sihonsyugino.jpg「経済学は格差とどう向き合ってきたか」が副題。「資本主義が拡大すればするほど、貧困は深刻な問題であり続け、富裕層はますます豊かになっていき、格差は拡大していく」「この貧困、貧富の格差、大金持ちにまつわる問題は、資本主義の宿命と言える」「格差問題は、優れて社会・経済的な問題である。具体的には、格差を是正すると、経済成長(あるいは経済効率性)を阻害する可能性がある。経済成長(効率性)と公平性(平等性)がトレードオフの関係にあるとみなされているからである」――。資本主義の矛盾と格差問題に、経済学はどう向き合ってきたか。アダム・スミスからマルクス、ケインズ、そしてピケティに至るまでの多くの経済学者の格闘を紹介する。そして格差が広がるなか、どう福祉国家を築くかを示す。

日本はアメリカほど高くはないが、他の多くの国よりジニ係数が高く(1990年代に0.38に上昇、2021年に再び0.38)、所得格差の大きい国になっている。相対的貧困率もG7の中では最悪で2012年には16.1%になっている。経済の低迷が貧困者を多く生み出している。また資産が5億円以上は9万世帯、単身世帯の資産ゼロは34.5%となっている。特に一人暮らしの若者と女性。若者は低賃金と非正規が多く、女性高齢者はパート労働などの非正規で、賃金も年金額も低く貧困率が高くなっている。

本書は「格差の現実」「資本主義社会へ(資本主義以前の貧困対策、資本主義と自由な経済活動、社会主義の登場)」「資本主義の矛盾に向き合う経済学(新古典派経済学、マルクス経済学、ケインズ経済学)」「福祉国家と格差社会(ドイツ――福祉国家の萌芽、ビスマルクの三部作) (イギリス型福祉国家――ゆりかごから墓場まで)(北欧型福祉国家――高福祉・高負担の誕生) (非福祉国家アメリカ――小さな政府と福祉資本主義)」「ピケティーの登場」「ピケティー以降の格差論」を章立てて紹介する。特にピケティによる「資本収益率rg(国民所得成長率)の時期は、資本()の蓄積がますます進行し、労働所得の伸びよりも資本所得の伸びが上回り、結果として資本の格差拡大が進行。高所得者の利子・配当所得がますます増えるので、所得格差の拡大を生む」という格差論を詳しく示す。高額所得者と高額資産保有者の存在を格差の象徴と捉える分析は確かに刺激的でエポック・メイキングとなった。また中国、ロシア、インドの激しい格差を説明している。

「日本は格差を是正できるのか」――。日本が格差社会を脱却するには、福祉国家になることがとても重要。そのためには、「同一価値労働・ 同一賃金の徹底」「最低賃金額のアップ策」「所得税率の累進度の強化」「消費税の軽減税率のさらなる強化」「社長と平社員の収入差の是正」「失業者ゼロへ」「高齢者の雇用数を高める」を提唱する。そして「日本は福祉国家になるべし」とし、「福祉国家の運営には国民に高い税と社会保険料の拠出を求めることになる。これが労働供給と勤労意欲に阻害効果があるとされるが、現実には労働供給や勤労意欲の阻害効果は観測されていない」「福祉国家になれば経済は弱くなるかもしれないとトレードオフを懸念するが、スウェーデンやデンマークなどを見ると、心配は無用」「もっと重要な指標は、国民の幸福度。北欧諸国は高く日本は高くない。税金や社会保険料の負担は、極めて高くとも高い幸福度を感じることは国としても、国民としても、最重要のこと」などの論点に回答している。

経済学の歴史に学びながら"貧困大国・日本"への処方箋、その方向性を提示している。 


100saide.jpg「生涯現役」を貫く90歳を超えた"鉄人"たち14名が、インタビューに率直に答える。著者は、「印象的だったのは、どなたも90歳や100歳といった年齢をことさら意識することなく、ただ通過点として軽々と乗り越え、そして先へ先へと歩みを続けていらっしゃることだ。なんとしなやかで、したたかな生き方だろう、と私は圧倒されどおしだった」と言っているが、全く同感だ。かつて聖路加国際病院の日野原重明先生と対談したことがあるが、「いつも新しいことに挑戦している。これからゴルフを始めてエイジシュートをしたい」と言われて驚いた。95歳だったと思う。本書の14名は、いずれもその世界の第一人者。徹して、その道を究め、今も前を向き、挑戦する姿勢に感動する。

