続昭和の怪物七つの謎.jpg昨年の「昭和の怪物 七つの謎」は、私自身の「今年の3冊」にあげたもの。その続編として「三島由紀夫」「近衛文麿」「橘孝三郎」「野村吉三郎」「田中角栄」「伊藤昌哉」「後藤田正晴」の7人を取り上げている。保坂さんの評価とは別に、語るに足る人物であり、歴史的にキチッと位置づける意味があるということだろう。「昭和史の人間学」だ。

「三島由紀夫は『自裁死』で何を訴えたか」――。単に死ぬというのではなく、そこには人生観や歴史観が込められており、それを世に問うとの意味をもつ自裁死として、藤村操、芥川龍之介、山崎晃嗣、西部邁を上げる。そして三島では「戦後を鼻をつまんで生きてきた」との言を思想のコアとして語る。「近衛文麿はなぜGHQに切り捨てられたか」――。近衛の東條との対立、近衛上奏文から見える歴史空間を示し、「近衛の弱さの因」「節操のない身の処し方」を剔抉するが「ひどい痔に悩んでいた」というのも気力を保持できないことがわかる気がする。「農本主義者・橘孝三郎はなぜ5・15事件に参加したのか」では、農本主義者、人道主義者、理想主義者としての人物像を浮き彫りにし、歪み倒錯した世論がファシズムの導火線となった時代背景を示す。

「野村吉三郎は『真珠湾騙し討ち』の犯人だったのか」――。電報遅延の内幕、日本大使館が中心軸を欠いた空間となっていたことを明らかにしている。「田中角栄は『自覚せざる社会主義者』だったのか」では、それまでの首相にはなかった生活感覚を大切にするリアリスト庶民宰相・角栄(政治とは庶民の生活を守ること)に触れつつ、伊藤昌哉の「田中という政治家は危険な存在」「思想、哲学を持っていないからその行動に深みがない。カネと人情で動くというのではまるで渡世人のようなものだ。私はいつか彼が蹴つまずくと思っていた」との言を紹介する。そして「伊藤昌哉はなぜ"角栄嫌い"だったのか」「後藤田正晴は『護憲』に何を託したのか」を扱う。「私は後藤田は自らに与えられた仕事を深みをもってこなして行く能力において秀でた才能があると思う」という。

現代の全てにわたる軽さが、心を抉る。


漫画の世界へ落ちて.jpg突然、脳梗塞となった矢野さん自身の「脳梗塞リハビリ奮戦記」。これほど発症時から今に至るまで、克明に症状を生々しく語った書に巡り合ったことがない。「この文章執筆中は、一度も妻に見せたことはなかったが・・・・・・」「健常者に脳梗塞患者の実像を知ってもらい、逆に脳梗塞患者の行動が健常者にどう映っているのかということが脳梗塞患者側に分かってくれば、相互の葛藤も少なくなると思い本書を書き綴った」という。よくぞここまで書き続けたと思う。凄い。

平成23年9月に発症し入院。不思議な体験、脳外科病棟、リハビリ病棟、理学療法リハビリ、作業療法リハビリ、言語療法リハビリのそれぞれ。食事、トイレ、自分の左手が誰の手かわからなかった話、歩行訓練、時間の感覚や方向音痴になった話、音感、暗算訓練・・・・・・。そして24年3月に退院。退院後のリハビリ、苦しく辛いことばかりだと思われるが、そのなかでの嬉しかったこと。人が普通に話し、歩き、手を動かし、人と接することがどんなにすごいことか。書き綴ってくれた矢野さんの強さに感動する。


小野寺 史宜.jpg東京・砂町銀座商店街の「おかずの田野倉」。おいしいコロッケなどを作る惣菜屋にアルバイトとして入った柏木聖輔。20歳の大学生だったが、わずか3年で父、そして母が急死し、大学もやめることになる。

「一人の秋」「一人の冬」「一人の春」「夏」の4章。一年間の話だが、聖輔をはじめとしてほとんどが善人。「おれは青葉が好き」が、この本の最後のセリフだが、高校同期の青葉の元カレ高瀬涼と親戚の基志ぐらいが"性悪の人"。「人間捨てたものじゃないよ」と心がホッコリする。「大切なのはものじゃない。形がない何かでもない。人だ。人材に代わりはいても、人に代わりはいない」「道を譲る。準弥くんにベースを譲る。店のあれこれも譲る。でも青葉は譲らない」・・・・・・。

