幕末以前の民衆――それは「自分たちの生活領域こそ信ずべき実体であり、その上に聳え立つ上部構造は自分たちの実質的な幸福とは何の関係もないとする、下積みの民衆の信念」であり、「天下国家を論ずる上の方の人たちの、生活現場に関する無知を笑う」という民衆世界であった。そして、そうした民衆世界の自立性を撃滅し、国民国家を創立する、そして民衆を国民に改造する――それが近代である。さらにそれとセットになるのは「知識人の出現(近代知識人とは国民国家の創造をその任務とする)」だという。そして本書では「反国家主義の不可能性」と「国民国家における"人間の条件"」に踏み込んで語っている。
一方、「西洋化としての近代とその魅力」や「フランス革命再考」を示しながら、生活の豊かさや快適さとともに近代へのアンビヴァレントな思いは常にあり、それは「民族国家の拘束力がますます強化される」という呪いと「世界の人工化(自然との平常の交感を失う)」の呪いが痛切な問題として残ることを指摘する。
「近代とは何か」は「民衆とは何か」「グローバリズムとリージョナリズムとは何か」「国民国家とは何か」「進歩の帰結として何を失い、何に呪縛されることになったのか」等々の根本的問題を問いかける。深い。