谷川俊太郎――「(無人島に!本を1冊持っていくとしたら何を?)特定の本は持っていかない。僕は詩が書けるから、紙と筆記用具。でもできればアイパッドを持っていきたい。待てよ、無人島はWi-Fiとか使えないから困ったなぁ」「僕が愛して止まないものは『秘密』」・・・・・・。道場六三郎――「(料理を作るうえで最も大切にしている事は?)それはズバリ『思いやりの心』。食べてくれる人が真に『うまい!』と言ってくれるものを作ること」「僕の料理は『遊びと反逆』」・・・・・・。

樋口恵子――「年をとってくればビスケット、つまり微力ながら世の中の助っ人となるべき。素敵でしょ! そのためには、今の60代、70代、80代が頑張らなければ、この世の中はもたないですよ。男も女も働けるシステムを作るのが先決ですよ」「ワークライフバランスからもう一歩踏み込んで『ワークライフ&ケアバランス』」「老人は『非力ではあるが、無力ではない』」・・・・・・。野見山暁治――「描いているときりがない。描くことが面白いから続けられる」・・・・・・。

大村崑――「崑ちゃん90歳 今が一番、健康です」「いつも疲れていて、よたよた歩き、息切れ、動悸、眠りの浅い不健康な老人だった。それが86歳で奥さんに勧められて入ったジムに通うようになって、本当に『元気ハツラツ』になったんですね」「足腰が立つ限り、声が出る限り、頭が働く限り、『喜劇役者』として、ずっと仕事を続けたい」・・・・・・。大川繁子――「今でも毎日、登園しています。19時、20時くらいになると、園の中を見回ります。・・・・・・皆さんにも、何かやりたいことがあったら、まずは挑戦することをお勧めします。何かを始めるのに、もう遅すぎるなんてことはありませんから」・・・・・・。

鮫島純子――「私の知っている祖父(渋沢栄一)は、いつも穏やかで、崇高で静謐な方でした」「『背筋を伸ばして、緑の中を歩きなさい』と荘淑旂先生に教わりました。背筋を伸ばして横隔膜を上げて、体幹を意識して太ももの内側に力を入れて、まっすぐ歩くのです」・・・・・・。室井摩耶子――「楽譜は作曲家の紡いだ物語。『エリーゼのために』を弾くことは、ベートーヴェンとのおしゃべりです。私は何度も同じ曲を弾きますが、何度も読み込んだ曲でも毎回新しい発見があるのです。それが、私が音楽に魅了されてきた理由です」「努力を惜しまず、前向きに生きること。100歳を過ぎた今も、『これでいい』と思ったことはないですね。『もっと  もっと  もっと』と思う。『いま』を精一杯生きること」・・・・・・。

 玉川祐子――「曲師の仕事は、浪曲師のうなりやすいように背中を押すことができないとだめ。特に『ウレイ』は肝だね。浪花節で一番いいのはウレイ。泣くシーンなんだから、ちゃんと泣かせるようにしなきゃだめ。浪曲師と曲師は、二人三脚」「長生きの秘訣は、くよくよしないこと。つらいこと、悲しいことはなるべく忘れて、物事をいい方に解釈する」・・・・・・。三浦雄一郎・・・・・・「座右の銘は『夢いつまでも』。『夢』は『山登り』と同じで、一つの頂上に達したら、また次の頂上を目指したくなる。僕はドキドキワクワクするのが大好き。未知なる挑戦への好奇心が、次から次へと湧いてくる。あきらめなければ、いつか夢の頂上に立てる。ダメだったらやり直せばいい」・・・・・・。

杉浦範茂――「好きな言葉は、『人間万事塞翁が馬』。長い人生では、楽しいことや嬉しいこともあれば、つらいことや悲しいこともある。嬉しいときには自己を律し、悲しいときには、将来必ず幸せが訪れるものと信じて、明るく生きることが大事」「『絵』に間違いはない。絵は自由で、やりたいように描きたいように描けばよい」・・・・・・。暉峻淑子――「自分に関係のない出来事なんてこの世には何もない。そのうちのどれを選んで、自分のアイデンティティとするか」「日本人はいつからカネとモノがあればそれで満足と思うようになったのでしょう。カネとモノは自分自身が『こういうふうに生きたい』という人生の目的の『手段』であって、目的ではないはず。子どもたちに美しい自然を残し、国債の負債を残さず、生きがいのある社会を残すことに喜びはないのかしらと思う」・・・・・・。

