、私は生活が成り立つように地域をどうするかが大事だと考えている。農業振興というより農村生活バックアップだ。
副題に「食・農・まちづくり」とある。
8章立てのテーマに沿ってルポとして先駆的な試みを紹介している。そこには人が生きることとは何か、豊かさとは何かということが、底流として流れている。島根県雲南市木次町などの酪農、各地の(地元足立も紹介されている)商店街活性化、名高い徳島県上勝町の葉っぱ、今治市の地産地消と学校給食、新しい農と畜産をめざす北海道標津町、高知県梼原町の林業、富山市の公共交通・ライトレール、練馬区の市民農園・都市農業――いずれもそこにはいいリーダーがいる。
しっかりした本である。まさに、歴史・現状・論点を整理して、主義やレッテル張りを排除して、徹底的に冷静に分析してくれる。アメリカ標準を安易に前提とする議論にも、日本異質論にも(日本だけでなく他国にもある)、また1940年体制についても、システムが固定化したというより、特有の仕組みが「選択されつづけ」たといい、警鐘を鳴らす。大蔵省の均衡財政主義は職業的使命感として是認したうえで、"角を矯めて牛を殺す"という経済の萎縮をもたらさないようにと懸念も示す。
実需ではなく、投機需要が経済を撹乱し、時に破壊することも、これまでの歴史のなかに学んできたとある。
さあ、日本の今と今後、市場主義、小さな政府、アメリカ・モデルでなく「合理的な助け合いのネットワーク」「能力に応じた負担、必要に応じた受益」「権限と責任の明確化」など、社会を組み換える原則をしっかりと提起する。
河野澄子さんが亡くなられた。心よりご冥福をお祈りしたい。1994年6月27日深夜、河野さんからの電話による第一通報。松本サリン事件である。
事件から14年、奥様の澄子さんは、今年、寝たきりのまま還暦を迎えていた。
河野さんは私と全くの同郷、豊橋市のなかでもきわめて近い所で生まれ育った。
私がお会いした河野さんは、静かで、信念と哲学性をたたえた心の芯の強固さが印象的だったが、子供の頃は私などとは比べものにならないガキ大将、その後の人生の処し方、楽しみもまたはるかに越えている。「麻原被告にとって極刑は、はたして死刑なのだろうか」
「徹底的にマスコミと闘い謝罪を勝ち取らなければ、世間に定着した"河野が犯人"というイメージを払拭できないと考えていた。それほど、マスコミ報道は激しかった。そうしたなかで、私がうれしかったのは子どもたちがふつうどおり学校に通ってくれていたことだ」
「私は、麻原被告も、オウム真理教の実行犯の人たちも、恨んでいない。恨むなどという無駄なエネルギーをつかって、かぎりある自分の人生を無意味にしたくない」長野県公安委員、マスコミ報道への苦言など、重みがある。
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