生物学者・福岡伸一さんに、生活の折りおりにふと浮かぶ疑問に答えてもらう、それが本書。面白い。面白いのは社会でも政治でもなく、やはり「人」であり、動物であり、樹木や植物であり、鳥であり、虫等々、そして身体、食事、健康・・・・・・。生きる物自体が不思議であり、面白いということだ。それによって人生は豊かになっているが、その自然の細部を知らないまま毎日を過ごしている。もったいない。面白いのに・・・・・・。
「生命は巧妙な生存戦略や繁殖方法を編み出している」「生命は動的平衡」「自然の均衡」「あらゆることを遺伝子の多目的性から説明すると・・・・・・・無理や議論や作り話になってしまいがちで、生命が本来的にもつ自由度が見失われるのではないか。生命のありようは、しばしば環境に対して中立的であり、ある種の寛容性、許容性を持っていると思う」――遺伝子決定論でない。ハズレたりアブレたりしている現実。だからこそ福岡さんは興味がわき、その興味と面白さが読む者に伝染する。
「お餅のカビは食べても大丈夫?」「スッポンを食べたらコラーゲンで肌がつやつやになるって本当?」――などという日常生活のことに答えてくれている。何気ない生活が、広く豊かにふくらむ。
宮澤退陣で55年体制に幕が引かれた後、政治は明らかに変調をきたしている。とくに昨年来の東日本大震災、菅政権、野田政権――。政権を担当する首相、まして政権党、政治家全体から国を運営し、国民の生活を守るプロあるいはプロ集団の臭いが次第に薄れてきている。ノンプロ劇団の芝居のように映る、と岩見さんはいう。国を背負う「決死の覚悟」が欠けている。かつて政界にいた憂国の士がいない。器用だが、腰の座っていない政治家が増えている。言葉の軽さは目を覆うばかりだ。
「政治家はポピュリズムに流されず、有権者は政治家の選別眼をしっかり身につけよう」――。この危機に対してはまず政治からだ。だからこそ政治家を厳選する気風と習慣を早く身につけようという。
岩見さんの切れ味はカミソリというよりもズシッとしたナタのようだ。それでいて岩見さんの言葉には、人物を包み込む温かさを私はいつも感じる。「最近は毎週書く数本の私のコラムに批判の投稿が増えている」と書かれているが、ズバッというからだろうが、それにしても温かさが感じとれないゆえなのか。閉塞感漂うゆえなのか。「近聞遠見」「サンデー時評」――毎週読んでいる。
電通顧問の杉山恒太郎さん。きわめて面白く刺激的な本。
「逆をやれ」「変わらないために、変わる」「自分から自由になる」「加害者意識をもって生きろ。被害者意識をもって生きるな」「プロセスに、プレジャーを」「ものづくりはしょせん、人間の肉体と想像力でしかできない、生々しくもアナログな世界」「アイディアは思い出すもの」「リフティングをしてウォームアップするように、アタマもつねに回転させておく」「少しくらいクレージーじゃないと」「できない理由を考えちゃダメ」「自己模倣は、最大の敵」「漠然と生きているとフケむ」・・・・・・。
杉山さんがその時々、後輩などに語ってきた言葉が40出てくる。解説も。
人は何かに(子どもの頃からとか、常識とか)とらわれ、がんじがらめにいつのまにかなっているが、それに気付き、物事を本来のイメージに引き戻す力――それが想像力であり、無から何かを生み出すことではない。自由も孤独もみずから闘って手に入れるものだ。シバリがある、不自由だと感じたらチャンスと思うことだ。広告も含めて表現の世界は「正しくても、面白くなきゃ、意味がない。正義感に燃えてなにかを主張する人は、冗談をいわない人が多いが、マジメになりすぎちゃう。いつのまにか、発想がやせたものになりがちだ。
仕事一辺倒になると、どうしても猪突猛進しがちです。広告を出す側の目線だけになって、受け取る側の気持ちが見えなくなる。受け手の気持ちを慮ること、大人の思いやりこそ大切。他人のことを真剣に考えられない人は受け手のことがわからないわけで、いい企画ができるはずがない。
エビフライは尻尾があるから美味しい――エビフライの尻尾はふつう、食べない。しかし、尻尾のないエビフライはなんだか味気ない。料理は栄養を吸収するだけでなく、感性や情緒に働きかけて、楽しんでもらうこと。アタマのいい人は、ともするとムダを切り捨ててしまいがちになる。(エビフライの)尻尾を意識できるようになれば、もっと企画にうまみとか、コクが出る。
世の中には情報がたくさんあるが、それを自分で熟慮して編集したものが知識、そこから発酵してジャンプしたものが知恵となる。それが「教養」だ。コミュニケーションには、この教養が究極的に必要。
「毎日、コツコツと勉強しなさい」(ノーベル賞の小柴さん)というが、それは直観力を磨くため。ロジカルに追いつめ抜いたその先に、パッと思考がジャンプして「非論理的な"なにか"」「アイディア」が感じられるようになる。
政治も、人と話しをすることも、演説ということもあまりにも同じだと思う。