hatigatuno.jpg京都の風物詩でもある12月の全国高校駅伝。8月の大文字焼き。学生時代過ごした京都の街、学生さんに優しかった京都の街あっての青春小説。実感が蘇る思いだ。青春小説だが、死者と生者が京都の歴史の中から入り乱れる。

「十ニ月の都大路上下ル(カケル)」――実に27年ぶりに女子全国高校駅伝出場となった高校の1年生で補欠の坂東(サカトゥー)。突如、ピンチランナーとして走ることになるが、絶望的に方向音痴。周りの励まし、同じ区間を走ることになった他校の選手への競争意識、走る途中に、新選組のような者が現れて

「八月の御所グラウンド」――暑い暑い京都の8月。高校からの同級生・多聞に頼まれ、頭数を揃えるために、草野球チームの試合に参加することになった4回生の朽木。早朝の御所グラウンドで「たまひで杯」を争うことになる。9人が揃わないと負けになるので人集めに四苦八苦する。そこで出会った3人に助けられるが、その正体とは。戦争で肩を壊し戦争に散った沢村栄治。19431120日、私も懐かしい「農学部グラウンド」で行われた「出陣学徒壮行式」(明治神宮外苑で行われた壮行式の約1ヵ月後)。皆、「野球をやりたい」と70余年後に御所グラウンドに現れたのか


tomogui.jpgむき出しの原自然、獣たる人間の生死、息づかいが迫ってくるど迫力の小説。衝撃的な「颶風に王」に始まり、「肉弾」「締め殺しの樹」と、河崎さんの北海道原野における人間と獣の業と悲哀をめぐる作品は、いずれも凄まじい。

明治後期、北海道の雪に閉ざされる山中で、犬を相棒に猟師というより獣そのものの嗅覚で熊や鹿などと対峙し、ひとり狩猟をし生きてきた熊爪。ある日、熊に襲われ負傷した男に出会う。男を襲ったのは冬眠していない熊「穴持たず」。熊爪は怒りに震える。「ふざけるな。ふざけるなよ、おめい」「この熊を、許さねぇ」「手負いであること、よそから来た穴持たずであること、太一を傷つけたこと。全てを忘れて、怒りを紙縒りのように細く硬く尖らせ、熊爪は銃身を握りしめた」

「穴持たず」を追うが、若い赤毛の雄熊と「穴持たず」の戦いとなり、そこに熊爪と犬が加わる。「赤毛」が勝ち、熊爪は重傷を負う。天井板を眺めながら熊爪は声にならない声を吐き出す――「熊にも、里の人間にもなれず、猟師でいられない俺は、いま、何者だ」。再び山に戻った熊爪は、回復に苛立つ心を抑えて「赤毛」を狙う。そして倒す。「こんな熊、いるのか。すげえな。大将だ。おめい」

白糠の町で熊爪を助けてくれていた良輔、その屋敷に住んでいた盲目の少女・陽子。ロシアとの戦争に向かっている日本は、北海道に大きな変化をもたらし、良輔の家も没落する。「国も戦争も人の世も、全て関係ないと。仙人のつもりか!」「赤毛をば、でかくて、若い熊、撃って。そん時殺してもらえねかった。だから人にも熊にもなれんかった、ただの、なんでもねぇ、はんぱもんになった。でもそれでいい。それで生きる」

自然と人間、獣と人間、生と死――そのあわいそのものを生き、死に場所を求める男を描くなか、人間とは、幸福とは何かを根源的に問いかける凄絶な作品。


rosia.jpg「日露戦争とは何であったか」「ロシア、イギリス、日本の陸軍、海軍の思惑は」「旅順攻略戦、奉天会戦の実態は」「乃木将軍は愚将であったのか」「司馬遼太郎が描く『坂の上の雲』は史実か」「日露戦争(陸戦)の本当の功労者は誰か」――これらを徹底して剔抉する。「『坂の上の雲』は陸軍の旅団長と海軍参謀の兄弟の物語、すなわち少将と中佐の手柄話である。しかし日露戦争に従軍した日本人の多くは、無名な一介の兵士たちである。召集され、命じられ、行軍に喘ぎ、泥水をすすり、脚気や凍傷に苦しみ、堅牢な要塞に突撃して斃れ、厳寒の満州の荒野に屍を晒した八万八千余の将兵一人一人の戦死の様子を、彼らの視点から記録しておきたいと、私は願った」と言う。

