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元大関・琴風、尾車親方。現役時代は大関への期待がかかった時に左ヒザじん帯断裂の大ケガで幕下まで陥落、再起を果たしてまた関脇で左ヒザ半月板損傷。再び立ち上がり初優勝して大関へ。また右ヒザじん帯損傷で引退――。尾車親方となって苦節13年、ついに関取を誕生させるが、昨年4月4日、巡業先で転倒して頸髄捻挫の重傷。首から下が全く動かせない全身麻痺の状況から奇跡の復活をついに果たす。

逆境、試練、苦難の連続、一寸先は闇、波乱万丈――。「勝つまでやることを、頑張ったというんだ」「何度転んでも起き上がるんだ」「ピンチを乗り越える力を持っている者にしか、試練は与えられない。自分は認められた男だと思って頑張れ」と自身に言い聞かせながらの人生が、琴風の人生だが、「琴の音が、風に乗って響く」琴風らしく、ものすごく謙虚に静かに語っている印象的な本だ。


おとなの背中.png

「如実知見」「諸法実相」――本書の哲学者の思考にふれて私の感じたことだ。「哲学は人間学だ」とつくづく思う。大人の人間学、熟練・練達の人間学だ。「教育」「育てる」ということは、教えるのではなく、「伝える」こと。背中で・・・・・・。「期待のされすぎはなぜしんどいのか」「期待のされなさすぎはなぜしんどいのか」――期待の過剰と期待の過小の社会。資格が問われ、選別されてばかりの社会。存在をかき消されてしまう社会。そのなかで人は自分の存在を「できる・できない」の条件を一切つけないで認めてくれる人を求め、溺れているかのようだ。複雑・多様・正解のない現実をどう受け容れるか。独立ではなく自立を、不如意への「耐性」が必要だという。

「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す(寺田寅彦)」「この国のほとんどの人は飢餓や戦争をはじめとして、生存が根底から脅かされるような可能性を考えないで生きている」「現代の都市生活はじつはたいへんに脆い基盤のうえに成り立っている。ライフラインが止まれば、人は原始生活どころかそれ以下に突き落とされる」「人は、その生活を"いのちの世話"を確実に代行するプロフェッショナルに委ね、自分たちでやる能力をしだいに失い、とんでもない無能力になっている」――。2007年以降、新聞や雑誌に寄せたエッセー集。いずれもどっしりして、根源的に考えさせられる。


来るべき民主主義國分功一郎.JPG

「小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題」と副題にある。「近代の政治理論は主権を立法権として定義している」「そして現代の民主主義において民衆は、ごくたまに、部分的に、立法権に関わっているだけだ」「しかし、より大きな盲点は、実際の政治・政策の決定が、議会という立法機関(国民主権の行使の場)ではなくて、執行機関に過ぎないはずの行政機関においてなされている。議会ではなくて役所でなされているということだ」「行政が全部決めるのに民主主義社会と呼ばれ続けている、ということだ」――。さらにそのうえで、ボダンやホッブスやルソーにおいて、主権が立法権として定義されている事実を示しつつ、「現代の危機は、単に民主主義や人民主権の危機なのではなく、主権の危機である。・・・・・・統治は本質的に、法や主権から分離していく可能性を孕んでいる(大竹弘二氏)」。「主権による立法によって統治を完全に制御することなど不可能であり、行政は行政自身で統治のために判断し、決定を下す」ことを明らかにする。現代議会制民主主義の盲点、欠陥だ。

そして、いくつかの提案がされている。「制度が多いほど、人は自由になる(ドゥルーズ)」「住民投票制度についての4つの提案」「審議会などの諮問機関の改革」「諮問機関の発展形態としての行政・住民参加型のワークショップ」「パブリック・コメントの有効活用」・・・・・・。議会制民主主義に強化パーツを足して補強する。それがジャック・デリダの「来たるべき民主主義――民主主義は実現されてしまってはならない、民主主義は目指されなければならない」が志向の線上にあるとする。

「政治家―官僚―民衆」を議院内閣制のなかで常に考える日々だが、本書は近代政治哲学の重大な欠陥を住民運動の実践と思索のなかで剔抉してくれている。


近代の呪い.png幕末以前の民衆――それは「自分たちの生活領域こそ信ずべき実体であり、その上に聳え立つ上部構造は自分たちの実質的な幸福とは何の関係もないとする、下積みの民衆の信念」であり、「天下国家を論ずる上の方の人たちの、生活現場に関する無知を笑う」という民衆世界であった。そして、そうした民衆世界の自立性を撃滅し、国民国家を創立する、そして民衆を国民に改造する――それが近代である。さらにそれとセットになるのは「知識人の出現(近代知識人とは国民国家の創造をその任務とする)」だという。そして本書では「反国家主義の不可能性」と「国民国家における"人間の条件"」に踏み込んで語っている。

一方、「西洋化としての近代とその魅力」や「フランス革命再考」を示しながら、生活の豊かさや快適さとともに近代へのアンビヴァレントな思いは常にあり、それは「民族国家の拘束力がますます強化される」という呪いと「世界の人工化(自然との平常の交感を失う)」の呪いが痛切な問題として残ることを指摘する。

「近代とは何か」は「民衆とは何か」「グローバリズムとリージョナリズムとは何か」「国民国家とは何か」「進歩の帰結として何を失い、何に呪縛されることになったのか」等々の根本的問題を問いかける。深い。


ティンホイッスル表紙.JPG人生はままならぬものだ。ましてや厳しく激しい魔性の芸能界ではなおのことだ。さらに経験のない若い女性がそこで生き抜き続けることは、仏典に説く「一眼の亀が浮木に遭う」が如き至難さであろう。凋落を感じながらも再起をかける女優、情熱を失いつつも今の仕事に向き合う女性マネージャー、ロケ地で偶然にも再び映画への道へ誘われる元女優。この三人の心象風景が見事に描かれる。

元女優の小学生の娘が、言葉を発せられずにティンホイッスルを吹く。人生の転機と再生、そしてその決断。自己存在の意味と証明。そして言葉と心。自分は何をしたいのか、自分の本心は自分でもわからない。しかし生命は知っている。それが噴き出すには、何かのキッカケがいる。"運と運命""縁と逡巡""有と無と空の世界"のなかで、自己肯定の決断がティンホイッスルの音として跳躍する。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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