内村鑑三の「代表的日本人」(1894年)は、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の5人。1900年前後、西洋文明を受容しつつも、日本人の持つ深き精神性、「日本人とは何か」を世界に問いかけた著作が相次いだ。「代表的日本人」(内村鑑三)、「武士道」(新渡戸稲造)、「茶の本」(岡倉天心)、「人生地理学」(牧口常三郎)などだ。いずれも日本人の精神性の深さを主張するとともに、庶民の中の実践者でもある。
本書は、江戸時代から「関孝和(算聖と呼ばれた大天才)」「上杉鷹山(民の父母たる名君主)」の2人。明治時代から、「福沢諭吉(近代日本の先導者)「河原操子(日蒙を繋いだ女子教育の先駆者)」「柴五郎(会津人を全うした男、八カ国軍を率いて総指揮を取った男)」の3人を取り上げ、その生涯を描く。「いずれも日本人の美質を十二分に発揮し、海外からも、高く評価された人々である」「明治時代の三人は、日本人の美質に加え、明治の時代精神を体現した人を選んだ。それは国家的精神、進取の気性、武士道精神だ」と言う。
日本人らしい日本人――「勇気、正義感、創造性、郷土愛と祖国愛、そして何より惻隠の情を持つ」と言うことだ。「和算家の中に関孝和や建部賢弘のように、自然科学との関連から数学を研究する者は稀だった。和算は、俳句、和歌、華道、茶道等と同じく芸事として発展したのである(関孝和)」「藩主自ら一汁一菜を実行し、弊衣をまとい、しきりに農村を視察するなど、常に民と苦悩を分かち合った。当面の救済ばかりでなく、常に長期的視野に立ち、根本的解決を進めた(上杉鷹山)。この地には惻隠が根付いている」「『学問のすすめ』などはまさにそんな本で、自由、独立自尊、道徳などを説いた。自由、平等、独立自尊は舶来のものだったが、道徳は武士道、すなわち惻隠、勇気、誠実、卑怯を憎む心、忍耐、羞恥心などである」「日露戦争における勝利は、乃木希典や東郷平八郎といった英雄だけでなされたものではない。用意周到な計画の下、敵地に親日の拠点を作り上げた河原操子、それを支えにシベリア鉄道爆破に向かった決死隊など、名も知れぬ人々の命をかけた献身が奇跡ともいえる勝利を呼び込んだのであった」「柴五郎と日本将兵の武勇、忍耐、規律、公正、謙虚など、すべての立居振舞は世界注視のもとで発揮された。武士道だった。とりわけイギリス人の日本人を見る目が一変したのである。これが日英同盟に結実し、2年後の日露戦争における勝利をもたらした。まさに柴たちの活躍は世界史を動かしたのであった」と描いている。
「運に恵まれる」も共通だと言う。「天才は必ず『ツキ』に恵まれるものである。天才の種は多くあるが、ほとんどは絶好のタイミングで良い本や良い師に出会い、学問的刺激を受けたり励まされたりする。幸運に恵まれるものである」と言う。本当にそう思う。
「よく歩き、よく考える」が副題。「昔から思索家はよく歩く。哲学者然り、詩人然り、小説家然り、作曲家然り・・・・・・よく歩く者はよく考える。よく考える者は自由だ。自由は知性の権利だ」と言う。帯に「文学、思想、人類史、自然学、考現学、地理学・・・・・・散歩をしながら、様々な思考が頭の中を駆け巡る」とあるが、本書はまさにその通りで、中身の濃密さに驚き、感心する。
確かに人類史は歩行の歴史だ。直立二足歩行の開始以来、人類は歩き、自然と対話した。この自然との対話こそが、最も古い宗教の形態となる。ルソーもカントも歩いて哲学した。京都には、「哲学の道」があって、私も歩いたが、確かに心が落ち着いたものだ。
「散歩する文学者たち」――萩原朔太郎「秋と漫歩」も芥川龍之介の「歯車」も、永井荷風「濹東綺譚」もつぶさに歩きながらよく見ている。原東京というべき「武蔵野」について、国木田独歩や大岡昇平だけでなく、昭和天皇にも触れている。話が縦横に飛び、極めて面白い。散歩で得られる情報はまさに膨大。「人はそれほどに散歩中に多くのことを思い巡らせているのである」と言っている。ニューヨークもヴェネチアにもよく訪れており、都市の匂いがこちらにも伝わってくる。なるほど、自分は忙しく仕事ばかりして見るものを見ないでもったいないことをしたと思う。