「恐ロ病が生んだ嫌ロ感情(三国干渉で生じた敵愾心)」「義和団事変」「満州を占領したロシア軍の脅威(ロシア軍の満州占領長期化、伊藤博文の日露協商論、クリミア戦争とボーア戦争、日英同盟成立)」「開戦への道(日露間の疑心暗鬼を昂じた偽りのイギリスのデュカット中佐報告書、クロパトキン来日、日露交渉決裂)」「日露戦争の緒戦(旅順口水雷夜襲攻撃、金州・南山の戦い)」「海軍が旅順占領を要請(焦る海軍と急ぐ陸軍)」「旅順第一回総攻撃の失敗」「旅順第2回総攻撃(ナマコ山を占領しロシア軍艦を攻撃、ドイツ・メッケル軍学の陥穽)」「旅順攻略(児玉源太郎が東北正面攻撃を主張、203高地へ攻撃目標を転換、秋山真之への乃木司令部の怒り)」「遼陽会戦(即時追撃を主張した参謀井口省吾、名参謀松川敏胤)」「沙河会戦(クロパトキンの大逆襲、花の梅沢旅団)」「奉天会戦」「東郷平八郎の日本海海戦」「乃木希典の自刃」の各章。現場の生々しい実態、史実を鋭く描き出す。

「戦功は黒木為楨大将、奥保鞏大将、野津道貫大将らと、彼らの薫陶を受けた藤井茂太少将と落合豊三郎少将、それに伊地知幸介少将、松川敏胤大佐らにあり、なかんずく最優秀者は乃木希典大将である」「旅順攻略の原動力になったのは、児玉ではなく、乃木の人格である。乃木はは愚将でも無能でもない」「要するに乃木軍の旅順攻撃は『焦る』海軍と、『急げ』と言う参謀本部に振り回された、矛盾だらけの作戦計画だったのである」「特に金州・南山戦、203高地攻防戦、奉天会戦と休む間もなく、最大激戦地へ投入され、最も過酷な運命を担い、最も激しく消耗した東京第一師団の将兵の間に、戦争で働き手を失った農家の筆舌に尽くしがたい窮状と、陸軍上層部に対する根深い不信が語り継がれた(この伏流水は2.26事件となって奔出する)」「(松川や伊地知など)わが国の危急を救うのは、こういういぶし銀のような地味な男なのだ」。そして「要するに司馬遼太郎は、伊地知ひいては乃木を無能・愚将と罵り、両人の顔に泥を塗るために『坂の上の雲』という小説を書いたとしか私には思えない」と激しく言う。
それにしても、乃木希典が「自刃して、多数の戦死者を生じた罪を償いたい」と申し出て、天皇が「今は死ぬべきときでない。卿もし死を願うならば、朕が世を去りてのちにせよ」と止める。乃木は晩年に至るまで、戦死者の遺族を訪ね歩き、手をついて詫びたという。

肉弾戦の日露戦争と、兵士の魂が迫ってくる。


sorawataru.jpg東京・新宿にある都立東新宿高校の定時制に、様々な事情を抱えて入ってきた生徒たち。そこに理数系の科目を担当することになった藤竹という風変わりな先生が赴任してきた。藤竹は大学院時代から「天体衝突と惑星の進化」をテーマに一貫して取り組んできた研究者だった。藤竹は「科学部」を結成しようとし、生徒を次々に勧誘し加えていく。

柳田岳人――数学は人一倍できるが、読み書きができない。音と文字を結びつけて脳で処理する力が弱く、文字の形をうまく認識できないディスレクシア。仕事のために普通免許を取りたくて、学科試験に通るよう定時制高校に入る。親にまで「不良品」と言われ、「よってたかって馬鹿にしやがって」と荒れている。越川アンジェラ――夫と2人でフィリピン料理店「ジャスミン」を切り盛りし、高校に憧れを持つ40歳。「ママ」というあだ名がついている。名取佳純――過呼吸を起こして保健室が落ち着ける場所になっている保健室登校の生徒。高校受験にも失敗し、辛さから解放されたくてリストカットの経験まであり、傷跡を「オポチュニティーの轍」と見比べる。SF小説など無類の読書好き。長嶺省造--―昭和23年生まれで集団就職で上京、技術を身に付け「長嶺製作所」を設立、そして70歳を過ぎて夢見た高校に入り、最前列で授業を受ける。生徒との世代ギャップは甚だしい。この4人の「科学部」だが、実に持ち味を生かして、「火星のクレーター」を再現する実験を始める。生きがいを見出し、結束する。藤竹の絶妙なコーチによって、負を背負った生徒たちの希望への挑戦は心地よい。