渡辺貞夫――「自分の音を納得いくまで突き詰めていきたい。楽なものって面白くないじゃないですか。ステージをやるというのは、否応なしに全てをさらけ出すことになりますから、自分のコンディションは常にスタンバイしています。格好よく演奏したいですから」・・・・・・。青木悦子――「これからも工夫しながら精魂込めて、家庭の『真心料理』を後世につないでいきたい。まだまだ感動をみなに伝えたいという情熱がある」「前を向いて歩こう、今日を感謝で生きる。そして、出会いを大切にする『一期一会』という言葉が好きですね」・・・・・・。

存在が輝いている。感動的な一書。 


soujuurou.jpg「人はいったい何を軸として生きていくのか」――。時は江戸末期の天保年間。大飢饉、疱瘡の流行、改革によって緊縮・倹約を迫られ、その是非を巡っての幕府内の権力闘争、漢方医と蘭方医の戦いがあり、世は不安で揺れていた。

その中で、浅草の薬種問屋で火が出て、焼け跡から二体の骸が見つかった。北町奉行所定町廻同心の服部惣十郎は従えている小者の佐吉や岡っ引きの完治らと調べに乗り出す。また検死を頼まれている町医者の口鳥梨春も惣十郎に協力する。彼は多くの医者が「助からぬ」と先に告げて、逃げ道を作るのと異なり、まず「治します」と言って、患者も家族も安心させて、治療にあたる心のある医者だった。助からなかったらどうするんだとの問いに、「憎む相手ができれば、いくらかでも楽になるでしょう」と言うのだ。彼は種痘を説く蘭学書を版行したいという強い志を持っていた。

事件を追うなかで、これは放火で、死んだ番頭は毒を含まされて殺され、主人と思われた焼死体が金の入れ歯であったことから、主人の身代わりであったことなどが明らかになる。やがて首謀者として人痘種痘を試みている赤根数馬という男が浮かび上がる。そして事件は惣十郎自身の周りに関係していることが明らかになってくるのだった。さらに種痘によって恐るべき疱瘡を克服しようとする戦い、その中における漢方医と蘭方医の熾烈な戦いが展開され、事件は驚愕の終末へと向かって行くのだ。その過程での濃密さと緊迫感は凄い。

しかし、事件の解明以上に心に迫るのは、惣十郎ら登場人物の際立ったキャラ、その市井に生きる各人の人生哲学が開示されることだ。「人はいったい何を軸として生きていくのか」「正義とは何か」「この世の善とは、悪とは」「限りある人生をどう生きればいいのか」という問いかけだ。

惣十郎の背骨となっているのは「欲を出すな、分をわきまえろ、一度取りかかったことは手を抜くことなく終いまでやり遂げろ、そうしてなにがあっても人を恨むな」という母・多津の教えだ。罪人を挙げることを手柄とする同心でありながら「人を憎むな」とすることは、出世のために強引に重罪人を仕立て上げ、上役の覚えがめでたい方略を取らないという人生を選び取ることでもある。人生哲学だ。「おぬしは現場を検め、重蔵なる男が罪を犯しておらぬと判じたゆえ・・・・・・いわば、己の義を貫いたということではないか」と言われ、「正義とは聞こえのよい言葉ですが、さようなものは、実はこの世のどこにもないと、私は常々思っている」「もっと言えば、人の数だけ義があるということで、その正体は、ひどく曖昧で多様なのではないか」「ために自分の行いに、『正義』なる冠を掲げようとは思わぬ。単に己の意に従ったわがままに過ぎないのだ」と言うのだ。また、「罪人と接するうち、誠の悪人などいないと知った。なに、実はいずれも根はいいやつだなぞと甘いことを思うたわけではない。根から腐ったやつも山ほど見てきた・・・・・・善悪は紙一重だ。どこを軸に見るかで、容易にその位相は変じる・・・・・・悪事を働く者の根本にあるのは、単なる怯懦よ。怖れ、おびえる、弱さが引き起こすものでしかない」とし、悪事を働く者たちの根本に、「己の居場所がないという寄る辺なさと恐怖とが、その背にベタリと張り付いているように、わしには見えておった」と言うのだ。現在社会にも通じる「惣十郎の浮世始末」だ。

こうした市井の人生哲学は、登場人物のそれぞれにある。まさに本書の魅力だ。梨春は「すべての人に種痘を施すことで、疱瘡をこの世から消し去りたい」と願っている。しかし、野心を持って拙速に事を運ぶことを戒める。ましてや赤根のように、「人痘種痘の危うさを把握しながら手当たり次第に試し続ける」ことは許されないと怒る。厳たる矜持が、人への優しさが身に迫る。湯屋で垢擦りをする重蔵は、「人はひとりとして同じ体をしていない。銘々の特徴をよくよく見定めながら、込める力の力強さや手ぬぐいの動かし方を変えている」という。感謝があって、愚痴がない。市井の哲学だ。惣十郎の家で女中をするお梶も、惣十郎への思いを秘めつつ今日を懸命に生きている。

