sorawataru.jpg東京・新宿にある都立東新宿高校の定時制に、様々な事情を抱えて入ってきた生徒たち。そこに理数系の科目を担当することになった藤竹という風変わりな先生が赴任してきた。藤竹は大学院時代から「天体衝突と惑星の進化」をテーマに一貫して取り組んできた研究者だった。藤竹は「科学部」を結成しようとし、生徒を次々に勧誘し加えていく。

柳田岳人――数学は人一倍できるが、読み書きができない。音と文字を結びつけて脳で処理する力が弱く、文字の形をうまく認識できないディスレクシア。仕事のために普通免許を取りたくて、学科試験に通るよう定時制高校に入る。親にまで「不良品」と言われ、「よってたかって馬鹿にしやがって」と荒れている。越川アンジェラ――夫と2人でフィリピン料理店「ジャスミン」を切り盛りし、高校に憧れを持つ40歳。「ママ」というあだ名がついている。名取佳純――過呼吸を起こして保健室が落ち着ける場所になっている保健室登校の生徒。高校受験にも失敗し、辛さから解放されたくてリストカットの経験まであり、傷跡を「オポチュニティーの轍」と見比べる。SF小説など無類の読書好き。長嶺省造--―昭和23年生まれで集団就職で上京、技術を身に付け「長嶺製作所」を設立、そして70歳を過ぎて夢見た高校に入り、最前列で授業を受ける。生徒との世代ギャップは甚だしい。この4人の「科学部」だが、実に持ち味を生かして、「火星のクレーター」を再現する実験を始める。生きがいを見出し、結束する。藤竹の絶妙なコーチによって、負を背負った生徒たちの希望への挑戦は心地よい。

「何百という人たちから拍手を受けている。定時制の.この俺たちが。どうしようもない不良品だったはずの、この俺が」「藤竹の言ったことは、正しかった。あそこには、なんだってある。その気になりさえすれば、なんだってできる」「俺たちの教室は今、宇宙をわたる」

定時制高校の生徒たちは、何を背負い、何を思っているのか――最も考えたのはそのことだ。そしてこの希望あふれる物語は、現実にあった話をもとに、伊与原新さんが小説に仕上げたと言う。宇宙、科学、優しい人の心を描く伊与原さんの素晴らしい世界を満喫する。


doubutu.jpg動物たちは何を考え、何をしゃべっているのか――ゴリラ研究の霊長類学者・山極寿一さんと、1年に何ヶ月も長野県の森にこもりシジュウカラを観察し続ける鳥類学者・鈴木俊貴さんの対談。「おしゃべりな動物」「動物たちの心」「言葉から見える、ヒトという動物」「暴走する言葉、置いてきぼりの身体」の4章から成る。「動物は人間より貧しい世界に暮らしているのではない。同じ場所にいても、それぞが認識する環境は違う。動物たちは、人間とは違う能力を使って、それぞれに豊かな環境で暮らしているわけであって、決して人間より劣っているわけではない」「カラ類や類人猿のコミニュケーションは、それぞれが生息する環境で豊かに安全に暮らすために進化した。人類の言葉も進化の歴史を反映しており、もともとは多様な環境で小規模な集団が生き延びるために発達したものだ」「私たちの心身はまだSNSやインスタグラムに適応できていない。私たちの話で浮かび上がった人間の現初的で、本質的なコミニケーションを頭に描きながら、賢く言葉を伝える世界を作ってほしいと思う」と山際さんは言う。

シジュウカラは天敵の種類によって鳴き声が違い、ヘビなら「ジャージャー」、タカなら「ヒヒヒ」と鳴く。そして「ピーツピ(警戒して)」「ヂヂヂヂ(集まれ)」の二語を正しい順序で並べて仲間に呼びかけると言う。手話を学んだゴリラのマイケルは「お母さんは密猟者に首を斬られて殺されて、ボクは手足を縛られて、棒にぶら下げられて連れてこられたんだ」と飼育員に手話で語り始めたという。人間はすごいね、などと言ってる時代はもう終わりで、走るにしても、聴覚も嗅覚も、コウモリが超音波で空間の様子を把握できるなどの認知能力も、動物にできて人にできないことは山ほどある。動物たちの言葉は、環境への適応によって生まれる。シジュウカラは鬱蒼とした見通しの悪い森に住む鳥なので、視覚だけのコミニュケーションでは不十分で鳴き声を言葉に発達させたのではないか。言葉の起源は生存に直結する重大な情報のカテゴリー化だと言っている。動物たちは踊り歌う。音楽、ダンス、言葉によるコミニュケーションだ。