「何百という人たちから拍手を受けている。定時制の.この俺たちが。どうしようもない不良品だったはずの、この俺が」「藤竹の言ったことは、正しかった。あそこには、なんだってある。その気になりさえすれば、なんだってできる」「俺たちの教室は今、宇宙をわたる」

定時制高校の生徒たちは、何を背負い、何を思っているのか――最も考えたのはそのことだ。そしてこの希望あふれる物語は、現実にあった話をもとに、伊与原新さんが小説に仕上げたと言う。宇宙、科学、優しい人の心を描く伊与原さんの素晴らしい世界を満喫する。


doubutu.jpg動物たちは何を考え、何をしゃべっているのか――ゴリラ研究の霊長類学者・山極寿一さんと、1年に何ヶ月も長野県の森にこもりシジュウカラを観察し続ける鳥類学者・鈴木俊貴さんの対談。「おしゃべりな動物」「動物たちの心」「言葉から見える、ヒトという動物」「暴走する言葉、置いてきぼりの身体」の4章から成る。「動物は人間より貧しい世界に暮らしているのではない。同じ場所にいても、それぞが認識する環境は違う。動物たちは、人間とは違う能力を使って、それぞれに豊かな環境で暮らしているわけであって、決して人間より劣っているわけではない」「カラ類や類人猿のコミニュケーションは、それぞれが生息する環境で豊かに安全に暮らすために進化した。人類の言葉も進化の歴史を反映しており、もともとは多様な環境で小規模な集団が生き延びるために発達したものだ」「私たちの心身はまだSNSやインスタグラムに適応できていない。私たちの話で浮かび上がった人間の現初的で、本質的なコミニケーションを頭に描きながら、賢く言葉を伝える世界を作ってほしいと思う」と山際さんは言う。

シジュウカラは天敵の種類によって鳴き声が違い、ヘビなら「ジャージャー」、タカなら「ヒヒヒ」と鳴く。そして「ピーツピ(警戒して)」「ヂヂヂヂ(集まれ)」の二語を正しい順序で並べて仲間に呼びかけると言う。手話を学んだゴリラのマイケルは「お母さんは密猟者に首を斬られて殺されて、ボクは手足を縛られて、棒にぶら下げられて連れてこられたんだ」と飼育員に手話で語り始めたという。人間はすごいね、などと言ってる時代はもう終わりで、走るにしても、聴覚も嗅覚も、コウモリが超音波で空間の様子を把握できるなどの認知能力も、動物にできて人にできないことは山ほどある。動物たちの言葉は、環境への適応によって生まれる。シジュウカラは鬱蒼とした見通しの悪い森に住む鳥なので、視覚だけのコミニュケーションでは不十分で鳴き声を言葉に発達させたのではないか。言葉の起源は生存に直結する重大な情報のカテゴリー化だと言っている。動物たちは踊り歌う。音楽、ダンス、言葉によるコミニュケーションだ。

人は、直立2足歩行となって手を使い、ものを運び、ジェスチャーをし、踊れるようになる。森から出た人類は産む赤ん坊の数を増やし集団で育てるやり方を見出し、音声言語が進化する(多産化と言葉の進化)。そして「文字」と言う革命的な発明をする。文字は、時空を超えてメッセージを伝えることができる。文字を使う動物は人間以外にいない。

しかし今、人の世界では、言語の暴走が始まっている。情報通信技術の飛躍的発展は心と身体を置いてきぼりにし、バーチャル空間へと人を誘う。言葉は、たくさんあるコミニュケーション手段の一つに過ぎないはずだが、現代社会ではその地位が極端に高くなってしまっている。コミニュケーションでは、暗黙知とも言うべき、文字や文章では表せない情報がとても重要な役割を果たしている。特に「食と性」は言葉では表現できない。言語中心の社会、文字にならないものを軽視する社会になってしまっている。ネットやSNSの変化は早すぎ、私たちの心身が対応できていないのだ。仮想空間やAIには感情や文脈はなく、言語と論理によって成り立っている計算機に過ぎないのだ。

対談では、言語やテクノロジーは便利であること事実だが、ヒトが本来持っている共感の力を両立させることが大事だ。その答えは「身体性を忘れずに新たな社交を作ればいい」「会う、食事をする。テクノロジーを使って新しい縁をどんどん作ればいい」と言っている。 

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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