たしかに「ひと」だ。


ホモ・デウス上.jpgホモ・デウス下.jpg「テクノロジーとサピエンスの未来」が副題。前作の「サピエンス全史」では、7万年前、認知革命が起き、言語が出現。さらに1万2千年前は農業革命、そして書記体系(記号を使っての情報保存)、貨幣を生み、近代科学の成立、科学と帝国の融合等を経て、全地球の主となったサピエンスが描かれた。そして最後に「私たちは以前より幸福になっているのか」「正真正銘のサイボーグ、バイオニック生命体に変身する超ホモ・サピエンス時代に突入する瀬戸際である」との2つの痛烈な疑問を突きつけた。

その続編が本書。「人間は至福と不死、神性を追い求めることで、自らをホモ・デウス(神のヒト)へとアップグレードしようとしている」「人間は健康と幸福と力を追求しながら、自らの機能を徐々に変えていき、ついにはもう人間ではなくなってしまうだろう」という。いったい、我々はどこへ向かうのかを、生物学的に、科学・工学的に、科学と宗教や歴史を分析して提示する。「人類が新たに取り組むべきこと」「人新世」「人間の輝き」「物語の語り手」「科学と宗教というおかしな夫婦」の5章が上巻だ。そして下巻は「現代の契約」「人間至上主義革命」「研究室の時限爆弾」「知識と意識の大いなる分離」「意識の大海」「データ教」で、これら第3部は「ホモ・サピエンスによる制御が不能になる」だ。

現代社会は人間至上主義の教義を信じており、それを実行するため科学を利用する。科学と人間至上主義の間の現代の契約は崩れるだろうか。科学と何らかのポスト人間至上主義の宗教との取り決めに場所を譲る可能性があるのではなかろうか。その新しい取り決めとは一体何かを掘り下げる。生物は、遺伝子やホルモン、ニューロンに支配されたただのアルゴリズムであり、コンピューターが、人間を自分自身よりも詳しく把握することになる。人間至上主義に取って代わる有力なものはデータ至上主義だが、それは人間をアップグレードしても対処できない。「人間はその構築者からチップへ、さらにはデータへと落ちぶれ、データの奔流に溶けて消えかねない」と危惧する。しかし、そうした現実の動向を分析しつつも、最後に3つの重要な問いを提起して締めくくる。「生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか? そして、生命は本当にデータ処理にすぎないのか?」「知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?」「意識は持たないものの、高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか」――。当然、そこには「世界に意味を与えている虚構を読み解くことが、絶対に必要となる」ということだ。


認知症フレンドリー社会.jpg「2025年に認知症700万人」「誰でも長生きすれば、認知症とつきあうことになる」「認知症というと医療やケアの問題だと思いがちだが、それは大事な要素ではあるが、もっと広いテーマ。法律や経済、情報化、コミュニケーション、家族など、社会全体の設計の問題。ATM、買い物、移動、交通、通信など全てにわたる」――。社会そのものを変える。認知症の人とそうでない人が別の世界に住んで暮らしている現状を変える。「まざっていく社会」になる。社会全体を認知症対応に"アップデート(更新)"する必要がでてきている。「認知症フレンドリー社会」は、漠然と"みんなにやさしい社会"というのではない。社会全体を認知症対応にアップデートするということだ、という。

「認知症フレンドリー社会」とは「認知症の人が高い意欲を持ち、自信を感じ、意味があると思える活動に貢献、参加できるとわかっている、そうした環境である(英国のアルツハイマー病協会の定義)」を示す。「認知症対処社会」ではなく、「認知症フレンドリー社会」だ。

最も進んでいる英国の認知症の課題に取り組む団体や企業を束ねるネットワーク「認知症アクション連盟(DAA)」が紹介される。プリマス市の活動、図書館やバス会社のヘルプカード。また空港やスーパーマーケットなどの工夫。日本の大牟田市(まちが変わると退院する人が増えた)、富士宮市(認知症の人の声からはじまるまちづくり)、町田市(アイ・ステートメント、Dカフェ、デイサービスの人が洗車など地域で仕事をする)などが紹介される。

認知症とそうでない人の間の目に見えない多くの壁を取り除く、互いが互いを支える。日本の最重要の課題だ。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任、公明党前代表。前国土交通大臣、前水循環担当大臣。

現在、衆議院議員、党全国議員団会議議長、東京第12総支部長、首都直下地震対策本部総合本部長、現代中国研究会顧問など。

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