「都心を歩く」――私の地元の十条銀座や東十条、「埼玉屋」の大将とのやりとりまで出てきて嬉しくなる。池袋、高田馬場・ ミャンマータウン、阿佐ヶ谷・・・・・・。「郊外を歩く」――登戸(川崎市)ゴールデン街では「昭和の騒々しさ、猥雑さは当時の街に充満していた雑多なニオイの記憶と分かち難く結びついている」と言う。町田で老舗の馬肉料理店「柿島屋」、西荻窪の台湾料理店「珍味亭」に行く。「角打ち散歩」として、新橋と神田をはしごする。「田舎を歩く」として、屋久島に縄文杉に会いに行く。秋田にも行き思いを巡らせる。
「散歩に出れば・・・・・・生の現実、生身の他者からしか得られない、はるかに多くの情報にまみれることになる」「心にゆとりがないと、ヒトは気宇壮大なことは考えられないし、未来を設計したりもできない」「いっそ、人の手を煩わさなくてもいい仕事を全て生成AIに押し付けて、空いた時間に散歩にかまけるのが最も賢い選択となるのではないか」と言うのだ。散歩は最高の贅沢かもしれない。
90歳の日常とはどういうものだろうか――最近、よく思う。92歳になる黒井千次さんが、この5年ほどの日常の心象風景を毎月1編綴る。万年筆で書くという。
緑内障で片方だけの眼で読み書きをしたり、「最近よく感じるのが字の小さな印刷物の多いこと。クスリ瓶に貼られた説明書や注意書き」に苛立ったりする。「電車や飛行機に乗って遠出する場合、1人で行けるだろうか、大丈夫だろうか」と不安を感じる。「ふと気がつくと、自分の歩く範囲が著しく縮んで小さくなってしまってることに驚く」「朝起き出す際、これまで生きてきた歳月のカタマリのようなものに触れているようでもあるとふと思う」「便利なものがいろいろ出てきているみたいだが、自分がついていけるのは、せいぜいファックスまでだなと嘆く」「それにしても・・・・・・しかし、自分はよく失敗する。道での転倒などは経験しているので、気をつけているが、日々の暮しの中でのささやかな失敗は明らかに増加傾向にある」といった具合である。そして家の中には"老化監視人"とでもいった"女性"がいて、「この監視はなかなか厳しく、家の中に『老化』の気配が侵入するのを見張っている。年寄りくさい立居振舞いがあると、たちまち警告を受ける」・・・・・・。なるほどということばかりで、80歳で既にそうだと思うものだ。
「ヤツタゼ、電車で単独外出」「居眠りは年寄りの自然」「欠かせぬ<ヨイショ>の掛け声」「浴室で立ち上がれなくなった事故」「大切な手紙の処分」「若さを失って得られる<老いの果実>、貯えられた知が老いを豊かなものに変えていく可能性は十分にある」「今の日程ノートは記載がほとんどなく、ぽつんと記されている外出先はすべて病院(ごみ収集とプロ野球が教える曜日)」・・・・・・。
「90の大台を思う年の瀬――健康寿命の維持・展開を心がける老人がいる一方で自分はもう充分に生きたのだから、このまま自然に日を過ごし、他人に迷惑をかけぬよう充分に注意しながら静かな生を送りたい、と願う人もいるだろう。必要以上に若く元気でいたいとは思わない。かといって、慌てて店仕舞いする気もない」と言う。それにしても、AI ・デジタル時代。「支払いくらい手渡しで」「暗証番号に捨てられて」と語っているが、もっともっと加速度的に凄い時代になってしまう。語られた半分以上は私の今既に感じていること。転倒以外は気をつけてもどうしようもないことかも。
80代の老いと、90代の老い。「80代の老いが持つ詩的世界は歳月とともに次第に変化し、いつか90代の散文が抱える世界へと変化していくのではないだろうか。・・・・・・<老い>は、単なる時間の量的表現ではなく、人が生き続ける姿勢そのものの質的表現でもあることを忘れてはなるまい。・・・・・・<老い>は変化し、成長する」と言う。その境地を見せてくれる。
「現在、各国を席巻するナショナリズム、人種差別、移民・難民問題など、民族という『見えざる壁』が世界を引き裂いている」――2018年の出版だが、ロシアによるウクライナ侵略、ガザでの戦闘が続くなか、「民族」とは何なのかを探り、軌跡をたどる事は重要だ。高校時代に「世界史」にのめり込んだことを思い出す。