人は、直立2足歩行となって手を使い、ものを運び、ジェスチャーをし、踊れるようになる。森から出た人類は産む赤ん坊の数を増やし集団で育てるやり方を見出し、音声言語が進化する(多産化と言葉の進化)。そして「文字」と言う革命的な発明をする。文字は、時空を超えてメッセージを伝えることができる。文字を使う動物は人間以外にいない。

しかし今、人の世界では、言語の暴走が始まっている。情報通信技術の飛躍的発展は心と身体を置いてきぼりにし、バーチャル空間へと人を誘う。言葉は、たくさんあるコミニュケーション手段の一つに過ぎないはずだが、現代社会ではその地位が極端に高くなってしまっている。コミニュケーションでは、暗黙知とも言うべき、文字や文章では表せない情報がとても重要な役割を果たしている。特に「食と性」は言葉では表現できない。言語中心の社会、文字にならないものを軽視する社会になってしまっている。ネットやSNSの変化は早すぎ、私たちの心身が対応できていないのだ。仮想空間やAIには感情や文脈はなく、言語と論理によって成り立っている計算機に過ぎないのだ。

対談では、言語やテクノロジーは便利であること事実だが、ヒトが本来持っている共感の力を両立させることが大事だ。その答えは「身体性を忘れずに新たな社交を作ればいい」「会う、食事をする。テクノロジーを使って新しい縁をどんどん作ればいい」と言っている。 


keimousisou.jpg「政治・経済・生活を正気に戻すために」が副題。カナダのトロント大学哲学部教授のジョセフ・ヒースが2014年に発刊、2022年文庫版序文を加え新版としたもの。現代世界の問題を圧倒的力量で剔抉している。本書の中心をなすものは「合理性」。「政治における非合理主義の度合いが目立って増しているなか、本書が目指すのは、このぶざまな状況から抜け出すことである。有用で適度な、ポスト啓蒙思想の合理性の概念を構築することである」と言う。そして哲学、心理学、社会学、言語学、物理科学、認知科学、行動経済学などを駆使して、現代社会の迷妄を打ち破ろうとする。新たな理性観を構築しようとしている。圧倒的な知性と熱量に感心する。

「ぶざまな状況」「世界はおかしくなっている」「ゆえに今こそ正気を取り戻さなければならない」とヒースが言う。2014年の著作ということを考えれば、「格差と分断と移民」を背景とするトランプ現象、AI SNS ・チャットGPTなどの急進展、新型コロナ、ロシアのウクライナ侵略などの現在を考えれば、喧騒と謀略・フェイクとタイパ・コスパ志向、ポピュリズムに、政治・経済・生活の翻弄・漂流が更に加速していることは否めない。「正気を取り戻す必要が叫ばれている現代の西洋世界の根底には、爛熟した消費社会の問答無用の商業主義的論理から、悪しきポピュリズムに傾いた政治手法や、情報過多のグローバル環境に生きる個人の短絡化しがちな意思決定まで、理性を無視して直感に訴える、あるいは手っ取り早く勘や感情に付け入ろうとするアプローチが存在する。このため、合理的思考の上に成り立つ民主主義や市場経済といった近代社会の礎が揺らいでいる。こんな現状を打破するには、まさしくこの近代社会の土台を築いた『啓蒙思想』の再起動が必要だ。そしてこの18世紀の思想の根幹をなす理性の問い直しこそが『啓蒙思想2.0』の構想につながる」と訳者が紹介してるが、問題意識は鮮明だ。

