「紀伊国は、見渡す限りどこもかしこも美しい」――紀州藩士の息子・十兵衛(後の本草学者・畔田翠山)は、幼いころから草花と話していると癒され楽しい。草花とは、自在に話すことができるのに、人と接するのは苦手。学問、文化・工芸、草木にも力を注いだ賢侯の藩主・徳川治宝、藩の本草局に籍を置く藩医・小原桃洞の愛情と信頼の下で、十兵衛は塾にも御薬園にも通い成長していく。
紀伊国は草木が茂り花が咲く「美っつい国」だ。「天狗」「卯木」「蜜柑」「雪の舌」「伊佐木」「藤袴」「仙蓼」「譲葉」「山桃」「白山人参」「黒百合」・・・・・・。15の章立てで、人や草木との出会いを温かく、穏やかに、みずみずしく描く。草木に触れ合うなか、突然、天狗に出会い、また亡くなった父が現れたり、村の娘や姫君の怨霊と出会う。自然の中からの声だ。
「海と向き合うのは、相応に力がいる。・・・・・・その点、山はいつでも力を与えてくれる。草木の香りに満たされて、体の隅々まで癒されるようなのだ」「天狗は軽妙な笑い声を立てた。『草木相手の務めをしておるのに、お前はずっと頭で考えとる。・・・・・・己の物差しで勝手に種族を分けようとしている。・・・・・・お前は種別することで腑に落ちるかもしれんが、それは人に限ってのことぞ」「獣と人。樹木と蔓植物。山のものと海のもの。紀州の者と他国の者。男と女。その線引きにどんな意味があるのか」「十兵衛は夜とも朝ともいえぬ、そのあわいをたゆたいながら、『分け隔て』という行いに思いを致す」・・・・・・。
「根と根が地中で触れ合っている草木は、意思をかわすことができるのだと、翠山もかつて、桃洞から聞かされている。空模様や、虫がついて難儀だということ、霜害や冷害、酷暑を乗り越える術についても、木々も草も絶えず話をしているのだという。『吉野人参はとりわけ繊細でございますから、己の好まぬところではうまく育たぬかと』 翠山は、手の上の吉野人参をしばし見つめた。己にとって、居心地の悪い場所に居続けねばならぬ辛さは、翠山もよく知っている」「この紀伊国がいかに美っつい地ぃか、広う知らせたいのぅ。それに、他国で生きておる本草にも触れてみたいのぅ」・・・・・・。
若き本草学者の成長物語だが、自然と人間、自然の中の人間の原点を呼び起こす秀逸の作品。