人類は、もともと黒人(ネグロイド)から始まった。それがスエズ地峡を渡り、全世界に拡散して、白人(コーサソイド)、黄人(モンゴロイド)、オーストラロイドの4大人種に分類される。昔習った猿人(アウストラロピテクス)から原人、旧人、新人(ホモ・サピエンス)への進化ではなく、今は「アフリカ単一起源説」だ。人種は、DNAなどの遺伝学的生物学的特徴、民族は、言語、文化、慣習などの社会的な特徴によって導き出されたカテゴリー。「世界を支配したインド・ヨーロッパ語族(アーリア人=高貴な人)」・・・・・・。
「中国人の正体は、多民族の集合・混合のハイブリット人種」「いわゆる漢人の作った統一王朝は秦、漢、晋、明の4つしかない。その他は異民族王朝」「宋王朝はトルコ人沙陀族が作った王朝。政権基盤が弱く、失われたプライドをカバーするために、極端な民族主義を掲げる中華思想を打ち立てた(皮肉と矛盾)」「文明は朝鮮半島からやってきたというのは間違い。日本は高度な技術を有していた」「広開土王碑では日本は391年に百済を服属させたとある。663年の唐・新羅連合軍と戦って大敗した白村江の戦いは、百済という事実上の自国の領土を侵犯されたという当事者意識、憤激からのもの」「沖縄人やアイヌ人は『原日本人』」「対立する韓人と満州人、統一王朝『高麗』を建国したツングース系満州人(コリアは高麗から)」「実は満州人政権だった『李氏朝鮮』」・・・・・・。
「ヨーロッパ人の3つの系列――ローマ人の末裔『ラテン人』、ロシア・ポーランド・チェコやバルカン半島の人々は奴隷を意味する『スラヴ人』、温暖化でヨーロッパの食糧供給を担ったドイツなどの『ゲルマン人』(ノルウェー、スウェーデン、デンマークなどのノルマン人は、ゲルマン人の一派)(ノルマン人が建国したロシアとアングロ・サクソン人が定住していたイギリス)」・・・・・・。
「インドにはドラヴィダ人がいたが、アーリア人が侵入し、バラモン教を持ち込み、カースト制をしいた」「バラモン教は、4世紀ごろに、従来の儀式主義を廃し、民衆生活と密着した宗教に変貌。ヒンドゥー教と呼ばれるようになる」「チンギス・ハンの死後、モンゴル帝国は息子たちに分割継承。中央アジアでは、モンゴル人政権のティムール帝国となり、シルクロードを支配し発展。大航海時代で陸路のシルクロードが衰退、インドへ南下しムガル帝国(モンゴル=ムガル)をつくる」・・・・・・。
「イラン人はインド・ヨーロッパ語族、イラク人はセム語族でアラブ人」「トルコ人はもともとモンゴロイド人種だが、アラブ人とヨーロッパ人の血統を継承している。ウイグル人はトルコ人の一派」「民族の離散(ディアスポラ)のユダヤ人は、アラブ人の同系民族」「1917年、ギリス外相バルフォアがユダヤ人財閥ロスチャイルド卿に宛てた書簡(バルフォア宣言)に基づき、イギリス主導で、ユダヤ人のパレスチナ移住が進められ、パレスティナ人が追い出される」・・・・・・。2018年の本書から6年、現在はなお厳しい状況にある。
「複雑に入り組む東南アジアの諸民族」――。「全盛期を迎えた12世紀のクメール人(カンボジア人)による。クメール王朝(アンコール遺跡)」。ほぼ10年前にアンコール・ワットに行ったが、確かにすごかった。
「アメリカ、アフリカ、民族に刻まれた侵略と対立の傷跡」――。「アメリカの先住民インディアンはモンゴロイド」「インカ帝国・アステカ帝国を滅ぼしたテロと病原菌」「15世紀以降、ポルトガルやスペインがアフリカに進出し、黒人は奴隷としてヨーロッパに連行。そしてイギリスが黒人奴隷貿易、砂糖プランテーション」「アメリカが独自に進めた黒人奴隷の『増殖政策』」「強制混血で生まれた『ブラック・インディアン』」・・・・・・。
最後に「世界をつないだモンゴル人」「満州人はなぜ覇権を握ったのか」「300年に及ぶ民族平和の代償(オスマン帝国による他民族協調主義、文明の交差路・バルカンなどに噴き出す民族対立のマグマ」「グローバリズムに侵食される『国民国家』」などが紹介されている。