「その道の達人の活躍を見るときは、いつも直感的並びに合理的な思考様式のスムーズな統合を見る。直感的思考と合理的思考のどちらも伴うハイブリッドな作業である」「理性は、言語に依存し、理性は普遍的な構造を有する。重要な問題は、直感にはできなくて、理性にできる事は何かということになる」「啓蒙思想1.0の支持者たちは、理性を純粋に個人的なもの、個々の人物の脳内で働くものとみなしたから、理性が正しく機能するのに必要な外部足場の多くをうっかり外すことになってしまった」「近代の保守主義は、こうした啓蒙思想の傲慢への反動として誕生した」「理性の弱点は時間がかかること、多大な努力を要すること、限定的な注意、[少ない]ワーキングメモリというボトルネック、あてにならない長期記憶が悩みの種だ」「啓蒙思想1.0の欠陥のおおよそは理性の限界の認識不足から生じており、エドマンド・バークに代表される保守主義の反動は、この点の修正に役立った」「直感は現在主義バイアスを抱えており、今すぐ起きることに関心を持ち、将来を思い浮かべることも考察することもできない。長期戦略と食い違う。せっかちで今すぐ得られる小さな利益を求め、延期を嫌う(今の対応、今のウケ)」「人は持論や信じたいと思うことを裏付ける証拠ばかりを探す確証バイアスがある(宗教などでも、陰謀論者、地球温暖化の懐疑論者)」「否定的要素を考える能力のなさと都合の悪い関係性を捨て去る人間ーー楽観バイアス、マイサイド・バイアス、フレーミング効果とアンカリング効果、損失回避、信念バイアス。勘で考えることが、いかに間違うかを知るべき」「理性と直感のバランスを取るべきと言うのは役に立たない。脳には得意なことと苦手なことがあり、それを踏まえるべきである」

「人の脳は論理機械ではない。人間の非合理さを利用する商品やクレジットカードの仕組み」「未来社会の粗野な商業主義は、知性全般の衰えの産物とされる」「政治の世界が勘の対決となり、政治キャンペーンや怪しい助言が溢れるようになるが、その正解における反合理主義という現在の風潮の追認にならないように、手を講じなければならない」「敵が非合理である時の戦いは、目には目を、あるいはひたすら相手をおちょくるコメディアン。右派のデマゴーグに左派のデマゴーグで対抗するのではなく、コメディアンで応ずるやり方」

最後に「正気の世界への小さな一歩」として「スロー・ポリティクス宣言」が提唱される。人間の理性の力に幻想を抱いてはならないが、理性に変わるものに対しても、同様に幻想を抱いてはならない。合理的な政治を可能にする社会状況を引き起こすには、何より集団行動が必要だ。こう指摘しつつ、「私たちはスピードのとりことなり、狡猾なウィルスに感染したように、私たちの慣習を破壊し、集中力を損ない、どんな些細な情報までも消費するよう強いる『ファストライフ』ウィルスに感染している。落ち着いた合理的熟慮を断固として守るしかない。その改善をもたらすため、制度的環境を整える集団行動が大事だ。いまや『ロー・ポリティクス』こそ、唯一の真に革新的な回答である」と言う。合理的熟慮を集団で行う「ロー・ポリティクス」だ。 


anohikari.jpg「あの光」――心に巨大な空洞を抱え、情愛に飢え、虚ろな人生に日常が覆われる者にとって、「光」は救いであり、かすかな希望であり、自分を立て直す熱源である。救いを求める者の心理に深く踏み込んだ危ういメソッド。「嘘でもいいから、偽物でもいいから」と互いに惹きつけあって崖に突き進んでいく宿業ともいえる愚かな人間の姿が生々しく描かれる力作。詐欺とも、疑似宗教とも言える情けない騙しの現実は日常的に転がっているかもしれない。

ハウスクリーニング会社で働く高岡紅は、丁寧な仕事と気配りで、指名が入るほど信頼を得ている敏腕社員。自己愛が過剰で、他人はもとより紅にも愛情を注げない水商売の母・奈津子から独立を促され、起業することを決意。仕事は軌道に乗り、さらに掃除と開運を結びつけた「開運お掃除サービス」へと発展させる。掃除の知識と人生経験を結びつけたメソッドは、SNS上で話題となり、書籍の出版やセミナー開催など、母親譲りの弁舌もあって多くの主婦を巻き込んでいく。掃除をすれば、弱い自分というものから抜け出せる、運命に踏みにじられる人生から脱出できる――。こんな欺瞞に満ちた危ういビジネスモデルは、相談に乗ってくれていた幸村からも、「よくそういう屁理屈を思いつくな。大勢の生徒をぶら下げた『屁理屈のジャングルジム』」といわれるが、心に空洞を抱えた者たちをどんどん吸収していく。身体性を欠いたSNS時代の恐ろしさだ。しかし続くわけがない。ある事件をきっかけにしてSNS上で叩かれ崩壊過程に入っていく。開運どころか、あがいてもあがいても追い込まれていく。