この浮世を、今日をどう生きるか。捕物帳を超えて、人間の生き様を描いた濃密な力作。


batan.jpg4代将軍家綱の時代、品川を出た知多半島の廻船、五百石の颯天丸は遠州灘で大西風を受けて漂流、奇跡的にフィリピンのバタン島に漂着する。乗組員は15人。漂流中は、大嵐を受けて楫が折れ、帆柱の切断、荷を捨てる決断をする。荒れ狂う大海原に漂うなか浸水や水不足にも見舞われる。絶望的状況が続くが、奇跡的にフィリピンの北にあるバタン島にたどり着く。

船乗りたちは、ここがどこの島かわからない。島では言葉も通じず、島民の急襲も受ける。15人はそれぞれ別の島民の家の下男のように働かされる。まとめ役である頭の志郎兵衛、続いて楫取の巳左衛門が行方不明となり、命を落とす。主人公の水夫・和久郎に船を造って日本に帰ろうと言い続けた門平も事故が元で死ぬ。やっと手に入れた斧以外は何の道具もないなか和久郎を中心として、ついに第二の颯天丸を造り上げる。日本に向かい、長崎の五島にたどり着く。方角がわからないなかの決死の航行だ。

「頭たちは、無駄に死んだわけじゃない。若い者が先を切り拓けるよう、早めに道を譲ったんだ」「おれはこれまで、長い船暮らしで得た知恵と識こそが、間違いのないものだと頭から思い込んでいた。でもな・・・・・・俺たちの代の識であり、すでに過去のものなんだ。現在を動かし、大きな流れを作るのは、当代の識や知恵に長けたお前たち若い連中だ」「おれたちが拾ったのは、千に、いや、万にひとつの運だ。この上ない僥倖だ」「和久郎、誇れ! この天運は、おまえたち、若い者が引き寄せたんだ」・・・・・・。

史実に基づく壮絶な海洋冒険小説。諦めない執念、良き指揮官ありて同志的結合あり、若者が未来の扉を開ける。荒れ狂う海と未知の島、そして異国の民――当時の木造荷船を調べ上げた熱量と情けのこもった力作。 


oozumou1.jpg内館牧子さんの「大相撲の不思議3」は、大変面白かった。本書は2018年に発刊された最初の本。

「土俵という聖域」――土俵は20俵の俵で結界された聖域であり、土俵の外は俗域。ゆえに「平成15年、横綱朝青龍が左手で手刀を切り、左手で懸賞金を受け取ることに私は異を唱えた。日本の場合、右は浄、左は不浄という概念がある」。「土俵築」は機械を一切使わず全て呼出しがやる。すごい光景が紹介される。「土俵祭」は、土俵に神を招き送り出す祭祀。「四本柱」は昭和27年以降は柱を取り払い四色の房となる。奈良時代の天平6(734)年に始まった「相撲節会」では、天皇が北に座して南に向く。北が「正面」、南が「向正面」、正面から見て、土俵の左側が「東」、右側が「西」となる。天子南面すだ。

「一門」――出羽海、二所ノ関、時津風、高砂、伊勢ヶ濱の5つ。平成22年に新しい貴乃花一門が誕生したが、「貴の乱」後に消滅。「懸賞」は神からの贈り物で、手刀は、五穀豊穣への感謝を表すもの。「聞く耳を持たなかった横綱朝青龍」と横綱審議会委員として注意したことを述べている。また「横綱白鵬を変えた"万歳事件"(平成22年九州場所、63連勝の白鵬を稀勢の里が破った時。九州場所では座布団が4枚つなげで投げられなかった)が紹介されているが、私も同じ感想を持っている。

「番付」――一段違えば虫ケラ同然。横綱、土俵入り、相撲教習所、まわし、下がり、前相撲、髷、四股(醜を踏むという神事に発している)など丁寧に、その意味を紹介してくれる。

「相撲茶屋」「昭和32年の出羽海理事長の割腹事件」。天皇賜杯の裏面に「大正十六年四月二十九日」と刻まれているという。そんな不思議な謎についても解明してくれる。とても面白い素晴らしい本。

<<前の5件

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

私の読書録アーカイブ

上へ