人種、民族、言語、戦いの攻防などが複雑に絡み合って、現在の世界がある。
「『もののあはれ』と『日本』の発見」が副題。著者はなぜ、本居宣長に注目するのか。「私が宣長に惹かれるのは、『西側』から到来する普遍的価値観にたいし、日本人がとった対応の最良の事例を提供してくれるからである」「人はだれしも、生きる時代を選ぶことができない。・・・・・・本居宣長の前にあったのは、日本を日本語以外の世界観で説明し続けてきた言論空間、すなわち、もう一つの『歴史』であった。西側から到来する価値を普遍的だとみなし、その導入に腐心することで国家として生き延びる。その立ち振る舞いは、自分の記憶を積極的に捨てることで、自分であろうとすることだった。だが、その国家とは、果たして日本だといえるのだろうか」「文化は文明に呑み込まれているのであって、固有の顔を失っている。・・・・・・だから、和歌を詠み、源氏物語を学ぶことで、宣長は『歴史』からの脱出をはかったのである」と言う。誰よりも根源的に、始原的に西側からの文明を撥ねのけ、日本文化、「日本」と「もののあはれ」を屹立させた本居宣長の独創的な「肯定と共感の倫理学」をくっきりと描き出す。
西洋文明の奔流を受けた明治日本の1900年前後、呻吟した知識人が世界に向けて「日本人」を発信した。1894年の内村鑑三「代表的日本人」、1899年の新渡戸稲造「武士道」、1903年の牧口常三郎「人生地理学」、1906年の岡倉天心「茶の本」などだ。深刻なアイデンティティー危機の中での叫びだろう。「西側」からもたらされる合理の風――勧善懲悪の儒教も形式化する仏教も、二元論とロゴスを基調に科学的な論理思考で組み立てられる西洋文明の世界観も、情欲を持って人間関係の中で生きる赤裸々な人間との間で生ずる摩擦は必然的であった。特に文明の衝突が現れるのが言葉の世界であり、宣長の「もののあはれ」論も、「そうした緊張関係を養分とし、歴史の堆積から生まれ出てきた思想である」と言うのだ。
しかし、論点はさらに進む。その「『もののあはれ』論の最大の発見は『色好み』、すなわち男女関係と国家の関わりを論じた点にあった」「多くの国文学研究者は 『近代』文学の発見だとみなし、勧善懲悪の儒教的文学観から解放された自己主張、自我解放の文学論の登場だとみなしてきた。しかし恐らく宣長最大の功績は、和歌と物語世界が肯定と共感の倫理学を主題とし、恋愛から『日本』という国家が立ち上がってくることを証明した点にある」「宣長は人間の実存ではなく、『関係』に注目したということだ」と言っている。
そして本書では、そこに至った本居宣長の人生の歩みが語られている。特に若き頃、江戸の「あきない」と京都の「みやび」に触れたこと。不向きな「あきないのすじ」を逃れ、「医者」に転身したこと。この江戸中期の時代、急激に貨幣経済が浸透、農本主義から重商主義への劇的な変化が起き社会が流動化したこと。何よりも宣長自身、女性・ 民との恋愛があったこと。契沖らの学問に触れ、賀茂馬淵と出会い(松坂の一夜)があり、古事記研究にのめり込んでいくこと。そして源氏物語は何を描いているかの考究・・・・・・。その思考過程は、極めて面白く、しかもたおやかで揺らぎない。
「しき嶋の やまとごゝろを人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花」には、死の匂い、男性的なイメージが伴いがちだが、熱い息づかいの恋愛も含め、移ろいゆく事象を多様性のなかで柔らかに受け入れる宣長の「もののあはれ」「肯定と共感の倫理学」は、むしろ女性的だとする。
「国学」とは、「復古的であると同時に、『西側』への懐疑から始まった学問」であり、「儒教や仏教を外来思想として退け、和歌と物語文学に日本人の原型を探る学問」だと言い、宣長はそれを万葉集や日本書紀ではなく、古事記、古今和歌集、源氏物語に見出したのだった。
「日本」の精神的古層を掘り起こした本居宣長自身の心の深層に迫るとともに、常に「西側」のパワーにさらされる日本、日本人の思考を刺激する熱量ある論考。