「倫理も、他者の痛みも、彼女は軽々と飛び越えて夜の縁に立つ」――紅は嫌った母・奈津子と同じであったことを思い知るのだ。懸命に生きてきたのに、お金も運も少しも回ってこない。全てをひっくり返して全然別の人生を始めたい。虚構に身を委ねる女性たちの悲哀、心の闇が押し寄せてくる。虚ろな人生が交差し、愚かさの濁流が、あり得ることだけに情けなくなる。 


ikiru.jpg生命学、哲学者の森岡正博早稲田大学人間科学部教授が若手哲学者と「生きることの深淵」を覗き込む対談集。

はじめに、戸谷洋志さんとの対談「生きることの意味を問う哲学」――。デイヴィッド・ベネターの「生まれてこない方がよかった」(2017年に日本で翻訳)の「反出生主義」をめぐる対談。「この世で生きることは痛みを伴い、痛みがあるというのは害だ」「生まれてこない良さの方が、生まれてきた良さよりも勝ってしまう」との主張だ。「生まれてくることの価値」の問題を分析、哲学の土俵に乗せた功績があると言う。大事なことは「生まれてきて、本当に良かったという道にたどり着くにはどうすればいいのかを模索していくしかない」と森岡さんは言う。確かに、ハムレットのいう「世の中の関節が外れてしまった」という脱臼した社会のなか、「生きてきてよかった」と価値創造の勝利の人生を目指す私たち。「反出生主義は、宗教・哲学・文学のなかで、連綿と流れている人類の基調低音みたいなもの」「誕生否定、出産否定ではなく誕生肯定へ」「反出生主義はほんとうに自殺を導かないのか?」――イデオロギーではなく、現実の生命力が課題となる。

次に「当事者は嘘をつく」「戦争、犯罪等のサバイバーのその後」の小松原織香さんとの対談「"血塗られた"場所からの言葉と思考」――。「赦しをめぐる(結論のない)問い」――「応報感情か赦しかの2分法では分けられない」「遺族の方が『まっとうに生きてもらわなくては困る』『簡単に死刑は許さない。もっとこっちと同じように苦しめ』と揺れながら考え要求する」「シベリアでも津波でも、生き延びてしまったことの罪悪感が、加害者の自覚と結びつく。加害者であることを引き受けられるのか?」。「天声人語」や映画「ひまわり」に「他人事の感覚」「離別のドラマに陶酔する私たちは一体何者なのか」と問いかけ、「私にとって倫理とは、人生を品行方正に生きることではなく、残された人生を『加害の経験者』としてどのように生きれば良いのかを探求することである」と言う。

「日本的なるものを超えた未来の哲学」として、哲学者の山口尚さんとの対談。大森荘蔵の哲学の中で、特に3つの論点「見透し線」「ロボットと意識の問題」「ことだま論」について語る。「我々がロボットに意識があると本気で思い始めた時に、ロボットに本当に意識が宿る」「最終的には食べることと触ること。人間がロボットを食べるか食べられるか。人間がロボットと恋愛をしてセックスをして妊娠すること。この2つが可能になった暁に、ロボットは十全な意味で心を持ち生命を持ったと我々は考えるだろう」と言う。

哲学対話を幅広く行っている「水中の哲学者たち」の永井玲衣さんとの対談、「降り積もる言葉の先に」――。「哲学とは、過去の哲学者について研究をすることではなく、自分が抱えている哲学的な問題について、自分の頭と言葉で答えを探求していくこと」「哲学は、哲学史や哲学用語の知識の側面と論理的に考える力や概念というスキルの側面が強調されがちだ。大事なのは哲学する態度」と語り合う。

「私は、人生探求の学としての生命学と、アカデミックな生命の哲学を、これからの仕事としてまとめ上げていきたいと考えている。このニつはきっと統合されず、いつまでも、緊張関係を保ちながら対立すると思われるが、その動的な対立、それ自体に価値があるはずだ。それは『誕生肯定の哲学』という大部の書物に結実する予定である」と言う。 

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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